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「船橋オートレース場」の版間の差分

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=== 平成以降 ===
=== 平成以降 ===
船橋オートレース場の車券売上額は、[[1990年]](平成2年)度に約744億円、入場者数は[[1992年]](平成4年)度に約113万6000人と過去最高を記録したが、以降、公営競技全体の売上が右肩下がりで落ち込む中、船橋オートレースも例外なく厳しい収支が続き([[2013年]](平成25年)度は売上額約103億円、入場者数約15万4000人)<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/premium/news/150110/prm1501100007-n2.html|title=オートレース発祥の地「船橋オート廃止決定」のショック…ガラガラのスタンド、苦境の公営競技、消えゆく“昭和の遺物”|work=産経ニュース|newspaper=産経新聞社|date=2015-01-10|accessdate=2015-01-10}}</ref>、千葉県営は[[1998年]](平成10年)度より、船橋市営は[[1997年]](平成9年)度より収支が単年度赤字となっており、黒字化のために[[2006年]](平成18年)度から開催運営をオートレース場では初となる民間企業による包括委託を行っている<ref name="hi">[http://www.pref.chiba.lg.jp/zaisei/press/2014/funabashiauto.html 船橋オートレース事業について] - 千葉県HP・2014年8月13日</ref>。当初の委託先企業は当場にトータリゼータシステムを納入していた[[日本トーター]]であったが[[2014年]](平成26年)3月末をもって撤退。同年4月より委託先は[[日本写真判定]]へ変更された。
船橋オートレース場の車券売上額は、[[1990年]](平成2年)度に約744億円、入場者数は[[1992年]](平成4年)度に約113万6000人と過去最高を記録したが、以降、公営競技全体の売上が右肩下がりで落ち込む中、船橋オートレースも例外なく厳しい収支が続き([[2013年]](平成25年)度は売上額約103億円、入場者数約15万4000人)<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/premium/news/150110/prm1501100007-n2.html|title=オートレース発祥の地「船橋オート廃止決定」のショック…ガラガラのスタンド、苦境の公営競技、消えゆく“昭和の遺物”|work=産経ニュース|newspaper=産経新聞社|date=2015-01-10|accessdate=2015-01-10}}</ref>、千葉県営は[[1998年]](平成10年)度より、船橋市営は[[1997年]](平成9年)度より収支が単年度赤字となっており、黒字化のために[[2006年]](平成18年)度から開催運営をオートレース場では初となる民間企業による包括委託を行っている<ref name="hi">[http://www.pref.chiba.lg.jp/zaisei/press/2014/funabashiauto.html 船橋オートレース事業について] - 千葉県HP・2014年8月13日</ref>。[[2008年]](平成20年)12月山側第2スタンド2階を改装し、『[[サテライト船橋]]』を開設。当初の委託先企業は当場にトータリゼータシステムを納入していた[[日本トーター]]であったが[[2014年]](平成26年)3月末をもって撤退。同年4月より委託先は[[日本写真判定]]へ変更された。


オートレース場東側の飛行場だった敷地に造成された[[ランズボローメイズららぽーと迷路]]跡地で営業していた[[ららぽーとスキードームSSAWS]]の解体後、[[2006年]](平成18年)[[4月24日]]にスウェーデンの大型家具店[[イケア]]が開業。[[2007年]](平成19年)1月に不動産会社4社により総戸数1211戸、さらに[[2008年]](平成20年)2月に総戸数684戸の高層大型マンションが相次いで完成したことにより、マンション購入者によるオートレース特有の排気音による騒音問題が再燃<ref>[http://www.city.funabashi.chiba.jp/assembly/006/002/003/003/p008225.html 船橋市議会・請願陳情文書表(平成20年第3回定例会)]。</ref>。しかし、経費削減の一環による船橋オートレース開催日の減少(平成27年度開催日62日)、整備日・練習日のマンション自治会への事前連絡、エンジン調整時の空ぶかしや、朝・夕練習走行の時間制限等、あらゆる対策が取られた。また、消音効果を高めた新型マフラーの全場導入<ref>[http://autorace.jp/information/2009/0301_silencer/0301_silencer.html 新型マフラーの導入について(平成21年4月開催~)]AutoRace(公益財団法人JKA)2009年3月1日</ref>により、この問題は収束へ向かう。近年は隣接マンションや[[若松団地]]の学区である[[船橋市立若松小学校]]より社会科の校外授業としてオートレース場見学の受け入れ<ref>[http://funabashi-auto.jp/topic/%E8%8B%A5%E6%9D%BE%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%80%80%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E8%A6%8B%E5%AD%A6/ 船橋オート|トピックス 若松小学校 社会科見学 [[船橋オート]]2014年6月6日]</ref><ref>[http://funabashi-auto.jp/topic/1828/ 船橋オート|トピックス 【若松小の2年生からお礼の手紙がきました】[[船橋オート]]2014年10月18日]</ref>、マンション自治会主催の祭りに船橋オート新人選手による縁日屋台を出すなど、両者の関係は良好であった。
オートレース場東側の飛行場だった敷地に造成された[[ランズボローメイズららぽーと迷路]]跡地で営業していた[[ららぽーとスキードームSSAWS]]の解体後、[[2006年]](平成18年)[[4月24日]]にスウェーデンの大型家具店[[イケア]]が開業。[[2007年]](平成19年)1月に不動産会社4社により総戸数1211戸、さらに[[2008年]](平成20年)2月に総戸数684戸の高層大型マンションが相次いで完成したことにより、マンション購入者によるオートレース特有の排気音による騒音問題が再燃<ref>[http://www.city.funabashi.chiba.jp/assembly/006/002/003/003/p008225.html 船橋市議会・請願陳情文書表(平成20年第3回定例会)]。</ref>。しかし、経費削減の一環による船橋オートレース開催日の減少(平成27年度開催日62日)、整備日・練習日のマンション自治会への事前連絡、エンジン調整時の空ぶかしや、朝・夕練習走行の時間制限等、あらゆる対策が取られた。また、消音効果を高めた新型マフラーの全場導入<ref>[http://autorace.jp/information/2009/0301_silencer/0301_silencer.html 新型マフラーの導入について(平成21年4月開催~)]AutoRace(公益財団法人JKA)2009年3月1日</ref>により、この問題は収束へ向かう。近年は隣接マンションや[[若松団地]]の学区である[[船橋市立若松小学校]]より社会科の校外授業としてオートレース場見学の受け入れ<ref>[http://funabashi-auto.jp/topic/%E8%8B%A5%E6%9D%BE%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%80%80%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E8%A6%8B%E5%AD%A6/ 船橋オート|トピックス 若松小学校 社会科見学 [[船橋オート]]2014年6月6日]</ref><ref>[http://funabashi-auto.jp/topic/1828/ 船橋オート|トピックス 【若松小の2年生からお礼の手紙がきました】[[船橋オート]]2014年10月18日]</ref>、マンション自治会主催の祭りに船橋オート新人選手による縁日屋台を出すなど、両者の関係は良好であった。


競走面に於いて船橋所属選手の層は厚く、全国のオートレース場でトップクラスの選手が多数在籍したが、充分な設備投資がないまま売上減少に歯止めがかかる事はなかった。
[[2008年]][[12月13日]]には山側第2スタンドを改装し、[[競輪]]の[[競輪場外車券売場|場外車券売場]]である『[[サテライト船橋]]』を開設している。

競走面での船橋所属選手の層は厚く、全国のオートレース場でトップクラスの選手が多数在籍したが、充分な設備投資がないまま売上減少に歯止めがかかる事はなかった。


== 廃止の経緯 ==
== 廃止の経緯 ==

2016年5月4日 (水) 21:17時点における版

船橋オートレース場
船橋オートレース場全景
地図
基本情報
所在地 千葉県船橋市浜町2-4-1
座標 北緯35度40分50秒 東経139度59分21.9秒 / 北緯35.68056度 東経139.989417度 / 35.68056; 139.989417座標: 北緯35度40分50秒 東経139度59分21.9秒 / 北緯35.68056度 東経139.989417度 / 35.68056; 139.989417
電話投票 01#
開設 1950年昭和25年)10月29日
1968年(昭和43年)1月11日 現在地へ移転
閉場 2016年平成28年)3月21日(本場最終開催)
2016年(平成28年)3月30日(場外発売)
所有者 株式会社よみうりランド
民間委託 日本写真判定
施行者 千葉県・船橋市
重勝式投票 オッズパークLOTO
(管理施行者は伊勢崎市
公式サイト http://www.funabashi-auto.jp/
実況
担当 吉原完二宮淳一
所属 オフィス・ケイ・ステーション
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船橋オートレース場(ふなばしオートレースじょう)は、かつて千葉県船橋市浜町に存在したオートレース場で、2016年3月をもって廃止となった。開催時の主催は千葉県および船橋市。施設所有は株式会社よみうりランド、土地所有は三井不動産株式会社[1]

実況は基本的に吉原完二宮淳一。ごく稀に堂前英男文化放送高橋将市も担当した。かつては奥野国英が担当していた。

概要

全国に存在するオートレース場の中で最も歴史が長く、スタンドの壁面には「オートレース発祥の地」と記されていた。1950年昭和25年)10月29日船橋競馬場の内馬場に全国初のオートレース専用走路として1周800メートルのダートコースを設置し開場した。その後、1967年(昭和42年)7月、閉鎖となった船橋サーキット跡地に1周500メートルの舗装走路を造成。1968年(昭和43年)1月11日、現在地へ移転。移転の際に船橋サーキットのグランドスタンドを流用したため、オートレース場としては珍しくバックストレッチ側にもスタンドのある珍しい配置となっていた。

2009年平成21年)12月31日、例年川口オートレース場で開催されるスーパースター王座決定戦が、当地で一度だけ開催された。

2011年(平成23年)4月以降の開催より、伊勢崎市の管理施行により重勝式車券(ランダム方式4連勝勝2連勝単式とセレクト方式5重勝単勝式)がオッズパーク(インターネット限定)で発売開始。尚、当場を対象とした発売は伊勢崎市の指定を受けた日のみとなり、5月7日から11日まで開催されるGI黒潮杯が初指定であった。

場内施設など

  • 敷地面積:115,703m²(約35,000坪)
  • 競走路1周:500m(幅員:30m)
  • 収容人数:21,714人
  • 駐車場収容台数:658台(13,230m²)
  • 近年の年間平均入場者数は4,500人(最大時12,000人)
  • 人員:399人(2002年度)

歴史

創設から移転まで

オートレースの創設にあたり千葉県が開催することを表明した際、船橋市と市川市が場の誘致に名乗りを上げたが、当時建設中だった船橋競馬場の馬場内にオートレース専用の走路も併設することで競馬場所有者(現在の株式会社よみうりランド)と船橋市が合意し、1950年(昭和25年)8月に競馬場が開設された直後の同年10月に初開催となる『第1回船橋オートレース』が行われている[2]。しかし併設による競馬とオートレースとの開催日振り分けで互いに開催日数が制限され、競走車の騒音が競走馬に影響を与えていた。当初競馬場内での開催は5年ほどの暫定措置として承認されていたため、次第に競馬場外への移転を迫られることになる[3]

1955年(昭和30年)より船橋市もレース場の所在自治体としての開催権を得て、千葉県と共に施行者として交互に開催するようになったが、船橋オートレースの運営団体である当時の千葉県小型自動車競走会には創設時の経緯から市川市の関係者[注釈 1]も多数いたことから、1958年(昭和33年)の年明けから市川市内への移転が本格的に検討されたものの、当時の船橋市は財政赤字を抱えていたため開催権を返上することになる市川市への移転を拒否した。またオートレース場の移転に関する手続き自体も定まっていなかった[注釈 2]こともあり、移転に関する動きはしばらく停滞する[3]

しかし1962年(昭和37年)の小型自動車競走法改正で移転について明文化[4]され、1965年(昭和40年)4月には当時の通産省省令によりダート走路の使用不可が発表されたことから競馬場外への移転が不可避な状況になった。この頃競馬場の近隣に船橋サーキットを開設していた朝日土地興業株式会社[注釈 3]から、サーキットの経営不振により同地へのオートレース移転引き受けの申し出があり、各関係団体との協議の結果、同地へ移転し朝日土地興業が土地を所有したまま、よみうりランドが場内の施設を造成し所有する形態でも、開催日数の増加により収益が見込めたことから移転の方針で固まる[5]。その際同地に隣接する船橋飛行場を挟んだ東側に若松団地の造成を計画していた当時の日本住宅公団が騒音悪化の恐れから反対を表明したが、まだ団地が建設前であったことから互いに騒音対策を施すことで公団側も譲歩[6]し、こうしてオートレース場の移転が決定した[3]

1967年(昭和42年)7月のサーキット閉鎖から走路の工事に着手し、年内に完成させ1968年(昭和43年)1月に移転した。1969年(昭和44年)には東側に騒音対策を目的として防音壁を兼ねたスタンドを完成させ、サーキット時代から流用されていた海側スタンドも1974年(昭和49年)から2回に分けて改築し1977年(昭和52年)に完成した[6]

平成以降

船橋オートレース場の車券売上額は、1990年(平成2年)度に約744億円、入場者数は1992年(平成4年)度に約113万6000人と過去最高を記録したが、以降、公営競技全体の売上が右肩下がりで落ち込む中、船橋オートレースも例外なく厳しい収支が続き(2013年(平成25年)度は売上額約103億円、入場者数約15万4000人)[7]、千葉県営は1998年(平成10年)度より、船橋市営は1997年(平成9年)度より収支が単年度赤字となっており、黒字化のために2006年(平成18年)度から開催運営をオートレース場では初となる民間企業による包括委託を行っている[8]2008年(平成20年)12月山側第2スタンド2階を改装し、『サテライト船橋』を開設。当初の委託先企業は当場にトータリゼータシステムを納入していた日本トーターであったが2014年(平成26年)3月末をもって撤退。同年4月より委託先は日本写真判定へ変更された。

オートレース場東側の飛行場だった敷地に造成されたランズボローメイズららぽーと迷路跡地で営業していたららぽーとスキードームSSAWSの解体後、2006年(平成18年)4月24日にスウェーデンの大型家具店イケアが開業。2007年(平成19年)1月に不動産会社4社により総戸数1211戸、さらに2008年(平成20年)2月に総戸数684戸の高層大型マンションが相次いで完成したことにより、マンション購入者によるオートレース特有の排気音による騒音問題が再燃[9]。しかし、経費削減の一環による船橋オートレース開催日の減少(平成27年度開催日62日)、整備日・練習日のマンション自治会への事前連絡、エンジン調整時の空ぶかしや、朝・夕練習走行の時間制限等、あらゆる対策が取られた。また、消音効果を高めた新型マフラーの全場導入[10]により、この問題は収束へ向かう。近年は隣接マンションや若松団地の学区である船橋市立若松小学校より社会科の校外授業としてオートレース場見学の受け入れ[11][12]、マンション自治会主催の祭りに船橋オート新人選手による縁日屋台を出すなど、両者の関係は良好であった。

競走面に於いて船橋所属選手の層は厚く、全国のオートレース場でトップクラスの選手が多数在籍したが、充分な設備投資がないまま売上減少に歯止めがかかる事はなかった。

廃止の経緯

2014年(平成26年)8月、施行者である千葉県および船橋市が「売上減少状況が続く中で、施設改修費用を捻出するのは困難」という理由から2016年(平成28年)3月31日をもって廃止する予定であることが報道され[13]、同月12日に施行者側が正式に廃止の方針を発表し[8]、オートレースを統括するJKAも廃止について公表した[14]

選手会船橋支部長の永井大介は「選手会から相応の支援金を捻出するなど、何とか存続させたいと頑張っているときに廃止決定なんて、とても納得できるものではありません」と怒りを露わにし[15]、全日本オートレース選手会船橋支部を中心とした存続を求める署名活動を行った[16]。こうして集められた12万名の署名は船橋市および千葉県へ提出された[17]。また2015年(平成27年)4月26日に実施された船橋市議会選挙に船橋所属選手の梅内幹雄が立候補して当選[18]し、議会でオートレース場の存続を訴えたが、両施行者の方針を転換させるまでには至らず、統括のJKAも2016年(平成28年)1月8日に船橋オートレース場の廃止に関する対応などを公表する[19]。全日本オートレース選手会と同船橋支部は同年1月24日に各運営団体側の方針を受け入れることを表明し[20]、これを受けて両施行者は同年2月2日、正式に廃止を発表した[21]。同年3月21日プレミアムカップ最終日が最後の船橋オートレース開催となったが、存続派の反発は燻り続けており、表彰式では森田健作知事や松戸徹市長へ「必要な投資がされなかったからだ!」、「存続にしろ!」、「帰れ!」等罵声や怒号が飛んだ[22]

その後、同月30日に伊勢崎オートレース場で開催されていたGIIレジェンドカップの場外発売をもって営業を終了し、65年5ヶ月の歴史に幕を閉じた。

廃止に伴う措置

廃止にあたり競輪場外を船橋競馬場の駐車場内に移転させ[23]、その中にオートレース場外車券販売施設を併設させる形で『オートレース船橋』を2016年(平成28年)4月8日に開設した[24]。また、船橋所属選手について2016年(平成28年)4月1日付で山陽オートレース場以外の4場へ移籍が公表されている[19]

なお廃止後の施設および土地の利用については2016年4月現在、発表されていない。

交通アクセス

いずれも開催当時のもの。

参考資料

注釈

  1. ^ 当時の浮谷竹次郎市川市長や川島正次郎衆議院議員など。
  2. ^ 同時期に柳井オートレース場山陽への移転手続きが停滞している。
  3. ^ 船橋ヘルスセンターを含む一帯の土地を所有していたデベロッパー1970年(昭和45年)に三井不動産株式会社が吸収合併するにあたり系列子会社や自社で土地を所有するようになった。

出典

  1. ^ よみうりランド有価証券報告書・第91期 p.30 (PDF)
  2. ^ 『オートレース二十年史』p.34
  3. ^ a b c 『オートレース二十年史』pp.251-265.
  4. ^ 小型自動車競走法第6条
  5. ^ 『オートレース二十年史』p.258
  6. ^ a b 『オートレース三十年史』pp.237-241.
  7. ^ “オートレース発祥の地「船橋オート廃止決定」のショック…ガラガラのスタンド、苦境の公営競技、消えゆく“昭和の遺物””. 産経新聞社. (2015年1月10日). http://www.sankei.com/premium/news/150110/prm1501100007-n2.html 2015年1月10日閲覧。 
  8. ^ a b 船橋オートレース事業について - 千葉県HP・2014年8月13日
  9. ^ 船橋市議会・請願陳情文書表(平成20年第3回定例会)
  10. ^ 新型マフラーの導入について(平成21年4月開催~)AutoRace(公益財団法人JKA)2009年3月1日
  11. ^ 船橋オート|トピックス 若松小学校 社会科見学 船橋オート2014年6月6日
  12. ^ 船橋オート|トピックス 【若松小の2年生からお礼の手紙がきました】船橋オート2014年10月18日
  13. ^ 船橋オートレースが廃止へ 売り上げ減少などが影響 スポーツニッポン 2014年8月4日閲覧
  14. ^ 船橋オートレースの事業について - AutoRace公式HP・2014年8月12日
  15. ^ “【オート】船橋オート廃止へ”. デイリースポーツ社. (2014年8月4日). http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2014/08/04/0007206520.shtml 2015年7月19日閲覧。 
  16. ^ “船橋オート存続へ署名活動 永井、青山ら現役選手が自ら街頭立ち”. 報知新聞社. (2014年8月19日). http://www.hochi.co.jp/gamble/auto/20140818-OHT1T50199.html 2015年7月19日閲覧。 
  17. ^ “永井 船橋オート存続訴え市役所に12万人の署名提出”. スポーツニッポン新聞社. (2014年12月10日). http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/12/10/kiji/K20141210009433070.html 2015年7月19日閲覧。 
  18. ^ 現役オートレーサー梅内氏、初当選「レース場廃止撤回もとめていく」 - SANSPO.COM・2015年4月27日
  19. ^ a b 今後のオートレース事業について - AutoRace(公益財団法人JKA)・2016年1月8日
  20. ^ 船橋オートレース場存続運動について - 一般社団法人全日本オートレース選手会
  21. ^ 船橋オートレース事業の廃止について - 船橋オート・2016年2月2日
  22. ^ 「忘れない船橋オート」 閉場を惜しむ1万2700人 - 東京新聞千葉版2016年3月22日
  23. ^ 場外車券売場「サテライト船橋」の移転について - KEIRIN.JP 2016年4月1日
  24. ^ オートレース場外車券売場「オートレース船橋」4月8日(金)オープン! Auto Race公式 2016年3月7日

関連項目

外部リンク

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