「ラディカル・フェミニズム」の版間の差分
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'''ラディカル・フェミニズム'''({{lang-en-short|radical feminism}}、急進的女性主義<ref name=":2">https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=5109&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1 |
'''ラディカル・フェミニズム'''({{lang-en-short|radical feminism}}、急進的女性主義<ref name=":2">https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=5109&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1 |
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「ニューヨークにおける ラディカルフェミニズムの運動と思想」 栗原涼子 2010年 |
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ファイアーストーン、ウィルズは結婚,家族そのものを女性抑圧の元凶とした。また,ティ=グレイス・アトキンソン(Ti-GraceAtkinson)、パメラ・キーロンはプロウーマンラインを強調し、異性愛至上主義に踏み込んで批判を展開した。 |
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アリス・エコルズはアトキンソンがザフェミニスツを最もラディカルな組織であると印象づけようとしたが、失敗したとし、分担制を採用したことで組織はファシズムに向かったと論じている。 |
アリス・エコルズはアトキンソンがザフェミニスツを最もラディカルな組織であると印象づけようとしたが、失敗したとし、分担制を採用したことで組織はファシズムに向かったと論じている。 |
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アリス・エコルズは、ラディカルフェミニズムの運動を総括し、1973年には運動が内部抗争以降に明らかに衰退した原因として、エリート主義、中産階級中心、(ラディカルフェミニズム)女性間の協調のなさを挙げた。 |
アリス・エコルズは、ラディカルフェミニズムの運動を総括し、1973年には運動が内部抗争以降に明らかに衰退した原因として、エリート主義、中産階級中心、(ラディカルフェミニズム)女性間の協調のなさを挙げた。 |
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サラ・チャイルドは 1983年になって、60年代フェミニズムを振り返り、「私のラディカルな考え方は決定的に間違っていた」と述べ、その理由を白人女性中心であったことを指摘した。</ref><ref>「性别學與婦女硏究: 華人社會的探索」p126,Fanny M. Cheung、 張妙淸、 Han-ming Yip 1995年</ref>)とは、[[リベラル・フェミニズム]]への[[アンチテーゼ]]と[[既成左翼]]批判していたはずの[[新左翼]]・[[マルクス主義]]への失望から |
サラ・チャイルドは 1983年になって、60年代フェミニズムを振り返り、「私のラディカルな考え方は決定的に間違っていた」と述べ、その理由を白人女性中心であったことを指摘した。</ref><ref>「性别學與婦女硏究: 華人社會的探索」p126,Fanny M. Cheung、 張妙淸、 Han-ming Yip 1995年</ref>)とは、[[リベラル・フェミニズム]]への[[アンチテーゼ]]と[[既成左翼]]批判していたはずの[[新左翼]]・[[マルクス主義]]への失望から誕生した[[急進主義|ラディカル]]な[[フェミニズム]]の一形態<ref name=":0">{{Cite web|title=【特集1-2】フェミニズム(三成美保)|url=https://ch-gender.jp/wp/?page_id=2881|website=比較ジェンダー史研究会|accessdate=2021-11-18|language=ja}}</ref><ref name=":3" />で、'''男性を抑圧者'''とみなし女・男の利害は競合・敵対すると考える。リベラル・フェミニズムとは異なり、[[差異派フェミニズム]]・[[分離主義]]的であり、女性という性別を前提とし、「女性」という集団独自の存在意義を強調する。変革を訴求するところではソーシャル・フェミニズムと共通するが、労働条件等の平等化で満足せず、しばしば[[示威行動|示威行動(デモ)]]により、メディアやミス・コンテストなどを糾弾する。'''男性との恋愛・結婚・家庭'''そのものを女性抑圧の元凶とし、「異性愛至上主義」批判を展開した。「母性、結婚、売春は男性を支える組織であり、結婚は男性の性欲に奉仕するための組織である」と女性の[[セクシャリティ]]否定などフェミニスト女性間でも賛否の割れるラディカルな主張をし、男性と恋愛している者・[[既婚|既婚女性]]排除などしたため、ラディカルフェミズム組織内は対立と分裂が度々起こった<ref name=":2" /><ref name=":0" />。 |
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== 新左翼・マルクス主義からの独立と対立 == |
== 新左翼・マルクス主義からの独立と対立 == |
2022年1月23日 (日) 10:37時点における版
フェミニズム |
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ラディカル・フェミニズム(英: radical feminism、急進的女性主義[1][2])とは、リベラル・フェミニズムへのアンチテーゼと既成左翼批判していたはずの新左翼・マルクス主義への失望から誕生したラディカルなフェミニズムの一形態[3][4]で、男性を抑圧者とみなし女・男の利害は競合・敵対すると考える。リベラル・フェミニズムとは異なり、差異派フェミニズム・分離主義的であり、女性という性別を前提とし、「女性」という集団独自の存在意義を強調する。変革を訴求するところではソーシャル・フェミニズムと共通するが、労働条件等の平等化で満足せず、しばしば示威行動(デモ)により、メディアやミス・コンテストなどを糾弾する。男性との恋愛・結婚・家庭そのものを女性抑圧の元凶とし、「異性愛至上主義」批判を展開した。「母性、結婚、売春は男性を支える組織であり、結婚は男性の性欲に奉仕するための組織である」と女性のセクシャリティ否定などフェミニスト女性間でも賛否の割れるラディカルな主張をし、男性と恋愛している者・既婚女性排除などしたため、ラディカルフェミズム組織内は対立と分裂が度々起こった[1][3]。
新左翼・マルクス主義からの独立と対立
ラディカル・フェミニズムは、1960年代末にマルクス主義・既成左翼を甘いと批判した新左翼運動の内部で、社会革命が目的にも関わらず新左翼男性らに従来の補助的・性的役割を押し付けられた女性たちの失望から始まった[4][5]。1970年に出版されたケイト・ミレットの『性の政治学』と、シュラミス・ファイアーストーンの『性の弁証法』を思想的支柱とする。ミレットは、「家父長制」を男性が女性に性的従属を強いるシステムであると定義し、これが私的領域から公的領域に至るまで影響を及ぼしていると批判。男女の性差は家父長制の産物であるとした。またファイアーストーンは、女性の生殖能力も男性優位を前提とした階層構造を発展・維持させている要因であると論じた。更にマルクス主義フェミニズムはマルクス主義の史的唯物論にラディカル・フェミニズムを取り入れたことで生まれた。しかし、マルクス主義フェミニズムはラディカル・フェミニズムを「観念論」と見なし、「市場」と「家族」の相互依存関係も問うべきと批判するしている。更には新左翼・マルクス主義フェミニズム派が資本主義社会・企業のために女性を含めた労働者階級は抑圧されていると主張すると、ラディカルフェミニズム派はマルクス主義の男性中心主義を指摘・男性からの抑圧は資本主義社会だけではなく、マルクス主義で用いる階級分析論だと女性こそが抑圧された階級と位置づけ対立した[6][7][5]。日本では1990年代に行われたマルクス主義フェミニストの上野千鶴子とラディカル・フェミニストの江原由美子による論争が知られている[8]。
ポルノグラフィ撲滅運動
ラディカル・フェミニズムを端的に象徴するものとしてポルノグラフィ撲滅運動がある。ラディカル・フェミニストは、ポルノグラフィに出演した女性の被害例(身体的・精神的暴力を伴う撮影など)や、ポルノグラフィが男性による性犯罪・ドメスティックバイオレンス・セクシャルハラスメントを助長するとした強力効果論を挙げ、またポルノグラフィの存在を社会的に容認することは女性蔑視を再生産するものとし、女性解放の障害になっているとして、厳罰を伴う法的規制を求めている。1980年代に、キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンらが展開した『反ポルノグラフィ公民権条例』運動は特に有名であり、ポルノ・買春問題研究会などの日本のラディカル・フェミニズム団体に多大な影響を与えている。
代表的な活動家
- ケイト・ミレット
- シュラミス・ファイアーストーン
- メアリ・デイリー
- キャサリン・マッキノン
- アンドレア・ドウォーキン
- スーザン・ブラウンミラー
- ナバネセム・ピレー
- グロリア・スタイネム
- 伊藤和子
- 角田由紀子
- 中里見博
- 牟田和恵
- 猪谷千香
- 江原由美子
団体
脚注
出典
- ^ a b https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=5109&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1 「ニューヨークにおける ラディカルフェミニズムの運動と思想」 栗原涼子 2010年 ファイアーストーン、ウィルズは結婚,家族そのものを女性抑圧の元凶とした。また,ティ=グレイス・アトキンソン(Ti-GraceAtkinson)、パメラ・キーロンはプロウーマンラインを強調し、異性愛至上主義に踏み込んで批判を展開した。 アリス・エコルズはアトキンソンがザフェミニスツを最もラディカルな組織であると印象づけようとしたが、失敗したとし、分担制を採用したことで組織はファシズムに向かったと論じている。 組織の中心となったバーバラ・メルホフ(BarbaraMehrhof)とシェイラ・クロナン(Sheila・Cronan)は「男性の興隆」と題する論文を書き、男女関係は政治的なものであり、男性は権力を持ち,女性は持たないとし、「母性、結婚、売春は男性を支える組織であり、結婚は男性の性欲に奉仕するための組織である」とし、女性のセクシュアリティーをむしろ否定することにより。解放を得る言説を強化した。1971年後半になると、すべての既婚女性から会員資格が剥奪された。 ファイアーストーンは内部抗争に疲れ果てた末に退会し、新左翼内の女性差別を批判する一方で、「ラディカルフェミニズムは新左翼の革命思想が革命的すぎるから批判するのではなく、十分に革命的ではないために批判する」とした。その後、彼女自身は「フェミニスト社会主義」をめざした。 アリス・エコルズは、ラディカルフェミニズムの運動を総括し、1973年には運動が内部抗争以降に明らかに衰退した原因として、エリート主義、中産階級中心、(ラディカルフェミニズム)女性間の協調のなさを挙げた。 サラ・チャイルドは 1983年になって、60年代フェミニズムを振り返り、「私のラディカルな考え方は決定的に間違っていた」と述べ、その理由を白人女性中心であったことを指摘した。
- ^ 「性别學與婦女硏究: 華人社會的探索」p126,Fanny M. Cheung、 張妙淸、 Han-ming Yip 1995年
- ^ a b “【特集1-2】フェミニズム(三成美保)”. 比較ジェンダー史研究会. 2021年11月18日閲覧。
- ^ a b ニューヨークにおける ラディカルフェミニズムの運動と思想
- ^ a b 『家父長制と資本制――マルクス主義フェミニズムの地平』p12,上野千鶴子 1990(岩波書店)
- ^ https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=5109&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1
- ^ “ミレットとファイアーストーン”. 2009年9月12日閲覧。
- ^ 国立国会図書館. “1990年前後発行の上野千鶴子と江原由美子によるフェミニズム論争が載っている論文を探している。”. レファレンス協同データベース. 2021年11月18日閲覧。
関連文献
- マギー・ハム著、木本喜美子・高橋準監訳、『フェミニズム理論辞典』、明石書店、1999/07、ISBN 4750311723
- 吉沢夏子、『女であることの希望 ラディカル・フェミニズムの向こう側』、勁草書房、1997/03、ISBN 9784326651993
- ナディーン・ストロッセン著、松沢呉一監修、岸田美貴訳、『ポルノグラフィ防衛論ーアメリカのセクハラ攻撃・ポルノ規制の危険性』、ポット出版、2007/10、ISBN 9784780801057
- アンドレア・ドウォーキン著、寺沢みづほ訳、『ポルノグラフィ-女を所有する男達』、青土社、1991/04、ISBN 9784791751280