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=== 東日本大震災時における日本国外の政府の退避勧告について ===
=== 東日本大震災時における日本国外の政府の退避勧告について ===
上杉は、2011年12月に出版された書籍において、[[東日本大震災]]が発生した当時、日本国政府は日本から退避勧告しているが、日本の報道機関はこれらについての報道をしていないと主張している<ref>{{Cite |和書|author=上杉隆 |title=国家の恥 一億総洗脳化の真実 |page=188-189}}</ref>。
[[東日本大震災]]が発生した当時に発生した海外政府退避勧告に関して、上杉は2011年12月に出版された書籍にお日本の報道機関はこれらについての報道をしていないいう主張と共に<ref>{{Cite|和書|author=上杉隆|title=国家の恥 一億総洗脳化の真実|page=188-189}}</ref>読売新聞において3月19日に掲載された記事<ref>{{Cite news|date=2011-03-19|newspaper=[[読売新聞]]|title=原発事故、自国民に退避を退避を求めている主な国・地域}}</ref>の図表と酷似した図表を掲載した。国の並び順や言葉遣いを含めて、極めて類似している。この図表の注釈として『著者調べ』と記載されている。そこで、どのような手段で読売新聞の情報を入手したのか、なぜ「日本の報道機関は海外政府の退避勧告に関する報道をしない」という主張と共に、日本の報道機関である読売新聞の記事内容と酷似した内容を掲載したのか疑問視されている

一つ目の疑問については、該当の図表は独自に入手していると上杉は主張してい<ref name="taisikanjyoho">[http://no-border.asia/news/archives/1033 【上杉隆が池田信夫氏に勝訴した事案についてのご報告】]</ref>いつそれら図表が入手されたか、なぜ内容が酷似していかについては明らかになっていない

二つ目の疑問については、上杉は連載において、『あの震災直後の多忙と絶望の一週間の最中に、どうやって私が3月19日の読売新聞の記事を知ったのか不思議だ。』と述べている<ref>{{Cite web|url=http://uesugitakashi.com/?p=2121|title=週刊上杉隆【第17回】|accessdate=2016-05-14|publisher=ダイヤモンド・オンライン}}</ref>。読売新聞の該当記事を知らなかったのであれば、なぜ上杉は日本の代表的な報道機関の一つである読売新聞を読まずに日本の報道機関を批判したのかという疑問が残る。一方、知っていたのであれば、なぜ当該図表と酷似した図表を掲載したのかという疑問が残る。

上杉の連載において、『当時、そうした人々(上杉を攻撃する人たち)は、海外政府やメディアの発表を、「そんな事実はない」「デマだ」と言っていたのだ。』<ref>{{Cite web
上杉の連載において、『当時、そうした人々(上杉を攻撃する人たち)は、海外政府やメディアの発表を、「そんな事実はない」「デマだ」と言っていたのだ。』<ref>{{Cite web
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|accessdate = 2016-05-14 }}</ref>と述べ、海外政府やメディアの発表を上杉が発表したことについてデマであると扱われたと主張している。
|accessdate = 2016-05-14 }}</ref>と述べ、海外政府やメディアの発表を上杉が発表したことについて第三者にデマであると扱われたと上杉は主張しているが、第三者からデマであると扱われたという事実は確認されていない
退避勧告を示す表の注釈として『著者調べ』と記載されている図表と読売新聞において3月19日に掲載された記事<ref>{{Cite news
| title = 原発事故、自国民に退避を退避を求めている主な国・地域
| newspaper = [[読売新聞]]
| date = 2011-03-19}}</ref>の図表が酷似していることが指摘されているが、
図表は独自に入手していると上杉は主張しており、裁判におて主張が認められた<ref name="taisikanjyoho">[http://no-border.asia/news/archives/1033 【上杉隆が池田信夫氏に勝訴した事案についてのご報告】]</ref>。なお各国大使館情報はフリーアクセス情報であ<ref name="taisikanjyoho"/>
上杉は連載において、『あの震災直後の多忙と絶望の一週間の最中に、どうやって私が3月19日の読売新聞の記事を知ったのか不思議だ。』と述べている<ref>{{Cite web
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=== 訂正 ===
=== 訂正 ===
2012年3月14日付の[[夕刊フジ]]に「福島・郡山に人は住めない」という見だしの記事を書いた。しかし、その記事内でコメントをした人物が別人だったことが判明したため訂正が行われた。また[[福島市役所]]前の空間線量が「[[福島民報]]」や「[[福島民友]]」では0.6マイクロシーベルトになっているが同じ日の同じ場所で上杉隆が自分で計測したところ、[[郡山市役所]]前の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超え、不正測定が行われているのではないかと報じた。2月14日のメルマガでは郡山市役所の空間線量が1.0 - 1.3マイクロシーベルトだと書いているが、3月14日の夕刊フジではそれが1.8マイクロシーベルトを超えたと書いている<ref>[https://sites.google.com/site/uesugiweb/home/koriyama 郡山市役所前水洗い問題]</ref>。
2012年3月14日付の[[夕刊フジ]]に「福島・郡山に人は住めない」という見だしの記事を書いた。しかし、その記事内でコメントをした人物が別人だったことが判明したため訂正が行われた。また[[福島市役所]]前の空間線量が「[[福島民報]]」や「[[福島民友]]」では0.6マイクロシーベルトになっているが同じ日の同じ場所で上杉隆が自分で計測したところ、[[郡山市役所]]前の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超え、不正測定が行われているのではないかと報じた。2月14日のメルマガでは郡山市役所の空間線量が1.0 - 1.3マイクロシーベルトだと書いているが、3月14日の夕刊フジではそれが1.8マイクロシーベルトを超えたと書いている<ref>[https://sites.google.com/site/uesugiweb/home/koriyama 郡山市役所前水洗い問題]</ref>。

2016年5月14日 (土) 14:46時点における版

上杉 隆
生誕 (1968-05-03) 1968年5月3日(56歳)
日本の旗 日本 福岡県
教育 都留文科大学文学部英文科
職業 ジャーナリスト
肩書き 株式会社NO BORDER 代表取締役
公益社団法人自由報道協会 副代表
一般社団法人日本ゴルフ改革会議 事務局長
公式サイト http://uesugitakashi.com/
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上杉 隆(うえすぎ たかし、1968年昭和43年〉5月3日 - )は、株式会社NO BORDER代表取締役。公益社団法人自由報道協会副代表。

日本ゴルフ改革会議事務局長[1]

来歴

福岡県生まれ、東京都新宿区育ち。

東京都立広尾高等学校卒業後、1年浪人し、2年留年して都留文科大学文学部英文科卒業[2]。大学在学中、富士屋ホテル(山中湖ホテル)で4年7ヶ月、住み込みで働く 。

上杉の著書『結果を求めない生き方』(P.29 - 31)によれば、大学卒業予定の1991年NHK就職試験に落ちたため、留年することを選択し、翌1992年5月に内々定を得た。同年、「10月1日の正式内定を待って、研修扱いとして一足早く渋谷NHK放送センターで働くことになった」が、大学側の過失により取得済みの単位が未登録となり、「文部省からの天下り役人」である大学の事務局長が自分達の過失を隠すために再び留年になったことを記している。上記の理由によって内定保留のまま勤務する形となり、大学卒業は1994年となる。内定保留状態で継続したNHK勤務は2年1か月間であった。なお、平沢勝栄からの名誉毀損訴訟(後述)で、NHK「記者見習い」という形でアルバイトとして勤務してきたことを東京地裁で証明している[3] 。著者紹介では、「NHK取材記者」と紹介されている[4]

学歴

職歴

人物

多様な価値観

2011年7月のWEB GOETHEのインタビューでは座右銘は「多様な価値観」と回答した[9]。 「多様な意見を受け入れる余裕こそが、今の日本では欠かせない」とし、原発問題も必要と不要という両方の意見があってはじめて、健全な議論が出来るのにも関わらず意見を同一化して少数を排除する空気を危険だと感じている旨を述べている。また、多様性が受け入れられない事で起きる大きな間違いを危惧するとの趣旨を述べた[9]。 かつてはすべての人を意識していた久米宏が敵を作るのを恐れず少数を意識して語るようになってからの言葉、「僕は、100人の視聴者がいたら、そのうちの10人が賛同してくれたらよしとしたんです」というのを聞いた上杉は、自分も敵を作ってもいい気持ちをより強く持つようになり[9]、「100人のうち10人ではなく、1人くらいしか賛同してくれませんけど。でも、それでもいいか、という気持ちでやっています。自分の発言に賛同がなくてもまったく気にならなくなりましたね[9]」 「支持を得るのは100人に1人でもいい。残り99%に好かれようと思ったら何も言えなくなる。誰からも好かれるような話や意見は、誰にも影響を与えない。[10]」というスタンスを披露するようになる。

岩井俊二監督映画『friend after 3.11』に出演した際には、ジャーナリストについて「メディアに対して忠誠を誓わないで、真実に対して忠誠を誓うっていう唯一の職業」と述べ、たまたま自分の情報があっていてもこっちばかりを信じないで欲しいと呼びかけ、多くの情報、多様な価値観の色んな考えの下、社会は形成されているという事に気づく作業を何らかの形で手伝うのが、一つの自分のやる仕事だと思ったとの趣旨を述べている[11]

メディアリテラシー

権力とメディアは、フェアな緊張関係になければならないとするが、上杉によれば、日本のメディアは記者クラブシステムの権力が大きいために官僚が最も得をする『官報複合体』となっていると言う[12]。 強固な記者クラブシステムによる言論の一元化が引き起こす独裁や戦争を懸念し、現在のメディア実態の改善図る手段として上杉は、記者クラブの解放の主張や、『ジャーナリズムの5原則』として バイライン(署名)が無い情報を疑う事や、ソース(情報源)・クレジット(引用)が曖昧な情報を疑う事、コレクション(訂正)や「自分と異なる意見を載せる余裕」として挙げたオプエドを重視する姿勢を示している[12]

ゴルフが趣味

ゴルフが趣味であり、『ゴルフダイジェスト』などのゴルフ専門誌にも寄稿している。『ゴルフが本業、政治はときどき、を目指してます』と、ゴルフジャーナリストを自称することもある[13]。 一般社団法人日本ゴルフ改革会議 の枠組みを事務局長として整えた[14]。 週刊パーゴルフ4月26日号のインタビューにて「誰でもできることは面白くないですよ。30センチのパットをずっと打っていても面白くないでしょう。やっぱりゴルフでも仕事でも、何年やっても思いどおりにならない困難なものが魅力ですね」と述べている[15]

活動や発言について

官房機密費の使途の追及

2010年4月19日のTBSの番組「NEWS23クロス」での「官房長官時代に機密費を評論家に配った[16] 」という野中広務元官房長官の証言をきっかけに、官房機密費が評論家やコメンテーター、新聞の論説・解説委員、記者クラブ所属の記者達にまで流れているのではないかという疑惑が浮上し、上杉は、2010年5月の週刊ポスト紙上で、マスコミ人達の官房機密費受け取り問題の追及キャンペーンを始める [6]。上杉は、マスコミ人達の官房機密費の受け取りは『政府高官の関わった「贈収賄」であり、もはや政界と報道界全体を揺るがす「大疑獄事件」』と見ており、官房機密費は「政治とカネ」の問題の肝で「世界中の健全なジャーナリズムであれば、税金を原資とする機密費が、権力の不正をチェックすべき側のメディアに渡っていたとしたら、大問題となって連日、大騒ぎしていることだろう」と述べている[6]。2010年5月18日付特報欄の記事で明らかにされた、政治評論家の三宅久之氏が中曽根内閣時代、藤波孝生官房長官の秘書から受け取った100万円の資金提供が内閣官房からの領収書の無い金であったことは機密費であった可能性を高くするとしている[6]

「記者クラブ制度」糾弾

多くの著書や連載で、「記者クラブ」が省庁などの記者会見を主催し、日本の大手メディアに属す記者クラブメンバーのみの参加者・質問者、という日本の制度を批判している。 上杉は、記者クラブの恩恵を最も受けているのは官僚であると主張している[12]。上杉の著作の『記者クラブ崩壊』では、13億4308万円が中央官庁から記者クラブへ便宜供与されていたという主張を行っている。上杉は、「新聞は、筆者の氏名と発言を紙面に反映させないよう自主規制を徹底強化し、テレビも出演を見合わせるよう圧力をかけた。」と主張している[17]。 ニューヨークタイムス、ワシントンポストなど海外大手メディアも記者クラブには入れないため、上杉は、直接会見に参加できないことがアジア支社の日本完全撤退・縮小の原因となったと主張している[18]。上杉は記者クラブ制度について、日本特有の制度だと批判し、記者会見でも政治家、大臣に対し会見の開放を求める立場から質問。2009年の民主党による政権獲得以降、複数の省庁が記者会見をオープンにしたり、フリー記者やネットメディアを対象とした懇談を行うきっかけとなった。

その中でも有名なものに、2009年3月24日、民主党小沢一郎代表の記者会見がある。同会見で上杉は「政権交代が実現したら記者クラブを開放し(続け)て首相官邸に入るのか」と質問。小沢は 「日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。(略)どなたでも会見にはおいでくださいということを申し上げております。この考えは変わりません」と回答した[19]。同種の質問を、その後同党の代表になった鳩山由紀夫にもぶつけ、オープンな会見への方針に変化が無いとの言葉を引き出した。民主政権になり一部の記者会見ではオープンになった。

現在、数名のフリーランス記者やインターネットメディアのニコニコ動画が総理会見に出席できるのは、このときの上杉の尽力によるものである[要出典]

2011年1月26日に自由な記者会見の場を提供すべく「自由報道協会」を結成した[20]

小沢一郎会見後、読売新聞記者のルール違反に抗議

2011年10月20日、上杉が暫定代表を務める「自由報道協会」が主催した小沢一郎元民主党代表の記者会見が行われた[21]際に多くの質問者が出ることが見込まれたため出来るだけ多くの人に質問させる意図から「原則一人一問」というルールを設けていたが、読売新聞の恒次徹記者が、司会者の再三の注意にも関わらず複数の質問をしたところ、ルール違反したとして会見終了後、上杉は自由報道協会代表として岩上安身とともに「記者会見について司会者に従うこと」について恒次記者に暴言を交えながら詰問し、恒次記者が「回答が曖昧な場合、記者が続けて行う関連質問」として反論をしてやり取りの模様がネット上に動画で公開された[22][21][23]。恒次記者は最終的に別の協会メンバーの「次回からルール厳守をお願いします」という言葉にうなづいて会場を後にし、自由報道協会ルールを守ることに同意した模様[24]。読売新聞は「恒次記者の質疑応答時間は約4分30秒、その後に質問した4人の平均質疑応答時間は約5分」としている[22]

翌10月21日付けで、自由報道協会は代表の上杉隆名義で、読売新聞の恒次記者宛に、司会者の指示に従わなかったことを挙げて、「記者会見上のルールを無視し、進行を妨げたことは誠に遺憾」旨の抗議文を送付[25][22]

一方22日には上杉が恒次記者に対して複数回の暴言を吐いたことが同協会の健全性と信頼性を傷つけたとし、同協会幹事長及び会員に対して、代表辞任届を提出(不受理)[26]

読売新聞によると、読売新聞読者センターに寄せられた意見は10月26日時点で141件寄せられ、恒次記者を支持する意見もあったが殆どは恒次記者に対する批判であったとしている.ところが同じ文面のメールが多数あったと指摘されている[27]

なお、上杉は2010年1月9日に「日本文化チャンネル桜」で放送された「新春討論・平成22年この国の行方」においては、「(日本の記者クラブでは)2問目の質問が出来ない。これは日本だけですけど、こんなことをやっているのは。世界中で普通ジャーナリストは権力を追及する時に、相手がごまかした場合は次の質問者もその次の質問者も、ちゃんと答えるまで追求できる訳ですよね。これは。ただ、日本だけは記者クラブの訳の分からんルールで、一人一問とかですね、助け舟を出すと。」と述べたことがある。

TBSラジオ降板をめぐって

2012年1月27日、映画評論家の町山智浩がツィッター上で、上杉がレギュラー出演していたTBSラジオの番組「キラキラ降板の理由は、(海外で報道されていたメルトダウンの可能性を公表しなかった)東電批判をしたためでなく、震災前に上杉さんが放送で官房長官が機密費を「ネコババ」したと発言、長官の抗議に対してTBS(ラジオ)が上杉さんの意思に反して謝罪して揉めた件ですよね?」と質問した[28]

町山は、上杉が鳩山元首相主催勉強会にて、東京電力電事連批判のあとに降板させられたと発言している記録、上杉が東電批判のせいで降板させられたと発言しているドイツのシュピーゲル誌のインタビューなどを挙げた。

ただ、上杉は、2011年4月の鳥賀陽弘道との対談(『報道災害 【原発編】』幻冬舎新書、2011年7月に掲載)において、「降板は、東電批判以外なら、官房機密費くらいしか考えられない」と、どちらの可能性もあることを示唆していた。

直接是正したいという上杉隆本人の希望により、2012年3月14日、『ニコ生×BLOGOS番外編』にて直接対談が実現[29]。この放送は延べ19万人が視聴した。

メルトダウンに関する報道をめぐって

上杉は、2011年3月12日、「【速報】 原子力安全・保安院によると、福島第1原発1号機で炉心溶融(メルトダウン)が始まった模様。放射性セシウムが検出。安全を確保して退避を。」とツイートした[30]

このツイートに対し、2011年03月12日のブログ記事で福島第一原発の炉心溶融(メルトダウン)を否定していた池田信夫[31][32]は、2016年2月に東電の炉心溶融マニュアル判明[33]後に「福島原発のメルトダウンに関し上杉隆氏が「汚名返上」 」という記事が配信される[34] [35]と、2011年3月12日の記者会見で経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官は「炉心溶融がほぼ進んでいる」と言及していたが[36]、池田は、自身のブログで保安員は当時も「炉心溶融」とは言っていないし「メルトダウン」という言葉は使っていないとして、2011年03月12日の上杉のツイートは事実無根であるとして、上杉を嘘つきと表現していた[37]

上杉は、東日本大震災発生当時、海外ではメルトダウンの可能性を報道しているが、日本国内ではメディアがメルトダウンの可能性を全く伝えておらず、むしろ否定していたと主張している[38]。さらに、上杉がメルトダウンの可能性を指摘すると、デマ扱いされたと主張した[39]。放射線は原子力発電所から出ていない、プルトニウムは安全だなどの報道が国内でなされたと主張している[40]。 なお、「報じてなかった」という表現については後に「報じていたが、十分ではなかった」という表現に一括訂正している[41]。 3月13日、炉心溶融の可能性については新聞で1面で触れられる[42][43]が3月13日時点で、炉心溶融を「メルトダウン」と報じた新聞は確認されていない。 3月12日の記者会見で炉心溶融に言及した経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官が更迭後は、東電の方針を受けて新聞各紙は「炉心損傷」と表現するようになった[36]

2016年2月に東京電力に原発事故当時にメルトダウンの基準が存在していたのを受けて、「上杉隆の名誉回復を祝う会」という会合が2016年5月19日に開催される予定である [33] [35] [44]

東日本大震災時における日本国外の政府の退避勧告について

東日本大震災が発生した当時に発生した海外政府の退避勧告に関して、上杉は2011年12月に出版された書籍において、「日本の報道機関はこれらについての報道をしていない」という主張と共に[45]読売新聞において3月19日に掲載された記事[46]の図表と酷似した図表を掲載した。国の並び順や言葉遣いを含めて、極めて類似している。この図表の注釈として『著者調べ』と記載されている。そこで、どのような手段で読売新聞の情報を入手したのか、なぜ「日本の報道機関は海外政府の退避勧告に関する報道をしない」という主張と共に、日本の報道機関である読売新聞の記事内容と酷似した内容を掲載したのか疑問視されている。

一つ目の疑問については、該当の図表は独自に入手していると上杉は主張している[47]が、いつそれらの図表が入手されたか、なぜ内容が酷似しているかについては明らかになっていない。

二つ目の疑問については、上杉は連載において、『あの震災直後の多忙と絶望の一週間の最中に、どうやって私が3月19日の読売新聞の記事を知ったのか不思議だ。』と述べている[48]。読売新聞の該当記事を知らなかったのであれば、なぜ上杉は日本の代表的な報道機関の一つである読売新聞を読まずに日本の報道機関を批判したのかという疑問が残る。一方、知っていたのであれば、なぜ当該図表と酷似した図表を掲載したのかという疑問が残る。

上杉の連載において、『当時、そうした人々(上杉を攻撃する人たち)は、海外政府やメディアの発表を、「そんな事実はない」「デマだ」と言っていたのだ。』[49]と述べ、海外政府やメディアの発表を上杉が発表したことについて第三者にデマであると扱われたと上杉は主張しているが、第三者からデマであると扱われたという事実は確認されていない。

訂正

2012年3月14日付の夕刊フジに「福島・郡山に人は住めない」という見だしの記事を書いた。しかし、その記事内でコメントをした人物が別人だったことが判明したため訂正が行われた。また福島市役所前の空間線量が「福島民報」や「福島民友」では0.6マイクロシーベルトになっているが同じ日の同じ場所で上杉隆が自分で計測したところ、郡山市役所前の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超え、不正測定が行われているのではないかと報じた。2月14日のメルマガでは郡山市役所の空間線量が1.0 - 1.3マイクロシーベルトだと書いているが、3月14日の夕刊フジではそれが1.8マイクロシーベルトを超えたと書いている[50]

2012年10月14日、東日本大震災以降に使用してきた表現について、

震災後の3月、4月、日本の大手メディアは●●については報じていない
震災後の春、●●について、記者クラブはほとんど報じていない
●●について、政府の発表を受けたマスコミは、事故発生当初、まったくと言っていいほど報じていなかったかのように述べてきたものを●●について、日本の大手メディア(記者クラブ/マスコミ)の一部は報じてはいたものの、読者・視聴者に伝わるほどそれは十分なものではなかったと訂正することを発表した[51]

「麻生クーデター」説

2007年9月5日発売の『週刊朝日』で、安倍晋三首相(当時)が「麻生太郎自民党幹事長(当時)に騙された」と発言したという記事[52]を書いた。麻生と与謝野馨内閣官房長官(当時)が首相を退陣に追い込む「クーデター」を起こしたという説(クーデター説)について麻生、与謝野は公然と反論した[53]。また、安倍も公式の記者会見で否定している[54]

麻生内閣に関する報道

2008年10月2日、自身のブログの中で、マスメディアが報道していた麻生内閣成立直後の「冒頭解散説」を、麻生首相周囲に解散の気配が無い事を理由に否定した[55]。その後、麻生首相が臨時国会冒頭の衆院解散を決意した可能性[56]があったが、上杉は麻生本人に解散の意向がそこまで強かったかについて、否定的な見解を示している[57]。その後、上杉は10月16日の補正予算の成立を理由に、初めて解散の可能性が出てきたことを述べたが[58]、麻生が実際に10月中旬以降の衆院解散を望んでいたという情報[59][60]が新聞報道などで11月になって明らかにされた。

外務省による抗議

2008年10月21日発売の『週刊朝日』(2008年10月31日号)「麻生『外交』敗れたり」において、上杉は、担当記者とのオフレコ懇談会で外務省齋木昭隆アジア大洋州局長が、「いい加減な記事を書くな」と激高したこと、匿名の外務省幹部が「中曽根外相ほど無能な大臣も珍しい」と述べたことを書いた。外務省は、10月22日、「(斎木局長の)発言内容も激高したという点も、いずれも事実と異なる」、外務省幹部の大臣に関する発言も、「幹部が上杉氏の取材を受けた事実は確認されず、信憑性は疑問だ」と、朝日新聞出版に対し、記事内容についての抗議を行い、訂正を求めた[61]。これに対し上杉は、『週刊朝日』(2008年11月7日号)において、懇談会の様子と斎木局長の発言内容[62]、匿名の外務省幹部の発言「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」[63]を記述し、反論している。その後、鈴木宗男衆議院議員より、「外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」が提出され、政府は、斎木局長の発言事実はなかったとする答弁書を閣議決定している[64][65]

民主党主催ゴルフコンペ

2008年10月28日、ジャーナリストの山岡俊介により、同年5月5日から翌6日に民主党主催のゴルフコンペに参加していたと報じられる。山岡は取材対象相手とは節度ある付き合いをするのが鉄則であり、マスコミ関係者が抵抗感もなく参加することは問題だと批判した[66][67]。上杉はゴルフに参加していた事実を認めた上で、「費用は自腹で払った」と証拠を見せて説明した。また、ゴルフをプレーするだけで癒着や接待とみなすことは、ゴルフ競技への無理解だと反論をしている。

上杉は2010年2月11-13日のtwitterにおいて、これに関する一連の書き込みを行った。たとえば「自民党秘書会ゴルフコンペにて現在トップスコア、と山岡俊介氏に強くアピールしてみる。ちゃんと正しい記事を書いてください、山岡さん(怒)。」[68]との記述があり、twitterの字数制限のため簡略な記述だが「自民党関係者ともゴルフはしており、一党派に偏っているわけではない」との意味を込めたと見られる。

その後の記述ではウィキペディアのゴルフ問題の項目にもリンクを張った上で

  1. 二年前に抗議し、山岡は『ああ、直します』と約束しながら無視している
  2. コンペ参加費込み2万1千円(※の領収書という意味か)を当時山岡に提示した
  3. ジュニア時代含め自腹以外のゴルフは一切ないとも伝えた

と主張している[69][70][71]

朝日新聞記者批判記事

2008年12月、著書『ジャーナリズム崩壊』にて、朝日新聞の記者本多勝一疋田桂一郎がフリージャーナリストの岩瀬達哉を名誉毀損で訴えたとして、名誉毀損で訴えたことは「言論の場での論争を放棄して、司法という権力に判定を委ねることは、反権力を標榜してきた「ジャーナリスト」にとって自殺行為」などと本多と疋田を批判した。しかし、本多が週刊金曜日12月19日号にて「『ジャーナリズム崩壊』に見るジャーナリスト崩壊」と題して、疋田が岩瀬に対する反論書を自費出版して、岩瀬がその反論書を名誉毀損として訴えたというのが事実であり、本多と疋田が訴えたとする上杉の記事は事実と違うと反論した。またこの件に対して疋田夫人から上杉隆への質問状を送ったが未だに返信がないとして質問状の内容を全文公開した。

その後、上杉隆はブログ上で謝罪を行ったことと、書籍の訂正内容を公表したが、書籍にはまったく反映されていない[72]

安倍晋三事務所からの抗議

2009年2月19日発売の『週刊文春』(2009年2月26日号)に「安倍、福田……ひ弱な二世をつくる『後援会』」と題する記事で、安倍元総理を批判した。これに対して安倍事務所は、「事実無根のでっち上げの捏造記事」として週刊文春編集部を通じて上杉に公開質問状を送付した[73]

「週刊文春」名義で回答したが、「当回答は、未公表の著作物ですので、そのままHPで引用、公開されることはお控えください。」と記してあったと、安倍事務所は安倍のホームページで批判した。安倍事務所は、「週刊誌という媒体を使い大々的に安倍議員を誹謗中傷しておきながら抗議されると『それは密室でやりましょう』というのは虫が良すぎる」などと指摘し、HP上に上杉隆の主張を否定する証拠写真などを掲載し、上杉に再度公開質問状を3月5日付けで提出した。しかし上杉は、安倍側が設定した回答期限に従わず、2度の「回答延期のお願い」をした上で[74]、3月22日に回答した。さらに上杉が「二千人以上収容可能な事務所を設営」と書いた記事について、上杉は回答の中で「読売新聞」[75]から引用したと説明したが、安倍事務所は、週刊文春の記事に引用元が示されておらず、元の読売新聞の記事自体も誤りであり、さらに上杉はその記事の内容を改竄して記事をデッチあげた、と批判した[76]。また安倍事務所は、「当初は週刊文春編集部の影に隠れ、今度は文春の顧問弁護士に任せるという卑劣な手段に出た」「上杉隆氏のデタラメさがはっきりし、これは大変と弁護士に依頼されたのだと思います」と批判している[77]。これらに対し上杉は、「安倍晋三氏のHPの質問についての当ブログでの対応は、これから誠実に行なう予定だ」と述べ、「安倍氏からの数回にわたる通知書については、「週刊文春」編集部を通じて、正式に回答を出している」、「「逃げている」という安倍氏の筆者に対する批判は当たらない」とし、「強く抗議する」と自身のブログで主張している[78]。ただし、安倍と並べて抗議の対象となった阿比留は「彼から抗議や撤回要求の申し入れは来ていない」としている[79]

安倍事務所は2009年7月3日にホームページで、上杉のブログでの発言「責任ある回答は、必ず、届ける」を引用し、上杉から何の回答もなく嘘つきだと批判した[80]。これに対し、上杉は2010年1月7日のTwitterにおいて、自身に寄せられた「安倍に謝罪したのか」という趣旨のコメントに答える形で「多いんです。wikipediaを鵜呑みにする方。反論せずに逃げているのは安倍元首相の方ですよ。wikiの記述が逆に書かれているだけ。ずっと放置してますけど(笑)」「過去10年間、安倍晋三氏には30回以上もの質問状やインタビュー依頼を送ったが、すべて拒否して逃げています」と発言。この「2009年の週刊文春記事への安倍側の批判」と「自身の長年の、質問・取材要請への安倍の拒否」を対比させて問題をすり替え、「逃げているのは安倍である」とする主張は、2009年3月27日付のブログ記事でもなされている。また、『たかじんのそこまでやって委員会』の動画でも、上杉は「安倍さんに対して現地で取材をしたときにこの件に対して直接反論したにもかかわらずホームページには反論を載せずに“一回も反論をせずに逃げ回っている”と嘘を書いている」(ただし上杉自身も反論を公表していない。)、「この記事で間違っていたのは壇上には上がっていたが真ん中ではなく端っこだった。これについては私の記述ミスです。それ以外の内容には間違いがない」と話している[81]

検察による週刊朝日編集長出頭要請発言問題

上杉が2010年2月3日のTwitterに、東京地検特捜部から『週刊朝日』編集部に出頭要請が来たことを記載した[82]。『週刊朝日』は公式サイト「週刊朝日 談」にて出頭要請の事実を否定した[83]。その後、ジャーナリストの岩上安身がTwitterに検察の出頭要請があったことは事実であることを記載し[84]、検察が記者クラブを通じて朝日新聞本社に「圧力」を掛け、それに屈した朝日新聞本社が、『週刊朝日』に対して、出頭要請は伏せ検察から抗議文が来たことだけにしろと指示したことも記載した[85]。上杉も、2010年2月3日午前10:56に東京地検から編集長に面会の要請があったことをTwitter上で記載している[86]

これに対し、元NHK報道局ディレクターの池田信夫は、朝日新聞東京本社のTwitterの出頭要請を否定した記載[87]などを元に、「『検察が週刊朝日に出頭要請した』とかいうガセネタがツイッターをにぎわした」、「こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏などの素人が『検察がマスコミを自由自在に操っている』と思っているからだろう」と自身のブログにて上杉を批判した[88]。しかし後日ネット上にて上杉と討論した際、上杉から当該記述について取消しを求められ、自らの非を認めて取り消すことを約束した(しかし、2010年3月1日現在、記述は取り消されていない模様)。

『週刊朝日』は、その後、公式サイト「週刊朝日 談」に山口が経緯説明を載せ、自身が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」「事実はありません」と記したが、東京地検の谷川恒太次席検事から記事に対する抗議の電話があり、谷川より「こちら(検察庁)に来ていただけますか?」と伝えられたことは明かした。この説明の中で、出張中の山口が当日出向くことが出来ない旨を伝えると、抗議書を送るとし、それが編集部に送られ、後日、山口は谷川に対して直接連絡が取れず、検察庁の広報官を通じて、「現時点でご足労いただく必要はありません。また、改めての取材には応じかねます」との返事が来たことを明かした[89]。 岩上は、検察と朝日本社に逃げ道を用意した編集長の談話であり、実際に起きたことは「出頭要請」であると記し[90]、上杉も、検察官という一捜査機関である谷川から「こちらに来ていただけますか」と連絡を受けたことは、出頭=本人自ら、ある場所、特に、役所などに出向くこと(広辞苑)であるから、紛れもなく「出頭要請」であると記している[91]

福田元首相批判記事

週刊朝日2010年4月16日号にて「『赤いファイル』(公文書)廃棄疑惑・・・外務省の“暴挙”を認めたのは福田元首相だった。」という記事を書き、福田元首相が公文書廃棄の共犯であると批判した。しかし、福田元首相の事務所より「『公文書廃棄疑惑』についてはまったく知りません」「文書廃棄について了承を与えた事実はない」と抗議を受け、確認を怠り虚偽の記載をしたことを認め、週刊朝日5月26日号の巻末の編集後記の隣に謝罪文を掲載した。

フジテレビ新報道2001の降板

報道2001』から『新報道2001』にリニューアルされ、竹村健一の代わりに毎週出演していた。しかし2009年3月15日の放送で検事の実名を挙げて検察を批判した際、笹川堯自由民主党総務会長、弁護士宗像紀夫から猛抗議を受け、同番組を降板させられた。

安倍首相と秘書が告発された件についての報道内容批判

2014年8月19日のニューズ・オプエド内にて安倍首相と秘書が告発されたニュースについて3月3日に小沢一郎の秘書が逮捕された時の報道内容と比べて、小沢一郎の秘書が逮捕された時はニュース・テレビすべてがトップニュース扱いだったのに安倍首相と秘書が告発されても対して報道されてない。

この2つの事件の構図は全く一緒なのにここまで報道内容が違うのは不思議だとテレビや新聞批判を行った。

毎日新聞の記事が「世襲議員のからくり」からの剽窃だと批判

毎日新聞の「小渕氏資金管理団体:不透明支出、5年間で1000万円超」[92]という記事の中で、父小渕恵三の資金管理団体から1億2000万円が、別の二つの政治団体を迂回して小渕優子の未来産業研究会に引き継がれたという部分が「世襲議員のからくり」に書かれている内容と金額も内容も一致していると批判している[93]

受賞歴

著書

  • 『石原慎太郎「五人の参謀」』(小学館文庫、2000)
  • 『田中真紀子の恩讐』(小学館文庫、2001)
  • 『田中真紀子の正体』(草思社、2002)
  • 『議員秘書という仮面 - 彼らは何でも知っている』(小学館文庫、2002)
  • 『小泉の勝利 メディアの敗北』(草思社、2006)
  • 『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』(新潮社、2007) - 韓国語版も発売された。
  • 『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書、2008)
  • 『宰相不在 崩壊する政治とメディアを読み解く』(ダイヤモンド社、2009)
  • 『政権交代の内幕 民主党は日本をどう変えるのか』(PHP研究所、2009)
  • 『民主党政権は日本をどう変えるのか』(飛鳥新社、2009)
  • 『世襲議員のからくり』(文春新書、2009)
  • 『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』(小学館101新書、2010)
  • 『結果を求めない生き方 上杉流脱力仕事術』(アスコム、2010)
  • 『上杉隆の40字で答えなさい』(大和書房、2010)
  • 『小鳥と柴犬と小沢イチローと 日本を面白くしてしまった政治家47人の罪と罰』(ビジネス社、2010)
  • 『なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか マイクロジャーナリズムが政治とメディアを揺らす8つの話』(晋遊舎新書、2010)
  • 『ウィキリークス以後の日本 自由報道協会(仮)とメディア革命』(光文社、2011)
  • 『この国の「問題点」~続・上杉隆の40字で答えなさい~』(大和書房、2011)
  • 『放課後ゴルフ倶楽部』(ゴルフダイジェスト社、2011)
  • 『国家の恥 一億総洗脳化の真実』(ビジネス社、2011)
  • 『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』(PHP研究所、2012)
  • 『大手メディアが隠す ニュースにならなかったあぶない真実』(PHP研究所、2012)
  • 『メディアと原発の不都合な真実』(技術評論社、2012)
  • 『偽悪者~トリックスターが日本を変える~』(扶桑社、2013)
  • 『ニュースをネットで読むと「バカ」になる ソーシャルメディア時代のジャーナリズム論』ベストセラーズ 2015
  • 『悪いのは誰だ!新国立競技場』(扶桑社新書、2015)

共著

執筆・対談掲載新聞・雑誌

現在出演中の出演番組

テレビ

ラジオ

以前出演していた主な出演番組

テレビ

ラジオ

映画

脚注

  1. ^ “大波を作れるか?産声を上げた「日本ゴルフ改革会議」とは”. GDO ゴルフダイジェストオンライン. (2014年6月27日). http://news.golfdigest.co.jp/news/gdoeye/jgto/article/51287/1/?ptn=140708c.html 
  2. ^ 『結果を求めない生き方』
  3. ^ 3.14頂上決戦 上杉隆VS町山智浩 徹底討論 - YouTube
  4. ^ 『放課後ゴルフクラブ』。 
  5. ^ カストロ後継者の不人気と、キューバ経済を呑み込む中国の存在”. ダイヤモンドオンライン『週刊・上杉隆』. 2016年5月14日閲覧。
  6. ^ a b c d “ダイヤモンドオンライン、週刊・上杉隆『メディアを揺るがす“大贈収賄事件”官房機密費を懐に入れたマスコミ人たちの常識』”. (2010年5月10日). http://diamond.jp/articles/-/8183 
  7. ^ 代表理事辞任のご挨拶”. 自由報道協会 (2013年5月17日). 2013年5月19日閲覧。
  8. ^ 大波を作れるか? 産声を上げた「日本ゴルフ改革会議」とは” (2014年6月27日). 2016年5月14日閲覧。
  9. ^ a b c d  上杉隆をうならせた ジャーナリズムの先輩たちの言葉
  10. ^ 上杉隆『「結果を求めない生き方」上杉流脱力仕事術』アスコム、2010年
  11. ^ 岩井俊二『friend after 3.11』2011年映画
  12. ^ a b c “権力とメディアに望まれる健全な関係/上杉隆氏による講義サマリ”. (2016年4月6日). http://www.huffingtonpost.jp/jpolicy/relationship-between-political-power-and-media_b_9616072.html 
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  63. ^ 上杉は反論記事で、その匿名の外務省幹部に再び確認、「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」と、中曽根大臣を批判したことは認めたと主張した。“「外務省が本誌に抗議」に反論する!”. 週刊朝日 2008年11月7日号. オリジナルの2008年12月24日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081224072126/http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9870 2013年11月10日閲覧。 
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  75. ^ 読売新聞1993年7月11日号「二千人以上を庭に集めることができる巨大事務所を設営、名簿の再チェック、ローラー作戦を展開」
  76. ^ 『上杉隆さん!答えて下さい』<追記>[リンク切れ]
  77. ^ 《上杉隆氏の嘘 動かぬ証拠》 (安倍晋三のホームページ)[リンク切れ]
  78. ^ 東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) ?ゴルフとスパと、時々、永田町2009.3.27【謝罪要求】 自称「保守政治家」を嗤う 万国の「自称ジャーナリスト」(JJ) よ、分裂せよ! 【反撃開始】
  79. ^ 上杉隆氏の低次元なレッテル貼り癖について[リンク切れ]
  80. ^ 変わらぬ上杉 隆氏の本性
  81. ^ “【無料動画】「官房機密費問題」上杉隆の反論(2010.07.18)”. たかじんのそこまでやって委員会. (2010年7月18日). オリジナルの2010年7月21日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100721024455/http://ex-iinkai.com/free/detail18.html 2013年11月10日閲覧。 
  82. ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “旧き友を暢気にランチに誘っていたら、東京地検特捜部から編集部に出頭要請がきた昼下がり。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。
  83. ^ 『週刊朝日 談』10/02/03[リンク切れ]「2月3日午前、山口一臣編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がインターネット上、ツイッター上で飛び交っておりますが、出頭要請はありません」とした。
  84. ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!(中略)以下が真相。今日の午前中、検察から週刊朝日に対して、文書が届き、すぐに来てくれ、捜査妨害だ、話を聞きたいと。明白な出頭要請が。”
  85. ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “重要!2 この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。なんと朝日新聞本社は、この圧力に屈して、週刊朝日編集部トップに対し、抗議文が来たことだけにして、出頭要請は伏せろと指示。”
  86. ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。 “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。同時刻、電話にて同編集長との面会を要請。地方出張のため「明日以降」と地検側に回答。”
  87. ^ 朝日新聞東京本社編集局 (2010年2月3日). “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、”. asahi_tokyo. 2010年2月6日閲覧。 “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、出頭要請はありません。週刊朝日編集部に確認したところ、東京地検からこの記事への抗議書が届いたとのことです。”
  88. ^ 池田信夫 (2010年2月3日). “マスコミの「立件バイアス」”. 池田信夫blog part2. 2010年2月6日閲覧。
  89. ^ “お騒がせして申し訳ありません”. 朝日新聞出版. (2010年2月6日). オリジナルの2010年2月7日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100207120707/http://www.wa-dan.com/yamaguchi/ 2013年11月10日閲覧. "『2月3日は、わたし=週刊朝日編集長・山口一臣=が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」という情報がネット上を駆け巡り、読者をはじめ関係者のみなさんに大変なご心配をおかけしました。すでにコメントを出させていただいているとおり、そのような事実はありません。』
    『指定された電話番号に連絡すると、次席検事の谷川恒太氏につながりました。谷川氏は「さっそく電話いただいて、ありがとうございます」と丁寧な応対で、用件を聞くと、週刊朝日2月12日号(2月2日発売)に掲載した上杉隆さん執筆の「子ども〝人質〟に女性秘書『恫喝』10時間」という記事に、事実でないことが書かれているので抗議したいとのことでした。 こうしたトラブルはよくあることなので、「わかりました。で、どうすればいいですか」と聞くと、「こちらに来ていただけますか?」ということでした。わたしとしては検察庁に出向くのはいっこうに構わないので、「わかりました。ただ、きょうは出張で九州にいるので、戻ってからでもいいですか?」と聞くと、「九州ですか......」と予想外の返事にちょっと絶句したようでした。』"
     
  90. ^ 岩上安身 (2010年2月5日). “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。おそらく、検察と朝日本社に「逃げ道」を用意してあげたのでしょう。山口さんとは面識がありませんが、大人ですね。”
  91. ^ 上杉隆 (2010年2月5日). “山口一臣さ?ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。”. uesugitakashi. 2010年2月7日閲覧。 “山口一臣さ~ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。 cf: しゅっ‐とう【出頭】 本人自ら、ある場所、特に役所などに出向くこと。(広辞苑)”
  92. ^ 小渕氏資金管理団体:不透明支出、5年間で1000万円超[リンク切れ]アーカイブ 2014/10/27
  93. ^ 【世襲議員のからくり】小渕優子経産大臣 迂回献金、無税相続、差額買収

参考文献

  • 「上杉隆インタビュー」『ダカーポ』No618、マガジンハウス社

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