Wikipedia:削除依頼/教会の危機
削除依頼の理由:当該ノートページでも以前に指摘されていますが、タイトルからして「教会の危機」といいながらローマ・カトリック教会に限定した話であり、正教会やプロテスタントの教会・信者には全く関係ない迷惑な記事ではないかと思います。しかも「教会の危機」という言葉は前ローマ教皇ベネディクト16世が書籍等の中で使用したフレーズに過ぎず、このタイトルで出版物や公文書が出されたわけでもありません。つまり、ページ名にまず問題があると思われます(削除の方針#ケース D)。
また、記事の内容も、ローマ・カトリック教会の信者数や司祭・神学生数の減少を示す数値・統計資料や、それについての教皇や司教らの証言、諸外国の報道資料、はては日本国内においては「麹町教会堅信式説教」や教会報などを持ち出して、出典も偏ったものばかり引用しているものがほとんどで、「ローマ・カトリック教会はこんなにヤバイ状態にあるんだぜ」と言わんばかりの記事内容で百科事典的な記事かどうか大いに疑義があると思われます(削除の方針#ケース E)。数値や統計資料を載せるならカトリック教会のページに節を設けて記載すればよいことであり、「○○の証言」や説教などは(一つ二つならまだしも、)Wikipediaではなくてどこかの掲示板にでも書くのが相応しい内容ではないでしょうか。また一部の節では「教会の危機」の原因を「典礼の改革や崩壊」であると(わざわざ太字にして)誘導するかのような記述もあり、第2バチカン公会議を否定して伝統擁護にこだわる聖ピオ十世会など教皇庁に背いた団体かその支持者の関与によるプロパガンダも疑われます。 --Lorettibarrend(会話) 2013年3月1日 (金) 07:48 (UTC)
- 削除 依頼者票。 --Lorettibarrend(会話) 2013年3月1日 (金) 07:48 (UTC)
- 削除依頼者票。Tizizano(会話) 2013年3月1日 (金) 11:20 (UTC)
Lorettibarrend さんのご意見に同感です。ここにある「危機」は、世界の世俗化という一般的問題であり、特にカトリックの固有の問題ではありません。現在のカトリック教会に第2バチカン公会議を否定する者は、聖ピオ十世会など伝統派などほんのわずかしかおらず、記事全体が、百科事典の項目ではなく、伝統派の宣伝文書のような性質を持っています。聖ピオ十世会のノートにも書きましたが、この項目にある主張のようなことを考えている者は、カトリックを代表する意見ではありません。記事の主張も、インターネットから寄せ集めたいい加減な典拠が多く、以下のような問題点もあります。項目聖ピオ十世会、マルセル・ルフェーブル等と同質の問題をこの記事は具備しており、カトリック教会に関する、偏った考え方に過ぎないと思います。
- 概説
「1960年代から、カトリック教会では数万の司祭が司祭職を捨て、多くの修道者や修道女たちが還俗した。」→ 出典がない。
- 信徒の信仰生活の危機
「フランスにおいて(…)2003年の統計によると、カトリック信者の4人に1人が『罪というのは意味をなさない』と答えている。」→ 出典がなく、設問そのものも曖昧。
- Catholics in crisis という記事に出てくる神父は、Opus Dei など極右派ばかりで、カトリック教会を代表する人々の意見ではなく、少数派の偏った意見である。
- 聖職者の危機
「元パリ大司教リュスティジェ枢機卿(Cardinal Lustiger)は、ユダヤ教徒たちはキリスト教に改宗する必要はないと公に教えている」→ 他ならぬリュスティジェ自身がユダヤ人であることが理解されていない。
- 1970年から2007年までの全世界における司祭総数、修道者、修道女の総数の移行は次の通りである。
- カトリック信者は、1970年から2007年の間に倍増しているのに、「教会の危機」とは大げさであり、伝統派から見たエキセントリックな意見である。
- ベネディクト16世は、信仰教義聖省長官であったとき、2005年聖金曜日の十字架の道行きで、カトリック教会を「沈みつつある船」に喩えた。→ そのような喩えは存在しない。
- ドイツ語とフランス語の典拠の頁数が示されておらず、翻訳の信憑性を検証できない。——以上の署名の無いコメントは、Tizizano(ノート・履歴)さんが 2013年3月1日 (金) 11:20 (UTC) に投稿したものです(Kinno Angel(会話)による付記)。
- コメント ケースDには当てはまらないのではないでしょうか。日本語には定冠詞がないので、“the Church”が単に「教会」となるのはいたしかたのないことかと存じます。ただし、「教会の危機 (カトリック)」のような記事名に変更することについては反対いたしません。「教会の危機」という言葉そのものについては、ローマ教皇が述べている以上、一定の特筆性を有すると思います。票は投じず、ひとまずはコメントに留めますことをなにとぞお許しください。--Isamit(会話) 2013年3月1日 (金) 14:44 (UTC)
- 条件付き 削除 WP:DP#Eの「独自の研究結果の発表」「(中立的観点というjawpの要請に応え得る)百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」に該当。「論争の多い題材であり、記事の扱う内容も現在進行形の問題を漠然と扱うもので対象選定基準も不明瞭であり、中立的観点を確保した事典記事には成り得ない。」という理由であれば、削除に賛成。この時、「カトリックでは云々」といった個別事情を削除理由に含める事には反対(票を条件付き削除票として、より明確にします)。--Kinno Angel(会話) 2013年3月1日 (金) 14:52 (UTC)
- コメント ここで書かれている議論はWikipedia‐ノート:削除依頼/教会の危機へ転記しました。--122.134.156.202 2013年3月2日 (土) 10:49 (UTC)
削除依頼のご意見を拝見いたしました。拙者が当該記事を作らせていただきました。ご関心とご意見をありがとうございます。拙者が記事がどうしても必要だと思ったその理由は、
- 記事にも書きましたように、教会の危機については、パウロ6世、ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世が言及していること。
- 教会の危機は、前教皇ベネディクト16世が『信仰について』の中で以前から主張していた内容であり(例えば、同書「第2章 再発見すべき公会議」「第3章 危機の根本にあるもの」など)、教皇就任直前にもこれに言及していた(例えば2005年の聖金曜日の十字架の道行き)。そこでベネディクト16世の教皇としての行動を理解するために重要な概念であると思われたこと。
- 以前キリスト教国家であった国々では、おびただしい数の建築物としての教会が閉鎖され売り出されているのを日常に目の当たりにするのに比べ、それが日本にいるとなかなかピンとこない。このような記事があれば、日本の読者にとって現代世界の動向の理解の手がかりになると考えたこと。
- カトリック教会の性的虐待事件に関する(カトリック教会の記事の内に節ではなく独立した)記事が既にあるので、百科事典的な記事として成立する(と少なくとも拙者には思われた)こと。
などです。
- 編集については、前教皇聖下ベネディクト16世の考え方に特に注目し、正確に理解しようと努めました。そのために、「教会の危機」の原因を「典礼の改革や崩壊」であると太字で強調しました。前教皇聖下の考えを強調することが、カトリック教会に関する偏った考え方であるとは思いません。故に「カトリックを代表する意見ではない」と言うことはあたりません。例えばベネディクト16世はこう発言していると責任主体を明確にし事実を記述するだけに努めました。
- 引用については、出来る限りインターネット上で検証や確認が可能であり、同時に出来る限り代表的なものを選びました。
- 東京の「麹町教会」につては、東京大司教区ではミサに参列する信者数がカテドラルよりも多い代表的な小教区の教会なのでそれを選びました。
- 前教皇聖下によれば、全世界でカトリック信者が1970年から2007年の間に倍増しているのにもかかわらず、それと同時に、司祭総数、修道者、修道女の総数が倍増するどころか減っているのが「危機」にあたります。これは決してエキセントリックな意見ではありません。
- ベネディクト16世は、信仰教義聖省長官であったとき、2005年聖金曜日の十字架の道行きで、カトリック教会を「沈みつつある船」に喩えました。英語訳は次の通りです。Lord, your Church often seems like a boat about to sink, a boat taking in water on every side. In your field we see more weeds than wheat. The soiled garments and face of your Church throw us into confusion. 他にも例えばフランス語訳はSouvent, Seigneur, ton Église nous semble une barque prête à couler, une barque qui prend l’eau de toute part. Et dans ton champ, nous voyons plus d’ivraie que de bon grain. Les vêtements et le visage si sales de ton Église nous effraient.、ドイツ語は、Herr, oft erscheint uns deine Kirche wie ein sinkendes Boot, das schon voll Wasser gelaufen und ganz und gar leck ist. Und auf deinem Ackerfeld sehen wir mehr Unkraut als Weizen. Das verschmutzte Gewand und Gesicht deiner Kirche erschüttert uns.です。拙者の引用は、「ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行」貝原敬子訳の「主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。」から取られています。脚注を付け加えてありますので、それを参照して下されば幸甚です。
- 脚注がないものは、無くても同意が得られるないようであると信じていたからであります。ご指摘の内容には根拠を付けるようにいたします。
長文になってしまいました。申し訳ございません。拙者の編集したものについては、中立で公正なより多くの情報がさらに書き込め、より良い記事に発展することが出来たら、と願っています。多くのご協力を願います。 以上、記事を作った理由を申し上げました。この記事の存続をよろしくご検討お願いいたします。--Julio Mein 2013年3月4日 (月) 08:46 (UTC)