ノート:三島由紀夫
関連人物に川端康成を加えてはいかがでしょうか。 川端康成の項目には三島が川端門下だとの記載がありました。 自分は文学史にうといので、詳しい方に判断を預けます。--Njt 2004年9月28日 (火) 09:14 (UTC)
[この編集]の意図は何だったのでしょう? 以下のいずれかに該当すると判断されたのではないかと思いますが、編集の要約に何も書いていないので、意図を測りかねます。
- 事実に反する
- 不必要な個人情報
- 身分差別につながる
三島事件への分割提案
三島事件を分割することを提案します。--経済準学士 2006年6月24日 (土) 13:28 (UTC)
- 賛成。単独で記事にするのに十分な量があると思います。予断ですがしかし、「三島ーっ、頭を冷やせー!!!」「なに考えてんだバカヤローっ!!!」みたいな文章は出す必要があるのかどうか。--DOERAX 2006年7月7日 (金) 03:25 (UTC)
- 大賛成であります。とんちゃん2 2006年7月7日 (金) 09:11 (UTC)
- 分割に賛成します。「三島事件」だと、「地名+事件」のようにも感じられますが、検索してみるとそれなりに使われている用語なので、これでいいのではないでしょうか。--わたあめひみつ 2006年9月24日 (日) 07:04 (UTC)
- 大賛成であります。とんちゃん2 2006年7月7日 (金) 09:11 (UTC)
- (なんとなく分離なら)反対。「その生涯」「略年譜」「映画」を執筆した者として一票。昭和を代表する文学者であり、現在に至るまでインパクトを残した行動者であった三島由紀夫を知る、読む、書くにあたって「1970年11月25日」と「それ以前」を分離することは不自然。1つにまとまっているべき情報で、章立てとしては分離し、同じ場所(ページ)にあるべきと思います。肥大化やバランスが分離の理由なら、日本版で「三島由紀夫」なら足りないくらいかもと思います。「三島事件」という項目の立てかた自体も慎重を要すと思います。「三島事件」「楯の会事件」「三島由紀夫と楯の会事件」…と、いろいろありますし、そもそもどれもが人口に膾炙した項目名とは思えないからです。「三島ーっ、頭を冷やせー!!!」「なに考えてんだバカヤローっ!!!」は、一方的、厳密性は別にせよ史実(ただボールド、太字にする必要がわからない)。もし分離した場合でも現状でも、(センシティブな問題をはらんでるとはいえ)反論的要素、国内外の反応などの記述が少ないので、スタブ項目であると思いますが。論議の末、両項目について有益である道が開かれれば、喜んで賛成します。長々とすいません…。Kamawanu 2006年7月7日 (金) 18:22 (UTC)
- 日本の歴史からみて、ただ単に個人的な事件に終始しているわけではないので、単体で記事化する意味はあると思います。「三島事件」の三島自身に関わることと少々の評価は残しておいて、本記事で解説すればよいのではないでしょうか。
- ついでに、前述した罵声のような記述はいちいち出さずに、「強い罵声や野次がとばされ…」というようにすればいいはずです。会話文を出すのは百貨辞典として低俗ですし、感嘆符が三つもつけられているのもいただけない(そもそも百科事典に感嘆符は不要だと考えています)。--DOERAX 2006年7月31日 (月) 16:19 (UTC)
会話文が低俗と思われるなら、他の記事で会話文が載っているのはすべて低俗になります。気になるのならすべて削除されてから申してください。
- 据え置きで良いのではないでしょうか。三島という作家を知る上で、三島事件はやはり契機となっていますし、さけては通れないと思います。自衛隊員の発言についても事実ですから、資料としての精度上、据え置いてよいのでは。その上で、社会との連関等、三島本人以外の、さらに一般的な切り口から三島事件について項目を立てるのであれば、立てれば良いと思います。--N.h.n 2007年3月4日 (日) 15:46 (UTC)
関連人物
関連人物の項が無意味やたらと長いので、関係性が強く、重要な人物以外は削除するべきです。特に、関係のベクトルが「関連人物→三島」のみの人物をわざわざ記述する必要性が分かりません。(平野啓一郎、浅田次郎、ビョークなど)wikipediaはなんでもかんでもいっぱい書けばいいというものではありません。Addict 2007年2月10日 (土) 00:52 (UTC)
恣意的な判断で何でもかんでもいっぱい削ればいいというものでもありませんね。「関係性が強く、重要な人物」は残すべきというなら、『サド侯爵夫人』成立に決定的な影響を与え(三島が小島千加子に語った言葉によれば)『暁の寺』の今西康のモデルとなった澁澤龍彦、『愛の処刑』成立に重要な役割を果たした中井英夫、『林房雄論』で詳細に論じられた林房雄、『岬にての物語』で三島に模倣されたダンヌンツィオ等は尚更残すべきでしょう。坂本一亀は木村徳三と共に作家三島由紀夫の育ての親と言うべき重要な編集者であり、三島の書簡を読んだことがあれば「関係のベクトルが『関連人物→三島』のみの人物」とはまさか思わないはず。その一方で、通俗的知名度の高い石原慎太郎や安部譲二を残すことは何とも思わないあたり、失礼ながら、Addictさんは本当に三島を読んだことがあるのでしょうか。--Arpeggio 2007年2月10日 (土) 06:06 (UTC)
誰も削除した全ての関連人物のベクトルが「関連人物→三島」だとは言っていません。Arpeggioさんは上で挙げた人物以外で誰を関連人物の項に残すべきと考えているのでしょうか。お教えください。Addict 2007年2月11日 (日) 06:59 (UTC)
人名事典を参考にして、いま草案を作っています。人名も五十音順に配列するつもりです。少々時間が欲しいですね。--Arpeggio 2007年2月12日 (月) 20:21 (UTC)
宣言されてから1年以上が経過したにも関らず、一切手が加えられておらず、行う気がないと判断できる為、当方で整理いたしました。--Metaurus 2008年6月7日 (土) 06:47 (UTC)
愛読
そして『万葉集』や『古事記』などを愛読した。とありますが、これらは教養として求められるものであり、三島の思想的な路線では聖典にひとしいもので、聖書を愛読といわないのと同じ理由で、表現がまちがっているのではないでしょうか。--KOGARASI 2008年11月27日 (木) 22:19 (UTC)
三島由紀夫の同性愛
三島由紀夫が同性愛者か否かはべつとして、そのような関係をもっていたことはかなり確かなことではないでしょうか?福島との関係は事実で、かくしようもないことでは?--KOGARASI 2008年11月27日 (木) 22:19 (UTC)
分割提案
「主な作品」「映画作品」「テレビドラマ作品」「ラジオドラマ作品」「音楽作品」の項をまとめて三島由紀夫の関連作品として分割することを提案します。理由は、ページのサイズ増加です。--Susuka(会話) 2012年8月10日 (金) 03:44 (UTC)
- 本文にかなりの量がありますから、作品リストだけ分割して記事内にリストがない・あるいは貧弱なリストしかない状態にするとかえってバランスが悪いと思います。--頭痛(会話) 2012年8月10日 (金) 09:14 (UTC)
かなりページのサイズが増加してますから、「三島由紀夫の関連作品」としてリストを独立させるのもいいかと思います。そうすれば、数多い短編小説などは全てをリスト化もできるという利点もありますし。 分割する際は、きちんと誘導リンクがなされるようにすれば、三島由紀夫の記事内に作品一覧リストがなくても、主だった作品は「略年譜」に書かれてありますので、特に問題はないのではないでしょうか。 詳細なリストが知りたい人は、「三島由紀夫の関連作品」へ飛ぶと思います。--みしまるもも(会話) 2012年8月10日 (金) 10:55 (UTC)
- コメント 「三島由紀夫の関連作品」では、三島由紀夫が登場する作品や三島由紀夫を論じた作品などを中心とした記事であるかのようであり、三島由紀夫の著作を中心とした記事とは読み取れません。
- 分割するなら「三島由紀夫の作品」とすべきでしょう。「三島由紀夫の作品」と言えないもの、たとえば三島由紀夫が登場する映画などは、そもそも著作と同じ記事で扱うメリットがないです。--Greeneyes(会話) 2012年8月10日 (金) 16:21 (UTC)
三島由紀夫自身が出演した映画、たとえば「からっ風野郎」でも、主題歌は三島の著作ですし、同じ記事で扱うメリットや意味は充分にあると思います。それに三島の場合は、単に小説などの著作だけではなく、映画出演も彼の芸術活動の一環ですから、「三島由紀夫の関連作品」と大きな範囲として含めてまとめて分割した方がいいと思います。もし含めないとすると、少量の関連作品だけが残ってしまい、すっきりした分割にならなくなると思います。--みしまるもも(会話) 2012年8月11日 (土) 02:27 (UTC)
今、考えたんですが、分割する際の記事名は、Greeneyesさんの言うように「三島由紀夫の作品」としておいて、本人出演映画などの関連作品も含めた方向がベストな気がします。「三島由紀夫の関連作品」とすると、三島を論じた関連本まで入ると勘違いする人が出る可能性もあるので、タイトルはあくまで「三島由紀夫の作品」としておくべきでしょう。--みしまるもも(会話) 2012年8月11日 (土) 06:49 (UTC)
- 「三島由紀夫の作品」という記事名で翻案や出演映画まで扱うのは変です。つけるとしたら「三島由紀夫の著作・出演作品ならびに翻案作品」とかになるでしょうが、さすがに無理があるでしょう。仮に著作と翻案を分けた場合、著作はともかく翻案は単独の一覧にするほど量があるようには見えません。
- 現在この記事は35万5000バイトですが、著作などを切り離したとしても30万前後は残るでしょうから「サイズの増加」を問題とするならあまり本質的な解決にはならないと思います。私は別にページサイズが増えることに問題は感じないのですが、サイズのことを考えるのであればまず記事のブラッシュアップからはじめるべきです。精査はしていませんが、現在この記事は事典としては瑣末な情報まで詰め込みすぎている印象も受けます。その上でなお必要なら全体のバランスを十分考慮したうえで分割をすべきです。(この点では一度査読依頼で意見を募ってみるといいかもしれません。)なお「短編小説などのリスト化」を考えているのであれば、何も記事の分割をしなくても現在記事にあるのとは別により詳しい著作の一覧をつくることはできると思います(そこまで詳しいリストが必要かどうかという点はちょっとわかりませんが)。単にページサイズを減らすためというだけの分割には賛成できません。--頭痛(会話) 2012年8月11日 (土) 09:34 (UTC)
頭痛さんへ。 記事内容はどれも必要項目に欠かせない情報ですし、決して無駄な情報まで入れてないと思います。変に削ると、三島の辞書としては偏った内容になると思います。特に家系に関する項目は、私が加筆する以前はかなり偏向的で悪意のある一面的内容でした。様々にある諸説を網羅する正しい辞書にするならば、必要不可欠な内容ですし、サイズのことを第一優先して、内容を削るのは辞書としては不完全だと思います。 分割についても、サイズの増加はこれ以上は増えないと思いますが、やはり著作関係は分割した方がすっきりすると思いますよ。より詳しい著作の全リストはあった方が辞書としては親切ですし、短編などは個別に作品記事にする必要のないものが多いので、リストアップだけはしておいた方がいいと思います。テンプレ類が膨れ上がるよりは、年月日も付随するので記事内が適しているでしょう。 分割する際の、タイトルは簡潔にした方がよいので、「三島由紀夫の作品・関連作品」ではどうでしょうか? 主演作品や翻案作品を含めていることは、記事の最初の文章で説明すればよいと思います。--みしまるもも(会話) 2012年8月11日 (土) 11:33 (UTC)
- ええと、「関連作品」とつけると「三島を論じた関連本まで入ると勘違いする人が出る可能性もある」という話だったのでは。まあそのあたりは冒頭で「三島を対象とした評論やファンブックなどは扱わない」というような断り書きをすれば済むのかもしれませんが。
- それはそれとして、やはり私には現状の記事状態がベストであるようには見えません。ざっと「経歴」を読んだだけでも整理しきれていないと思います。削るか削らないかということはともかく、脚注化したり別の節に移したほうがよいのではないかと思われる情報が散見されます。例えばですが、「経歴」のなかでとりたてて交流があったわけでもない太宰治とのエピソードを長々と書く必要があるでしょうか。これはもっと内容を圧縮したうえで「関連人物」で述べるのがよいのでは。三谷信の回想や橋川文三・加納典洋の『英霊の声』評といったものも長々と引用しすぎだと思います。引用は基本的に地の文に対して従の関係にあるべきですが、このあたりは各段落で引用文のほうが主になってしまっています。引用するにしてももっと地の文を生かし引用部分を絞ることができるのではないでしょうか。
- また短編作品のリストアップをしたいのであれば前述のようにさしあたり「三島由紀夫の作品一覧」などにして本稿とは別に作成するほうが良いと思います。他者の査読を経たうえでどうしても内容が膨大になってしまうようであればそのとき場合には分割を検討してもよいでしょう。ノストラダムスのように家系・親族や関連人物一覧を別項として分割することも考えてもよいかもしれません。現状での分割は記事にとってプラスになるとは思えません。--頭痛(会話) 2012年8月11日 (土) 16:49 (UTC)
「三島由紀夫の作品一覧」などにして本稿とは別に作成するならば、分割して記事にするのと同じことでは。別に作成するのに、現在の記事の中に残しておくのはダブリになるので、もし作成するならば分割してしまった方がいいと思います。主だった作品履歴はすでに略年譜でも網羅されていますし。もし分割する場合は、記事のタイトルは、「三島由紀夫の著作および関連作品」とて説明文をつければ問題ないと思います。
頭痛さんの意見の、親族や関連人物一覧は別項にして独立分割するのは、少し違和感があります。ノストラダムスの場合と三島の場合は意味合いが違うのでは。親族は個別の記事もありますし、三島の記事内でまとめた出目、家系家族の項は移動すると三島の経歴との関連性や全体的繋がりがバラバラになり混乱すると思います。三島の著作リストならば、分割は簡単にできますし、デメリットはないと思いますが、どうしても著作の項の分割反対ならば、このままの状態でどちらも分割しない方がベストでしょう。短編のリストに関しても現状態でも大体ほとんどは網羅されていますので、わざわざ分割記事にして全リストしなくてもいいかとも思います。ちょうど著作分割の提案が出たので、分割できれば全リスト化したいというだけの話で、無理にすることもないでしょう。
太宰に関するエピソードに関しては頭痛さんのおしゃるように、関連人物の項で書いた方がいいかとも思いますので、後日、修正していきたいと思います。「英霊の声」評の引用部分も、個物作品記事で充実させているので、本記事の方は絞ってみたいと思います。記事増加はこれ以上はないでしょうから、分割は無しの結論でどうでしょうか? なるべく記事は分割しない方がいいことは確かですから。私も基本的には現状のサイズ量は問題ないと思います。もしどうしても分割するならば、著作リスト分割がベストで、他の項を分割したり、簡略化を第一優先にして、無理に記事を縮小してしまうのは反対だというだけの話です。--みしまるもも(会話) 2012年8月12日 (日) 01:22 (UTC)
- 分割する前に別に一覧記事を作ったらどうか、というのは現状よりも詳しい一覧にするのであればということです。例えば作品を全部テーブル化して初出や備考を細かくつけるとか。その場合には容量が増大しますから別項一覧記事にしたほうがよいということになりますし、本記事にある一覧は簡略版として機能することになると思います。まあその場合は本記事の一覧をもっと削ってもよいかもしれませんが。別途一覧記事があるからといって(また年譜に記されているからといって)作品一覧を作家記事から完全に除外して別記事まかせにすべきではないと思います。残念ながらアガサ・クリスティや松本清張などはそのようになってしまっていますが、一つの記事としての体系性や利便性を損ねています。
- 親族などの記述についてはちゃんと読まないまま発言しましたので、記事構成上分離できないということであれば無論分離すべきではないでしょう。しかし系譜などの節も私は「書きすぎ」ではないかと思います。ちょっと手が空いていないのであまり具体的なコメントはできませんが、やはり一度査読を依頼したほうがよいのではないかと感じます。--頭痛(会話) 2012年8月13日 (月) 20:02 (UTC)
三島の系譜については、私が編集する前は、話者匿名の週刊誌・噂の真相などからの悪意的な真偽不明の引用が主体となって偏向していましたので、それに対応する他の三島研究者からの引用を付加した客観的なバランスのとれた記事にするためには、現在の内容量は必須です。三島について知らない人の審査にゆだねて、単に記事を簡略化する方向にするのは反対です。これぐらいの内容になるのは、数え切れないほどの三島論がある三島由紀夫という人物の辞典として必要最小限の内容ですから。--みしまるもも(会話) 2012年8月14日 (火) 01:37 (UTC)
「愛国心」の節分け
三島の持論の中で、「天皇論」について愛国心に関することを記述したものです。「愛国心」については分割して三島の持論の一つとして分けたほうがいいでしょうか?どうかおねがいします。--BlackClow(会話) 2014年9月13日 (土) 05:31 (UTC)
- BlackClowさん、こんにちは。BlackClowさんが書かれた「愛国心」についてのものは、「天皇論」とは違いますので、やはり項目は分けた方がいいと思いますが、まとめ方はもう少し補足しておかないと、三島の本来の結論主旨になりませんので、加筆が必要となります。
- BlackClowさんが引用なさった三島の『愛国心』の一節はよく抜粋される部分ですが、そのエッセイ全体の三島の主旨や結論は、「国を思う心」自体は否定していないものです。三島が言っていることは、キリスト教的な「愛」(全人類的な愛)という言葉が、国を「恋うる心」とはそぐわない言葉だという意味なので、いわゆる「愛国心(国を思う心)」自体を否定しているのではなく、むしろ日本人には、その「恋」は「内在的即自的であり、かつ限定的個別的具体的」にあるもので、「恋が盲目であるやうに、国を恋ふる心は盲目であるにちがひない。しかし、さめた冷静な目のはうが日本をより的確に見てゐるかといふと、さうも言へないところに問題がある。さめた目が逸したところのものを、恋に盲ひた目がはつきりつかんでゐることがしばしばあるのは、男女の仲と同じである」と肯定しているのです(全文の論旨をご覧になるとお分かりなると思います)。なので、一般的にこのエッセイの前半の一部分だけがよく抜粋され、一人歩きしている傾向があるので、きちんと全体の結論主旨を反映したものに、後日まとめ直したいと思っていました。今現在、私は他の案件にかかっており、いますぐにはできませんが、それが一段落したら、まとめようと思います。あるいはBlackClowさんがまとめて下さっても構いませんが、全体の結論主旨にしたものにしてから、項目分けはした方がいいと思います。--みしまるもも(会話) 2014年9月13日 (土) 07:51 (UTC)
- ありがとうございます。ただ、まとめるにはかなり時間がかかると思いますが、構いませんか?--BlackClow(会話) 2014年9月13日 (土) 09:44 (UTC)
そうですね、特に急がなくても、BlackClowさんのペースでまとめて下さって構いませんよ。とりあえずは、今書かれてある〈三島自身は「愛国心」に関しては、〉の部分に、「という言葉」を入れて、〈三島自身は「愛国心」という言葉に関しては、〉にしていただければ、正確な意味になるので、そこだけ入れておいて下さい。エッセイ『愛国心』の全文は、『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)で読めますので、よろしくお願いします。--みしまるもも(会話) 2014年9月13日 (土) 12:12 (UTC)
とりあえず、ある程度節分けしました。--BlackClow(会話) 2014年9月13日 (土) 23:28 (UTC)
- ありがとうございます。脚注部分や細かい点などを少し補足・補正しておきました。--みしまるもも(会話) 2014年9月15日 (月) 12:37 (UTC)
「三島の持論」の太字について
「三島の持論」の節で、三島の述べた言葉に太字が使われているところがあります。これは、なぜ太字になっているのでしょうか?「三島由紀夫」を説明する記事として太字で強調する必要性があったのだと思いますが、特に政治の主張などは、三島に影響を受けた人が三島の主張を喧伝するために太字にしているような印象を持たれてしまう可能性があると思います。私はなるべく、太字は避けた方がいいと思っています。「三島由紀夫」の記事を読んでいて、多少、気になったところです。--Bonatyuna(会話) 2015年9月4日 (金) 14:39 (UTC)
- Bonatyunaさん、こんにちは。ご意見ありがとうございます。おそらく太字になさった方は、強調したい気持もあったかもしれませんが、発言部分と説明文を解かりやすく区別したい気持もあったんじゃないでしょうか。いずれにしろ、Bonatyunaさんのおっしゃるように、太字がだらだら長々とあると違和感があって変ですので、取っておきます。
- 私は今、出典補強を兼ねながら、少しずつ三島の記事の整理を項目ごとに進めており、「文壇デビュー…」以下も徐々にやっていこうと思っていますが、その際、太字だったところも、記述全体を見ながら、引用枠にするか、要約でまとめるかを考慮し改稿していきます。とりあえず今は、太字だけ解消しておきます。--みしまるもも(会話) 2015年9月5日 (土) 00:30 (UTC)
- 了解しました。--Bonatyuna(会話) 2015年9月5日 (土) 10:51 (UTC)