エイシンバーリン
エイシンバーリン | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 芦毛 |
生誕 | 1992年3月11日 |
死没 | 存命中 |
父 | Cozzene |
母 | Blade of Luck |
母の父 | Blade |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Hugh G.KingⅢ |
馬主 | 平井豊光 |
調教師 | 坂口正則 |
競走成績 | |
生涯成績 | 28戦6勝 |
獲得賞金 | 4億620万2000円 |
エイシンバーリンは日本の競走馬。1990年代半ばに短距離戦線で活躍し、1997年のシルクロードステークスにおいて、日本競馬史上初めて芝1200m1分7秒の壁を破る1分6秒9の日本レコードタイムで勝利するなど、快足の逃げ馬として知られた。馬名は冠名「エイシン」+ドイツの都市ベルリンの英語読み「バーリン」。
戦績
馬齢については、旧表記とする。
アメリカ生まれの外国産馬。フロリダのセリ市で平井豊光が落札し、3歳春に来日。平井が所有する栄進牧場で育成が行われた。
1994年10月に阪神競馬場で行われた新馬戦・芝1400メートルでデビュー。ここを2着に1.7秒差、当時の3歳コースレコードとなる1分21秒4で圧勝し、素質の高さを裏付ける。しかし続く重賞三競走は、ヤマニンパラダイス、スターライトマリー、プライムステージといった強豪に後れを取り、2、3、2着と勝ちきれなかった。
しかし4歳になって初戦のクイーンカップで前述のスターライトマリー、プライムステージらを抑え、重賞を制覇。牡馬相手となったアーリントンカップも連勝し、この勢いのまま「裏街道」[1]の主役になるかと目されたが、アーリントンカップのレース後に骨膜炎(ソエ)を発症する。これは若駒にしばしば見られる成長病のようなものであり、多くの場合、症状は一時的なものであるが、しかしエイシンバーリンの場合は症状が慢性化。調教さえ満足に行うことができなくなり、結局ここから1年7ヶ月に渡っての休養を余儀なくされた。
5歳秋になってようやく復帰するも、復帰後3戦は振るわなかった。しかし4戦目のキャピタルステークスを逃げ切って復活勝利を挙げると、1戦挟んでの京都牝馬特別では、阪神3歳牝馬ステークス以来およそ2年1ヶ月振りの対戦となったヤマニンパラダイスに雪辱を果たし、重賞3勝目を挙げた。続く2戦は中距離を使われて敗れるが、適距離に戻ったシルクロードステークスでフラワーパーク等、当時の一線級のスプリンターを相手に驚異的なハイペースで逃げながら、最後の3ハロンも33秒4という出走馬中2番目のタイムでまとめ、日本馬として史上初めて芝1200m1分7秒を切る、1分6秒9という日本レコードタイムで圧勝した。この日本レコードは後にアグネスワールドによって更新されたが、京都競馬場のコースレコードとして未だ保持されている。
結局これが最後の勝利となったが、続くGI高松宮記念でも2着に逃げ粘り、その後も12戦して重賞で2着4回、GIで3着1回など短距離戦線には欠かせない馬として息の長い活躍を続けた。6歳冬のスプリンターズステークス10着を最後に引退。北海道の栄進牧場で繁殖入りとなった。3、4歳時に見せた高い能力と、競走能力が枯渇しやすい牝馬でありながら、長期休養後にレコード圧勝などの活躍ぶりから、引退に際しては調教師の坂口を始め、ファンや相手陣営の関係者からも「故障がなければ」と惜しむ声が聞かれた。
繁殖成績
生年 | 馬名 | 性 | 毛色 | 父 | 戦績 | |
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第1子 | 2000年 | エイシンゴユウザン | 牡 | 黒鹿毛 | ミシエロ | 26戦2勝(地方11戦2勝・引退) |
第2子 | 2001年 | エイシンパンドラ | 牝 | 芦毛 | フォーティナイナー | 4戦1勝(地方2戦1勝・現役) |
第3子 | 2002年 | エイシンアサヒオー | 牡 | 栗毛 | サンデーサイレンス | 36勝12勝(地方28戦12勝・現役) |
第4子 | 2003年 | エイシンテンクー | 牡 | 黒鹿毛 | ブライアンズタイム | 2戦0勝(引退) |
第5子 | 2004年 | エーシンブランディ | 牝 | 芦毛 | ダンスインザダーク |
9戦2勝(地方7戦2勝・引退) |
第6子 | 2006年 | エイシンバーリンの2006 | 牡 | 鹿毛 | エイシンワシントン | (未出走) |
引退後はリーディング上位の種牡馬との交配が続けられているが、今のところ目立った馬は出ていない。またファンから、同じエイシン名義の1歳年上で、バーリンと同じく短距離の逃げ馬として活躍したエイシンワシントンとの交配を望む声が上げられていたが、2005年に実際に交配が行われ、翌2006年、鹿毛の牡馬が誕生している。
血統表
エイシンバーリンの血統(グレイソヴリン系×ボールドルーラー系)/Princequillo 4×4=12.50%/Nasrullah 5×4=9.38%) | (血統表の出典) | |||
父 Cozzene 1983 芦毛 |
父の父 Caro1967 芦毛 |
フォルティノ | Grey Sovereign | |
Ranavalo | ||||
Chambord | Chamossaire | |||
Life Hill | ||||
父の母 Ride The Trails1971 鹿毛 |
Prince John | Princequillo | ||
Not Afraid | ||||
Wildwook | Sir Gaylord | |||
Blue Canoe | ||||
母 Blade of Luck 1981 鹿毛 |
Blade 1966 栗毛 |
Bold Ruler | Nasrullah | |
Miss Disco | ||||
Monachy | Princequillo | |||
Knight's Daughter | ||||
母の母 Arundo1973 鹿毛 |
Sir Wiggle | Sadair | ||
Wiggle | ||||
Roman Ronda | The Rnymer | |||
Roman Matron F-No.20-f |
母Blade of Luckはカナダで6勝。曾祖母Roman Rondaの牝系からは、2007年の有馬記念等の勝ち馬マツリダゴッホの母の父で米英重賞5勝のBel Bolideが出ている。
脚注
- ^ 当時クラシック出走権がなかった外国産馬が進む路線は、このように呼ばれていた。