海城中学校・高等学校
海城中学校・高等学校 | |
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正門の画像募集中 | |
過去の名称 |
海軍予備校 日比谷中学校 海城学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人海城学園 |
設立年月日 | 1891年11月1日 |
創立記念日 | 11月1日 |
創立者 | 古賀喜三郎 |
共学・別学 | 男子校 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13540C |
所在地 | 〒169-0072 |
東京都新宿区大久保3-6-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
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海城中学校・高等学校(かいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう 英語名:Kaijo Junior & Senior High School)は、東京都新宿区大久保にある私立中学校・高等学校である。中高一貫制男子校。
概要
一世紀以上の歴史を有する伝統校である。校名の『海城』とは戦艦を意味する古語である。
東京帝国大学以上のエリート校であった海軍兵学校への予備校として明治時代に創設され、英国海軍型教育の下、海軍大将や外務大臣、商工大臣等、国家・社会に有為な人材を数多く輩出し、戦前の日本を支えた。
戦後は、大日本帝国海軍の消滅に伴ってエリート養成校としての地位を失い、長らく低迷していたが、1980年代から早稲田大学、慶應義塾大学だけでなく東京大学合格者数ランキングでも上位に入るようになるなど、目覚ましい進学実績を上げるようになる。駒場東邦中・高、巣鴨中・高と共に「新御三家」のひとつとして位置付けられることも多い。
建学精神
- 国家・社会に有為な人材を育成すること
教育理念
- 「新しい紳士」を育成すること
教育方針
- フェアーな精神
- 思いやりの心
- 民主主義を守る意志
- 明確に意志を伝える能力
沿革
経緯
佐賀藩出身で海軍草創期の軍人古賀喜三郎少佐によって海軍兵学校への予備校、海軍予備校として、1891年に麹町区元園町2丁目4番地(現、千代田区麹町3丁目8の3)に創設された。以来終戦まで、英国海軍型教育の下、主に海軍に数多くの人材を輩出した。また、国語学者金田一京助や童話作家鈴木三重吉、歌人石川啄木などが教鞭を執る。1900年、海軍予備校から海城学校に改称。1906年、旧制海城中学校発足。終戦直後、一時期GHQより閉校命令が出て学校存続の危機に陥ったが、学制改革によって1947年に新制海城中学校、1948年に新制海城高等学校として発足し現在に至る。
その成立経緯から太平洋戦争終結前の一時期、前身が同じ海軍予備校の攻玉社と深い関係を築いていたが、現在は交流が途絶えている。また、陸軍士官学校への予備校としては現在の成城中・高が挙げられる。
年表
- 1891年(明治24年) - 古賀喜三郎が私財を投じて麹町区元園町二丁目四番地(現、千代田区麹町3丁目8の3)に海軍予備校を創立。
- 1897年(明治30年) - 麹町区八重洲町二丁目一番地(現、千代田区丸の内2丁目)に移転。
- 1899年(明治32年) - 麹町区霞関町2丁目1番地(現、千代田区霞ヶ関1丁目2の2)に移転。日比谷中学校を併設。
- 1900年(明治33年) - 海軍予備校を海城学校と改称。
- 1902年(明治35年) - 海城学校・旧日比谷中学校友会を合併し学友会が発足。
- 1906年(明治39年) - 日比谷中学校閉鎖、海城中学校発足。
- 1914年(大正 3年) - 古賀喜三郎逝去。学校葬を挙行。
- 1921年(大正10年) - 海軍予備校、日比谷中学校、海城学校、旧海城中学校などの卒業生を糾合して海原会が発足。
- 1927年(昭和 2年) - 豊多摩郡大久保町(現在の地)に移転。
- 1933年(昭和 6年) - 財団法人海城学校を財団法人海城中学校と改称。
- 1944年(昭和19年) - 太平洋戦争激化で生徒が勤労動員に出動。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により、新制海城中学校発足。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により、新制海城高等学校発足。
- 1951年(昭和26年) - 財団法人海城中学校を学校法人海城学園に組織変更。創立60周年記念式典挙行。
- 1961年(昭和36年) - 創立70周年記念式典挙行。
- 1971年(昭和46年) - 創立80周年記念式典挙行。
- 1981年(昭和56年) - 創立90周年記念式典挙行。
- 1991年(平成 3年) - 創立100周年記念式典挙行。
- 1996年(平成 8年) - 那須高原海城中学・高等学校を創設。
歴代理事長
初代 | 古賀喜三郎 | 1891年11月~1914年12月 | |
第2代 | 吉見乾海 | 1914年12月~1930年3月 | |
第3代 | 古賀博 | 1930年3月~1945年10月 | |
第4代 | 八坂正雅 | 1945年10月~1947年2月 | |
第5代 | 松村昇 | 1947年2月~1948年6月 | |
第6代 | 天野敬一 | 1948年6月~1966年7月 | |
第7代 | 古賀博 | 1966年7月~1989年月 | |
第8代 | 古賀喜博 | 1989年6月~ |
ちなみに、江頭豊(古賀喜三郎の孫)は海城学園名誉学園長であり、文芸評論家の江藤淳(古賀喜三郎の曾孫)は、生前海城学園の理事を務めていた。
現理事長、古賀喜博(古賀喜三郎の曾孫)も徳仁親王妃雅子の叔父にあたり、現在まで徳仁親王妃雅子の親族がオーナー一族として君臨し続けている。
古賀喜三郎の親族
歴代校長
初代 | 古賀喜三郎 | 1891年11月~1914年2月 | |
第2代 | 吉見乾海 | 1914年12月~1942年11月 | |
第3代 | 島祐吉 | 1942年11月~1945年10月 | |
第4代 | 川崎武親 | 1945年10月~1946年8月 | |
第5代 | 清水岬 | 1946年10月~1961年11月 | |
第6代 | 福岡高 | 1962年1月~1965年10月 | |
第7代 | 池城安伴 | 1965年10月~1974年4月 | |
第8代 | 伊藤太一郎 | 1974年4月~1987年4月 | |
第9代 | 奥山稔 | 1987年4月~1992年4月 | |
第10代 | 小川嘉一郎 | 1992年4月~2002年4月 | |
第11代 | 和田征士 | 2002年4月~ |
アクセス
戸山公園、保善高等学校と隣接している。近隣には、学習院女子大学や早稲田大学大久保キャンパス、戸山高等学校もある。
学校施設
運動施設としては、アリーナ(体育館)、屋外プール、柔道場、剣道場、テニスコート、弓道場がある。海城の体育館は珍しくアリーナとなっており、グラウンドの敷地は山手線内の私立では最も広い13,000m²の広さがある。また、特別教室としてLL教室、視聴覚教室、音楽室、美術室、書道室、物理実験室、化学実験室、生物実験室、共同実験室、合同教室などを備える。他に図書館、講堂(450名収容)、家庭科の調理室、カウンセリングルーム、ガラス張りのカフェテリアなどももある。カフェテリアの営業はレパストに委託されている。
2006年3月には、校門を入って正面の2号館が4階建てから8階建てに増築された。老朽化が進んだ3号館は、2007年7月から、1年ほどかけて取り壊される。将来的には4号館及び5号館(通称理科館)を2号館及びカフェテリアの1階まで嵩上げする予定。また、前庭部分を芝生化することが決定した。
年間行事
- 4月
- 入学式
- 始業式
- 健康診断・身体測定
- 遠足(高校)
- 山の家(高1)
- プロジェクト・アドベンチャー(PA)(中1)
- 5月
- 中間考査
- 6月
- スポーツ大会(高校)
- 校外研修(中学)
- 全校保護者会
- 7月
- 期末考査
- 終業式
- 海の家(中1)
- 8月
- 夏期講習
- 海外研修(高校)
- 9月
- 始業式
- 実力・学力考査
- 学園祭(中学高校合同)
- 体育祭(中学)
- 10月
- 中間考査
- 修学旅行(中3・高2)
- プロジェクト・アドベンチャー(PA)(中2)
- 11月
- 開校記念日
- 12月
- 期末考査
- 終業式
- スキー教室(中学)
- 1月
- 始業式
- かるた大会(中学)
- 2月
- 中学・高校入試
- 3月
- 期末考査
- 中学・高校卒業式
- 終業式
- 海外研修(中学)
海の家
中学1年の夏休みに、千葉県富浦寮で行われる遠泳を目的とした「海の家」と呼ばれる60年以上の歴史を持つ伝統行事がある。水泳訓練や自然観察を通じて団体生活を学ぶ。また挨拶の徹底などの規律が厳しいことで知られる。
山の家
高校1年生全員を対象に、湖や森林に囲まれた自然環境の中、ハイキング、オリエンテーリングなどを通じて連帯感や協調性、自然保護の大切さを学ぶ「山の家」がある。
PA
グループで困難を解決しながら、人間関係を構築するPA(プロジェクトアドベンチャー)がある。中一春、中ニ秋(泊りがけ)に実施される。
文化祭
文化祭である海城祭は9月に2日間行われ、毎年15000人以上を集める。
部活動
中学校
- 軟式野球部
- サッカー部
- 陸上競技部
- ソフトテニス
- バスケットボール部
- バドミントン部
- 卓球部
- 剣道部
- 柔道部
- 水泳部
- 硬式テニス部
- 物理部
- 生物部
- 化学部
- 美術部
- 鉄道研究部
- 写真部
- コンピュータ部
- 囲碁将棋部
- 昆虫自然観察部
- 吹奏楽団
- 囲碁同好会
- 漫画同好会
- 古典芸能同好会
高等学校
- 硬式野球部
- サッカー部
- ラグビー部
- アメリカンフットボール部
- ラクロス部
- 陸上競技部
- テニス部
- バスケッ トボール部
- バレーボール部
- バドミントン部
- 卓球部
- 剣道部
- 柔道部
- 弓道部
- 水泳部
- 山岳部
- 物理部
- 生物部
- 化学部
- 美術部
- 鉄道研究部
- 写真部
- コンピュータ部
- 将棋部
- 軽音楽部
- 演劇部
- 模型部
- ギター部
- アニメ研究部
- 昆虫自然観察部
- 吹奏楽団
- 囲碁部
- シミュレーション同好会
- 映画同好会
- 百人一首同好会
- 空手同好会
- ハングル同好会
- 航空同好会
- 文芸同好会
- 奇術同好会
進路
東京大学、一橋大学、東京工業大学を始めとする国公立大学、早稲田大学、慶應義塾大学などの有名私立大学への合格者を数多く輩出している。以前より理工科系の教育にも力を注いでおり、この分野の進学者も多い。さらに国公立大学医学科の合格者数は東日本で屈指の実績を誇る。
また近年ではコーネル大学やバージニア大学、ジョージタウン大学、シカゴ大学など日本国内だけではなく海外の一流大学にも合格者を出している。海外に姉妹校を持っているため毎年生徒を派遣し、国際交流にも力を注いでいる。
姉妹校
姉妹校に那須高原海城中学校・高等学校と St. Johnsbury Academy がある。
卒業生
軍人
- 野村吉三郎 - 海軍大将、第61代外務大臣、第16代学習院院長、日米開戦時の駐米大使
- 百武源吾 - 海軍大将、第7代九州帝国大学総長
- 小林躋造 - 海軍大将、国務大臣(小磯内閣)、第20代連合艦隊司令長官
- 左近司政三 - 海軍中将、第23代商工大臣、国務大臣(鈴木内閣)
- 中島今朝吾 - 陸軍中将、第16師団師団長
- 沖為雄 - 海将、第24代横須賀地方総監、第19代海上自衛隊幹部学校長、三笠保存会元理事長
- 小澤一彦 - 海軍中尉、ジャーナリスト、わだつみ会常任理事
政治
- 鈴木茂三郎 - 元衆議院議員、日本社会党委員長・政調会長・書記長を歴任
- 益谷秀次(中退) - 元衆議院議員、衆議院議長・副総理・建設大臣・自由民主党幹事長を歴任
- 河本三郎 - 衆議院議員、河本敏夫の子息
- 高山智司 - 衆議院議員
- 中野譲 - 元衆議院議員
財界
- 江頭豊 - 元チッソ社長、海城学園名誉学園長
- 阿形明 - 弁理士、日本科学振興財団理事長、特許キャピタル取締役兼特別技術顧問
- 植木昭夫 - 旺文社元常務取締役、海原会会長
- 田口俊明 - トヨタ自動車顧問・元トヨタ自動車副社長兼トヨタモーターノースアメリカ(TMA)CEO
- 上原英治 - 東京ガス相談役・前会長・元社長、経団連理事・経済同友会幹事を歴任
- 泊懋 - 東映アニメーション会長・元社長
- 益子修 - 三菱自動車工業社長
- 杉山知之 - デジタルハリウッド学校長、デジタルハリウッド大学・大学院学長
- 内藤裕紀 - ドリコム社長
- 菅原通済(中退) - 実業家、フィクサー、土木工業協会初代会長
- 前田又兵衛 - 前田建設名誉会長
- 足立興成 - 那須造園社長
- 立花ケン - タチバナエンタープライズ社長
- 岩瀬剛 - 旭総合警備社長、早稲田大学応援部監督
- 小松良司 - 小松ビル社長
- 升本喜兵衛 - 元升本総本店社長
- 大堀康祐 - マトリックス社長
- 田辺大 - フォレスト・プラクティス代表
- 遠山景基 - アンビション社長
文学
- 吉田一穂 - 詩人、評論家、童話作家
- 菊岡久利(中退) - 作家、詩人
- 鈴木善太郎 - 作家、劇作家、翻訳家
- 佐々木邦(中退) - 作家、英文学者、紫綬褒章受章
- 西澤實 - 放送劇作家、元日本放送作家協会理事長、紫綬褒章受章
- 小谷野敦 - 文芸評論家、比較文学者、東京大学非常勤講師
- 方波見大志 - 作家
芸術・芸能
- 小川紳介 - ドキュメンタリー映画監督
- 厚田雄春 - 映画カメラマン、小津安二郎組の名キャメラマン
- 窪島誠一郎 - 美術評論家、美術館館主
- 深町幸男 - 演出家、舞台・映画監督、紫綬褒章受章
- 青葉益輝 - グラフィックデザイナー、東京造形大学客員教授、紫綬褒章受賞
- 益田芳徳 - 芸術家
- 立川談笑 - 落語家
- 赤松健 - 漫画家
- 下田正美 - 写真家
- 早川雪洲 - 俳優、日本人初のハリウッドスター、米国映画批評会議賞受賞
- 岸田森 - 俳優
- 東郷久義 - 俳優
- 鮎川浩 - 俳優
- 溝口舜亮 - 俳優
- 倉田保昭 - 俳優
- 崎本大海 - 俳優
- 能勢一幸 - クイズ王
- 菅原直洋 - 音楽プロデューサー
- PANTA - 歌手、作曲家、作詞家
- 楠部工 - クリエイター、脚本家
- 柳澤健二 - ゲームデザイナー、フリーライター
- 大貫金吾 - 富士山最多登頂記録保持者、海城学園元教諭
- 深澤政介 - 早稲田大学漕艇部創部者、第一回早慶レガッタ創始者
- 粕谷淳司 - 建築家
マスコミ
- 康芳夫 - プロデューサー
- 石田弘 - フジテレビプロデューサー
- 滝本喬 - ジャーナリスト
- 古屋権一 - 甲斐路新聞(かいじしんぶん)会長
- 徳光和夫 - フリーアナウンサー、元日本テレビアナウンサー
- 志摩悦二郎 - NHKアナウンサー
- 大湖弘之 - NHKアナウンサー
- 栗田勇人 - NHKアナウンサー
- 伊奈正高 - NHKアナウンサー
- 田中朋樹 - NHKアナウンサー
- 厚井大樹 - NHKアナウンサー
- 四家秀治 - 元テレビ東京アナウンサー
- 小島秀公 - テレビ東京アナウンサー
- 石井貴士 - 元信越放送アナウンサー、心理カウンセラー
- 藺草英己 - 福島テレビアナウンサー
学者
- 林亮勝 - 歴史学者、第27代大正大学学長、大正大学名誉教授、日朝文化交流協会理事長
- 大林良一 - 経済学者、一橋大学名誉教授、第9代成城大学学長
- 岩本徳一 - 神道学者、國學院大学名誉教授
- 中村佐一 - 経済学者、早稲田大学教授、早稲田大学政治経済学部長を歴任
- 古賀喜博 - 海城学園理事長、徳仁親王妃雅子の叔父、古賀喜三郎の曾孫
- 山口猛央 - 化学者、東京工業大学資源化学研究所教授、東京大学大学院兼担教授
- 瀧川具弘- 農学者、筑波大学農林工学系教授
- 小山陽一 - 数学者、金沢工業大学教授
- 石塚良次 - 経済学者、専修大学教授
- 小出湧三 - 西安外国語大学教授、西安文化教育交流協会代表
- 久木尚志 - 西洋史学者、北九州市立大学教授
- 高木周 - 機械工学者、東京大学大学院工学系研究科准教授
- 片山健介 - 建築学者、東京大学大学院工学系研究科助教授
- 西山教行 - 仏語教育学者、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授
- 小杉俊哉 - 経営学者、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授、コーポレイト・ユニバーシティ・プラットフォーム社長
- 飯田泰之 - 経済学者、エッセイスト、駒澤大学准教授
- 阿部二朗 - 化学者、青山学院大学准教授
- 渡辺宙志 - 物理学者、名古屋大学大学院情報科学研究科助教授
- 奥野利明 - 医科学者、九州大学大学医学研究院助教授
- 金鋼 - 科学者、自然科学研究機構分子科学研究所助教授
スポーツ
その他関係者
- 田中角栄 - 元内閣総理大臣 / 旧制海城中学の2、3年に編入する予定だったが、結局上京せず
- 金田一京助(元教師) - 言語学者、東京帝国大学教授
- 鈴木三重吉(元教師) - 小説家、児童文学者
- 石川啄木(元教師) - 歌人、詩人
- 利根山光人(元教師) - 美術家、画家、現海城学園校章をデザイン
- 尾木直樹(元教師) - 教育評論家、法政大学教授、早稲田大学大学院教育学研究科客員教授
同窓会
海原会という同窓会がある。
海城中学校・高等学校の卒業生には、6人の女性の卒業生がおり、毎年海原会にも出席している。
海原会歴代会長
参考文献
海城学園や草創期の海軍予備校を紹介した江藤淳(海城学園元理事・海城学園創設者古賀喜三郎の曾孫)の著作
明治期における東京の私立中学校の実態を紹介した著作(海城中学校について40ページ程の記述がある)
- 手塚竜麿 『東京の中等教育三』 東京都公文書館
関連項目