「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」の版間の差分
→「経済協力金」とその使途: 3億ドルは金ではなく、生産物や役務。また、用途に関して記載 |
m →「経済協力金」とその使途: 改行の訂正 |
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計約11億ドルにものぼるものであった<ref>文京洙『韓国現代史』岩波新書</ref>。なお、当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。 |
計約11億ドルにものぼるものであった<ref>文京洙『韓国現代史』岩波新書</ref>。なお、当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。 |
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また、用途に関し、「大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。」と定められてあった。 |
また、用途に関し、「大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。」と定められてあった。 |
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2011年9月14日 (水) 23:59時点における版
日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約 | |
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通称・略称 | 日韓基本条約、韓国との基本関係条約 |
署名 | 1965年6月22日(東京) |
発効 | 1965年12月18日 |
言語 | 日本語、韓国語および英語 |
主な内容 | 日本と大韓民国間の、経済協力や関係正常化などの取り決め。 |
条文リンク | 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約 (PDF) - 外務省 |
日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(にほんこくとだいかんみんこくとのあいだのきほんかんけいにかんするじょうやく、昭和40年条約第25号)とは、1965年(昭和40年)6月22日に日本と大韓民国との間で結ばれた条約。通称日韓基本条約。経済協力や関係正常化などの取り決めがある。条約は英語と日本語と韓国語(朝鮮語)で二部ずつが作られ、それぞれ両国に保管されている。なお竹島(韓国名独島)問題は紛争処理事項として棚上げされた。
条約の内容
条約は7条からなる。第2条では、両国は日韓併合(1910年)以前に朝鮮、大韓帝国との間で結んだ条約(1910年(明治43年)に結ばれた日韓併合条約など)の全てをもはや無効であることを確認し、第3条では日本は韓国が朝鮮にある唯一の合法政府であることを確認し、国交を正常化した。
この条約によって国交正常化した結果、日本は韓国に対して多額の経済援助を行った。政府開発援助 (ODA) もその一環である。
条約交渉の経緯
この交渉の背後には1951年7月頃からアメリカ政府の主導があったことが知られており、韓国がサンフランシスコ講和条約に参加することを連合国側から拒絶され、当事国になることができず、当時の李承晩大統領が日本との直接対話を希望し東京の連合軍最高司令部(SCAP)でシーボルト外交局長の立会いのもとに会談(予備会談が1951年10月20日から)が開始された経緯がある[1]。
1965年当時、アメリカはベトナム戦争に本格参戦を企図しており、アジアにおける重要な橋頭堡であった日本と韓国の関係を正常化し、韓国軍の派兵を含め当時世界最貧国のひとつであった韓国を強化し、日韓双方が協力してベトナム戦争を支えるようアメリカ合衆国が日本と韓国に圧力をかけて双方の妥協を強要したのだという見方もある。
交渉では竹島(独島)をめぐる漁業権の問題、戦後補償(賠償)の問題、日本在留の韓国人の在留資格問題や北朝鮮への帰国支援事業の問題、歴史認識を含めた謝罪の問題など当初から多くの問題を含んでおり、李承晩大統領の対日姿勢もあり予備交渉の段階から紛糾し、1953年1月5日から7日までの非公式訪日のさいの吉田茂と李承晩の直接会談も非常に険悪なものであったとされる。交渉が進展しはじめたのは将軍時代の朴正煕が1961年に訪日し池田勇人と会談したことが契機であるとされ、歴史認識問題や竹島(独島)の帰属問題は「解決せざるをもって、解決したとみなす」で知られる丁・河野密約[2]により棚上げとなり、条約の締結に至った。
韓国が日韓交渉中に主張した対日債権(韓国人の軍人軍属、官吏の未払い給与、恩給、その他接収財産など)に対して日本政府は、韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行うと提案したが、韓国政府は個人への補償は韓国政府が行うので日本は韓国政府へ一括して支払って欲しいとし、現金合計21億ドルと各種現物返還を請求した。事務レベル会議にて韓国側は「韓国の対日請求要綱」の全八項目中、第六項から第八項の事項は日韓交渉成立後も個人請求出来るようにと求めるが、日本は個人請求を含め全ての事項は日韓交渉で処理すべきと求めた[要出典](交渉過程は公開済み議事録に記載[誰?])[要出典]。次の日韓交渉で日本は韓国政府へ一括支払いは承諾したが21億ドルと各種現物返還は拒否し、その後、請求額に関しては韓国が妥協して、日本は前述の記載通り独立祝賀金と途上国支援として無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの供与及び融資を行った。
この時、韓国政府はこの供与及び融資を日本に対して債権を有する個々人にはほとんど支給せず、自国の経済基盤整備の為に使用した。現在この点を批判する運動が韓国で起きている。また、交渉過程で、日本が朝鮮を統治している時代に朝鮮半島に残した53億ドル分の資産は、朝鮮半島を占領した米ソによってすでに接収されていることが判明して[3][4]おり、日本はこれらの請求は行っていない。
条約に関する歴史認識の違い
本条約は締結されたとは言え、これ以前に締約された条約や協定に対する「もはや無効であることが確認される」という条文に対して日韓両国の解釈が異なるなど、歴史認識論議が絶えない。韓国側は、本条約の締結により「過去の条約や協定は、(当時から)既に無効であることが確認される」という解釈をしているのに対し、日本側は本条約の締結により「過去の条約や協定は、(現時点から)無効になると確認される」という解釈をしている。
これは、特に韓国併合に対して、韓国側は「そもそも日韓併合条約は無効であった」という立場であるのに対し、日本側は「併合自体は合法的な手続きによって行われ、併合に関する条約は有効であった(よって、本条約を持って無効化された)」という立場をとるという意味である。
付随協約
日韓基本条約締結に伴い、以下の協定及び交換公文形式の約定が結ばれた。
- 財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(日韓請求権並びに経済協力協定)
- 日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(在日韓国人の法的地位協定)
- 日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定(日韓漁業協定)
- 文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定
- 日本国と大韓民国との間の紛争の解決に関する交換公文(→ウィキソース)
韓国に対する日本の経済協力、及び、財産、請求権の解決
1949年、韓国政府は「日本が韓国に21億ドル(当時)+各種現物返還をおこなうこと」を内容とする対日賠償要求を連合国軍最高司令官総司令部に提出しており、日韓基本条約締結のための交渉の際にも同様の立場を継承したうえで、韓国側は対日戦勝国つまり連合国の一員であるとの立場を主張し[5]、日本に戦争賠償金を要求した[6]。
これに対し日本側は、韓国を合法的に領有、統治しており、韓国と交戦状態にはなかったため、韓国に対して戦争賠償金を支払う立場にないと反論し、逆に韓国独立に伴って遺棄せざるを得なかった在韓日本資産(GHQ調査で52.5億ドル[7]、大蔵省調査で軍事資産を除き計53億ドル[8])の返還を請求する権利があると主張した。
日本の対韓請求権に関しては、韓国が米国に照会して日本の対韓請求権は存在しない事を確認し[9]、日本政府も日韓会談の過程でそれを受け入れた。
韓国政府は交渉の過程で、「強制徴用、徴兵被害者など多大な被害を受けた」として日本政府に対し資料の開示と賠償を要求したが、日本政府は「韓国政府に証明義務がある」と主張した。韓国政府は関連資料をすべて日本側のみが持っていると主張した上で強制徴用、徴兵被害者などの被害者数を「103万人余」とした。なおこの数値については、当時交渉に参加した鄭一永元外務次官自身が「適当に算出」したと証言している[10][11]。2009年の韓国政府の発表では約12万人が徴用されたとした[12][13]。
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定
最終的に両国は、協定の題名を「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」とした。この協定において日本は韓国に対し、朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助すること、韓国は対日請求権を放棄することに合意した[14]。
- 両締約国は、両締約国及びその国民(法人含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する(個別請求権の問題解決)。
- 一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益において、一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって1945年8月15日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする(相手国家に対する個別請求権の放棄)。
日本による韓国への供与及び貸付けは、日本では「独立祝賀金と途上国支援」だと国会で説明し、韓国は「財産と対日請求権問題解決における賠償及び補償と経済協力」だと韓国国会で説明している[要出典]。
「経済協力金」とその使途
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定によって日本は韓国に次のような資金供与及び融資をおこなった。
- 3億ドル相当の生産物及び役務 無償(1965年)(当時1ドル=約360円)
- 2億ドル 円有償金(1965年)
- 3億ドル以上 民間借款(1965年)
計約11億ドルにものぼるものであった[15]。なお、当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。
また、用途に関し、「大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。」と定められてあった。
韓国政府はこれらの資金を1971年の対日民間請求権申告に関する法律及び1972年の対日民間請求権補償に関する法律(1982年廃止)によって、軍人・軍属・労務者として召集・徴集された者の遺族に個人補償金に充てた。しかし戦時徴兵補償金は死亡者一人あたりわずか30万ウォン(約2.24万円)であり[16]、個人補償の総額も約91億8000万ウォン(当時約58億円)と、無償協力金3億ドル(当時約1080億円)の5.4%に過ぎなかった。また、終戦後に死亡した者の遺族、傷痍軍人、被爆者、在日コリアンや在サハリン等の在外コリアン、元慰安婦らは補償対象から除外した。
韓国政府は賠償金と資金の大部分は道路やダム・工場の建設などインフラの整備や企業への投資に使用し、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展に繋げた[17]。
反対運動
条約締結に際し、日韓両国で激しい反対運動が起こったが、1965年8月14日、韓国国会は条約批准の同意案を可決した[18]。日本での反対運動は学生活動家や旧社会党などによって展開された[19]。そこでは朝鮮民主主義人民共和国を無視した韓国との単独国交回復に反対するものが主であった。
結局、衆参両院の日韓特別委員会に於いて与党の自民党がこの条約の委員会採決を強行。本会議でも自民党と民社党のみが出席(他党は審議拒否)して条約の承認を可決した。一方で韓国側の反対運動は感情的な反日論特に歴史認識、請求権、李承晩ライン破棄等で、韓国側は従来の主張を大幅に譲歩させたためこれに対して「売国奴。」「豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の日帝侵略の償いをはした金で許すのか。」「屈辱的譲歩。」というものが大勢ではあったがその他にも朴政権【当時の朴政権は軍事独裁政権であった。なおこの種の開発独裁に関する不正蓄財やODAに関する批判はフィリピンやペルー等反日感情がとりわけ強くない国でも起きておりこの視点の批判が韓国特有のものというわけではない。】の不正蓄財に日本側の資産が流用されると言った韓国国内の政治事情にからむ反対意見や日本資産の直接流入による貿易赤字や失業率の増大低賃金労働の固定化等経済的事情を主張する意見もあった。[要出典]
なお日本の左派はこの時点ではさほど韓国には肩入れしておらず後年のような歴史認識の相違等は主たる反対理由にはしていなかった。韓国側は最終的に戒厳令を敷いてデモを鎮圧している。
北朝鮮との交渉
北朝鮮政府は「日本はまだ北朝鮮に対して、戦後賠償や謝罪をしていない」と、北朝鮮による日本人拉致問題の解決の交渉の上で再三述べ、日朝国交正常化と日本の北朝鮮に対する戦後賠償と謝罪が何より先決だと主張している。
日韓両国は日韓基本条約第三条にて韓国政府の法的地位を「国際連合総会決議第百九十五号(III)に明らかに示されているとおりの」として朝鮮にある唯一の合法的な政府とすることで合意した。この国連決議は韓国の単独選挙を行うことに関する決議であるが、韓国の単独選挙は米軍政府管轄区域(38度線以南)のみで行われ、ソ連軍政府管轄区域である38度線以北は除外された。
日韓交渉当時、北朝鮮政府の存在そのものを認めない韓国は当然、この決議を韓国政府の正統性の根拠として休戦ライン以北を含めた朝鮮半島全域に支配権があると解釈している[要出典]。一方、日本は国連決議どおり、米軍政府管轄区域(38度線以南)のみで行われた単独選挙なので、韓国政府が朝鮮にある唯一の合法的な政府ではあるがその支配は元米軍政府管轄区域であった朝鮮南部のみで、元ソ連軍政府管轄区域であった朝鮮北部は、非合法組織(北朝鮮)によって支配されていると解釈している[要出典]。
日本は現在、このような解釈をもとに、北朝鮮による日本人拉致問題の解決と日本の北朝鮮に対する国交正常化後の経済協力を包括した日朝国交正常化交渉を行っている。
韓国政府における議事録の公開
2005年1月17日、韓国において、韓国側の基本条約、及び、付随協約の議事録の一部が公開された。韓国政府は、公表と同時に、「政府や旧日本軍が関与した反人道的不法行為は、請求権協定で解決されたとみられず、日本の法的責任が残っている」との声明を発表した。2004年1月11日の朝鮮日報は、日本政府は韓国政府に対して非公開を随時要請していたとしている。日本は、(議事録、メモなどの日韓会談に関する文書の公開は)日朝交渉への影響を及ぼすとして、公開しておらず、韓国の文書公開に対しても、町村外務大臣(当時)が、これまでの方針に変わりがないと述べるにとどまっている[要出典]。
韓国側の議事録が公開されると、日本と韓国間の個人賠償請求について当該諸条約の本文に「完全かつ最終的に解決した」と「1945年8月15日以前に生じたいかなる請求権も主張もすることができないものとする。」の文言が明記されている事が韓国国内に広く知られるようになり大きな衝撃が広がった。この事は日本でも報道され、在日コリアン達にも大きな衝撃を与えた(この議事録公開により、在日韓国人の地位については、当初は普通の外国人と同等の扱いを考えていた日本が、永住権付与を求めた韓国側に譲歩して決着したこともわかっている)[要出典]。
また、韓国では2005年8月26日に追加公開を行った。公開前に、国益に著しく反すると判断されるごく一部については非公開とされた。公開における文書の分量は、156冊で、3万5354ページである。
韓国側の議事録が明らかになったことで、日韓交渉時における韓国政府の交渉に不満を持つ一部の韓国国民は、再交渉して条文の補填を要求している。
盧武鉉政権以降の再請求
韓国政府や韓国メディアはこの協定による賠償請求権の解決について1965年当時からも韓国国民に積極的に周知を行わうことはなく、民間レベルでも日本政府への新たな補償を求める訴えや抗議活動がなされ続けていた。賠償請求の完全解決は、韓国側議事録でも確認されており、日本政府もこの協定により日韓間の請求権問題が解決したとしているが[20]、韓国政府は2005年の盧武鉉政権以降から、慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者の問題は対象外だったと主張をはじめた[21](#韓国政府における議事録の公開参照)。また2005年4月21日、韓国の与野党議員27人が、日韓基本条約が屈辱的であるとして破棄し、同時に日本統治下に被害を受けた個人への賠償などを義務付ける内容の新しい条約を改めて締結するように求める決議案を韓国国会に提出した。とともに、日韓両政府が日韓基本条約締結の過程を外交文書ですべて明らかにした上で韓国政府が日本に謝罪させるよう要求した。
韓国政府による対日補償要求終了の告知
ソウル行政裁判所による情報公開によって韓国人の個別補償は日本政府ではなく韓国政府に求めなければならないことがようやく韓国民にも明らかにされてから、2009年8月14日、日本への徴用被害者の未払い賃金請求は困難であるとして、韓国政府が正式に表明するにたった [22]。補償問題は1965年の日韓国交正常化の際に日本政府から受け取った「対日請求権資金」ですべて終わっているという立場を、改めて韓国政府が確認したもので、今後補償や賠償の請求は韓国政府への要求となる[23]。
原文 (Wikisource)
脚注
- ^ 「日韓国交正常化交渉過程における韓国政府の対日政策決定に関する一考察」李相烈(東京大学法学部・大学院法学政治学研究科2002.3)[1]院生論文であり取扱注意
- ^ 小針進 「(書評)ロー・ダニエル著 『竹島密約』」, アジア研究 (アジア政経学会), Vol.55, No.4, Oct-2009.
- ^ 大蔵省財政史室編 『昭和財政史-終戦から講和まで』 東洋経済新報社, (巻数、ページ不明。第1巻 1984/01. ISBN 978-4492810316)
- ^ インドがイギリスから独立したとき、イギリス人やイギリス企業がインドに持っていた資産が独立後も継続して保証されたというように、植民地が独立した場合にも宗主国財産は従前の通り保証される場合が多かった。ただし、イランやインドネシアのように、独立後に強制接収されるケースもある
- ^ 韓国は対日講和条約である日本国との平和条約の締結時も戦勝国(連合国)として署名を米国務省に要求しているが拒否されている。日本国との平和条約#韓国の署名問題参照。
- ^ 日本国との平和条約では第14条にて日本が賠償を行う国は日本が占領し損害を与えた連合国と規定されているため、韓国は対象とはならない。
- ^ 冨山泰『「韓国への戦後賠償はまだ済んでいない」と言われたら』諸君!2006年4月号、117頁。
- ^ 大蔵省財政史室編『昭和財政史。終戦から講和まで』東洋経済新報社
- ^ 米軍政法令第33条(1945年12月)帰属財産管理法を公布、米軍政府管轄地域における全ての日本の国有・私有財産を米軍政府に帰属させる。日本国との平和条約第二条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
- ^ 2005年1月20日、当時韓国がまとめた103万人余という数字は「証拠能力のない」もので「適当に算出された数字」だったことを明らかにした。“日帝被害者数103万人は適当に算出”. 朝鮮日報. (2005年1月21日) 2010年3月21日閲覧。
- ^ “[한일협정·문세광 사건 문서공개“희생자 103만명은 주먹구구식으로 산출””] (韓国語). 朝鮮日報. (2005年1月21日) 2010年3月21日閲覧。
- ^ “Japan forcibly mobilized 120,000 Koreans as laborers: panel” (英語). 聯合ニュース. (2009年1月30日) 2010年3月21日閲覧。
- ^ “日本による強制動員の被害者、約12万人を確認”. 聯合ニュース. (2009年1月30日) 2010年3月21日閲覧。
- ^ 田中明彦. “日韓請求権並びに経済協力協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)”. 東京大学東洋文化研究所. 2010年5月19日閲覧。
- ^ 文京洙『韓国現代史』岩波新書
- ^ 文京洙『韓国現代史』p.111
- ^ “日本の請求権資金、韓国が最も効率的に使用”. 東亜日報. (2005年1月19日) 2010年3月21日閲覧。
- ^ 今日の歴史(8月14日) 聯合ニュース 2009/08/14
- ^ 新左翼諸派は、60年安保後の共産主義者同盟(ブント)の分裂から再編・復興への端境期に当たり、反対運動の中心を担う存在ではなかった。
- ^ “「個人請求権は解決済み」日本外務省が立場表明”. 聯合ニュース. (2010年3月18日) 2010年8月22日閲覧。
- ^ “慰安婦、日本に法的責任 韓国政府が再確認”. 産経新聞. (2010年3月15日) 2010年8月22日閲覧。
- ^ 徴用被害者の未払い賃金請求は困難、政府が立場表明 聯合ニュース 2009/08/14
- ^ “対日補償要求は終了 韓国政府が公式見解”. 産経新聞. (2009年8月16日) 2011年8月20日閲覧。
外部リンク
- 条約全文(データベース「世界と日本」)
- 英文版(同上)
- 日本と朝鮮半島資料集 東京大学東洋文化研究所 日韓請求権並びに経済協力協定など関連諸協定条文
- 財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定
- 日韓歴史共同研究委員会・第3分科(近現代)報告書
- 協定調印(韓国語)