ひろしまフラワーフェスティバル
ひろしまフラワーフェスティバル Hiroshima Flower Festival | |
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花の塔 | |
イベントの種類 | 祭り |
通称・略称 | FF、フラワー |
正式名称 | ひろしまフラワーフェスティバル |
開催時期 | 毎年5月3日 - 5日 |
初回開催 | 1977年 |
会場 |
平和記念公園、平和大通り (メイン会場) |
主催 | ひろしまフラワーフェスティバル実行委員会(広島祭委員会、広島市、広島県、広島商工会議所、広島青年会議所、広島観光コンベンションビューロー、広島市商店街連合会、中国新聞社、中国放送 |
後援 |
広島県教育委員会 広島市教育委員会 ヒロシマ平和創造基金 広島国際文化財団 広島県観光連盟 NHK広島放送局 広島テレビ 広島ホームテレビ テレビ新広島 広島エフエム放送 |
来場者数 | 180万2千人(2013年) |
最寄駅 | 広島電鉄電車中電前停留場・袋町停留場など |
駐車場 | 祭り会場周辺の駐車場を利用 |
公式サイト |
ひろしまフラワーフェスティバル(英: Hiroshima Flower Festival)は、広島県広島市平和大通り及び平和記念公園周辺をメイン会場に、毎年5月3日から5日まで開催される祭りである。動員数は毎年160万人を越え、「博多どんたく」などと並び、ゴールデンウィーク中の日本の祭りの中で最大級の動員数である。
概要
1975年に、平和大通りにて広島東洋カープのセントラル・リーグ優勝パレードが行われ、当時としては驚異的な30万人を動員。これに後押しされ、既に平和大通り一帯を会場にした新しい祭りの構想を練っていた中国新聞社が中心となり商工会や市側と折衝を重ね、1977年に初開催。3日間で計125万人を集めて大成功を収めた。しかし2020年は新型コロナの世界的大流行で中止が決定[1]。
開催当初よりミスフラワーを3人選び、祭りに花を添えている。1991年以降より、ミス・コンテスト批判の高まりよりフラワークイーンに名称を改めている。
新聞などではFFと略される。地元民はフラワーと略すこともある。
また、広島電鉄の路面電車によるラッピング車両が広島市内を走る。
主催団体の1つである中国新聞紙面上でも特集記事が組まれ、他紙が5月6日を新聞休刊日にしている場合も、新聞を発行している。
祭りの内容
祭りのメインは、開催当初から5月3日の花車(祭りの当初は山車と呼ばれていた)と市民の行進である総合パレードと、2002年より行われている5月5日のきんさいYOSAKOIが主な行事になる。
3日の11時に、花の塔に点火して祭りが開始。平和大通り沿いに多くのステージが設置され、主催者が呼ぶスペシャルゲスト以外にも、多くの有名人がステージに立っている。また、パレードのない時間帯には平和大通りは歩行者天国になる。
- 5月3日:総合パレード、ステージ・ひろば展開
- 5月4日:ステージ・ひろば展開(パレードが行われていた年もあった)
- 5月5日:きんさいYOSAKOIパレード・ステージ(2002年より)、ステージ・ひろば展開 ※過去にはこどもの日パレード(2001年まで)などもあった
パレード
パレードは、平和大通りの田中町から平和記念公園前まで行っている。
2002年まで5月5日にはこどもの日パレードが行われ、2002年はこどもの日パレードときんさいYOSAKOIが両方行われた。2003年からはパレードは1日になり、企業・一般団体と子供団体が一緒に歩く形になった。2008年より、5月3日の総合パレードで、これまでの花ぐるまパレードにあわせて、折りづるみこし連も行われている。
きんさいYOSAKOI
2002年より、5月5日にはきんさいYOSAKOIが行われている。11時からの平和大通りを練り歩きながらの演舞と、パレード後に平和記念公園に設置されたカーネーションステージでの演舞に分かれ、審査している。
演舞の際は鳴子を使用することを求められ、使用しない場合は減点対象になる。
きんさいYOSAKOIで使われる曲は、きんさいYOSAKOI用にアレンジされた花ぐるま「ひろしまYOSAKOIきんさい花ぐるま」、「ひろしま鳴子踊りYOSAKOI花ぐるま」の他、オリジナル曲の使用もできる。
2008年から、参加団体の増加により、大通りを2つに分ける形にグループ分けをしてパレードするようになった。 2014年からは、スタートからゴールまでの約1.2kmを流し踊りの形で演舞をするようになった。
カープ選手によるトークショー
広島東洋カープの若手2軍選手がトークショーを開催することが恒例行事となっている。毎年フラワーフェスティバル会場内に「マツダZoom-Zoomひろば」が設置され、フラワーフェスティバル限定のカープグッズも多く販売している。しかし、直筆サイングッズに関しては当日販売対象分の購入整理券を配布しなければならない程購入希望者が多く、限定グッズの入手は大変困難である。
ステージ
平和大通り沿い及び協賛会場に約30のステージが開設され、歌手が歌ったりしている。ステージには花の名前が付けられていて、「○○(花の名前)ステージ」と呼ばれている。メインステージは平和記念公園内の「カーネーションステージ」。
会場
祭りが始まった当初より、平和大通り及び平和記念公園周辺をメイン会場にし、市内各所で開催されている。
2000年頃より、協賛会場として、NTTクレド、紙屋町シャレオ、広島県庁舎、広島城、エールエール地下広場、アルパーク、フレスタモールカジル横川、ゆめタウン広島などでも行われている。
祭りのテーマ
開催当初より、3つのテーマを上げている。
- 広島を花と緑と音楽のあふれる都市にしよう
- 平和に生きることのすばらしさと尊さを、参加者みんなで分かち合おう
- 広島から世界へ、豊かな生活文化と、温かい人間関係の交流を呼びかけよう
また、毎年市民から公募した年ごとのテーマを上げている。
回数 | 開催年 | 年ごとの大会テーマ |
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1回 | 1977年 | |
2回 | 1978年 | |
3回 | 1979年 | |
4回 | 1980年 | |
5回 | 1981年 | |
6回 | 1982年 | 躍動美の創造 |
7回 | 1983年 | 笑顔と笑顔の交流 |
8回 | 1984年 | 花と笑顔で輪をつくろう |
9回 | 1985年 | ことし、青春と花の出会い |
10回 | 1986年 | 街はステージ みんなが主役 |
11回 | 1987年 | すばらしい 花と仲間がふれあう日 |
12回 | 1988年 | 花になろう 風と遊ぼう |
13回 | 1989年 | 聞こえますか 花のうた |
14回 | 1990年 | 花と語ろう 夢 未来 |
15回 | 1991年 | 花いっぱい 夢いっぱい FF15 |
16回 | 1992年 | みんなで咲かそう 花と夢 |
17回 | 1993年 | 奏でよう 花と笑顔のハーモニー |
18回 | 1994年 | 咲かそうよ 花と緑と アジアの輪 |
19回 | 1995年 | ききたいな 平和を語る 花のうた |
20回 | 1996年 | 歌おうよ はたちの夢と 花のうた |
21回 | 1997年 | 育てよう 花と緑と 人の輪を |
22回 | 1998年 | 夢のせて ふれあい賛歌 花賛歌 |
23回 | 1999年 | 時を超え ひびけ歌声 花アーチ |
24回 | 2000年 | 花と人 笑顔でつなぐ 2000年 |
25回 | 2001年 | 花咲け 夢咲け 2001 |
26回 | 2002年 | 平和な新世記を 花緑・水の都からの元気発信 |
27回 | 2003年 | 踊ろう 歌おう 平和の花 |
28回 | 2004年 | 広げよう 花と人の輪 平和メッセージ |
29回 | 2005年 | つなげよう 人の温もり 平和の輪 |
30回 | 2006年 | ありがとう! 花と平和の30年~smile to smile~ |
31回 | 2007年 | 花舞台 はじける笑顔 あなたが主役 |
32回 | 2008年 | 届け世界へ 花で創る 平和の鼓動 |
33回 | 2009年 | SUNSUNと 輝け花と 平和の光 |
34回 | 2010年 | きっと咲く! つないだ手と手に 平和の花が |
35回 | 2011年 | 咲き誇る 花が育む 笑顔と平和 |
36回 | 2012年 | 笑顔咲く 未来を照らす 希望の花 |
37回 | 2013年 | 心に花を 咲かせる笑顔 平和な未来 |
38回 | 2014年 | キラキラと はずむリズム 笑顔の花 |
39回 | 2015年 | とどけよう 平和の花 はじける笑顔 |
- 第32回 (2008年) では史上初の高校生(八木 一樹)により発案されたテーマが採用された。
- 第35回(2011年)では大会テーマに加え、同年に発生した『東日本大震災』被災地支援スローガンとして、「届けよう 希望 元気」を使用し、第35回ではテーマよりもスローガンを多く使われている。
公式テーマ曲
花ぐるま(歌:芹洋子、作詞:滝田常晴、作曲:小椋佳、編曲:高田弘)が代表的な公式テーマ曲である。
第3回のフラワー歌手に芹洋子が選ばれた時に「フラワー賛歌」として使用開始し、会場内やテレビ・ラジオCMなどで多く使われ、公式パンフレットにも歌詞が掲載され、開会セレモニーの時にフラワー歌手などが歌うのが恒例行事になっている。芹洋子は第3回以降も第4回及び第9回にも唯一、フラワー歌手に3回選ばれている。ノーマルバージョンのほか、YOSAKOIバージョンなども存在し、2010年には神園さやかのカバー版がFF公式CDとして、他の公式ソングと合わせて発表された。また、広島市近郊の防災用緊急放送用サイレンで、ワンフレーズだけ午後6時になると時報として鳴らしている。
その他、初回フラワー歌手の、フラワー・フェスティバル(歌:佐良直美、作詞:西川好次郎、作曲:小林亜星、編曲:竜崎孝路)が最初のテーマ曲として使われ、その他初回にフラワー音頭(作詞:岡本淳二、作曲:小林亜星、編曲:竜崎孝路)、第3回の花ぐるまのカップリングの花の想い(歌:芹洋子)、10回記念に作られた花たちの扉(歌:ジュディ・オング、作詞:来生えつこ、作曲:村下孝蔵。その後、村下自身が別の歌詞を付け『かすみ草』のタイトルでアルバム『かざぐるま』に収録している)、近年では青春は輝いて(歌:神園さやか)などもある。
FFスペシャルゲスト(フラワー歌手)
フラワーフェスティバルでは2006年以降、大会主催者が複数組のFFスペシャルゲストを呼んでいる。呼ばれた歌手は、メインステージなどで歌を披露したりしている。
また、2006年以降FFゲストも呼んでいる。
フラワー歌手が廃止後は、主に地元に縁のある歌手がオープニングセレモニーで花ぐるまを歌っている。
2005年までは、フラワー歌手が一組呼ばれ、5月3日のオープニングセレモニーの時に花ぐるまを歌い、同日のパレード終了後にメインステージで、歌謡ステージが披露されていた。1987年の中山美穂の時は大騒動になり、歌謡ステージが中止になった。
回数 | 開催年 | フラワー歌手 | ||
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1回 | 1977年 | 佐良直美 | ||
2回 | 1978年 | 佐良直美 | ||
3回 | 1979年 | 芹洋子 | ||
4回 | 1980年 | 芹洋子 | ||
5回 | 1981年 | 桜田淳子 | ||
6回 | 1982年 | 石川ひとみ | ||
7回 | 1983年 | 榊原郁恵 | ||
8回 | 1984年 | 石川秀美 | ||
9回 | 1985年 | 芹洋子 | ||
10回 | 1986年 | ジュディ・オング | ||
11回 | 1987年 | 中山美穂 | ||
12回 | 1988年 | 早見優 | ||
13回 | 1989年 | 酒井法子 | ||
14回 | 1990年 | 西村知美 | ||
15回 | 1991年 | 坂本冬美 | ||
16回 | 1992年 | 田村英里子 | ||
17回 | 1993年 | かとうれいこ | ||
18回 | 1994年 | オユンナ | ||
19回 | 1995年 | マルシア | ||
20回 | 1996年 | 鈴木蘭々 | ||
21回 | 1997年 | 早坂好恵 | ||
22回 | 1998年 | キム・ヨンジャ | ||
23回 | 1999年 | 西田ひかる | ||
24回 | 2000年 | 遠藤久美子 | ||
25回 | 2001年 | 酒井美紀 | ||
26回 | 2002年 | 島崎和歌子 | ||
27回 | 2003年 | 島谷ひとみ | ||
28回 | 2004年 | ソニン | ||
29回 | 2005年 | 神園さやか | ||
回数 | 開催年 | FFスペシャルゲスト | FFゲスト | オープニングセレモニーで花ぐるまを歌った歌手 |
30回 | 2006年 |
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31回 | 2007年 |
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32回 | 2008年 |
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33回 | 2009年 |
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34回 | 2010年 |
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35回 | 2011年 | |||
36回 | 2012年 | |||
37回 | 2013年 | |||
38回 | 2014年 |
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39回 | 2015年 |
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40回 | 2016年 | |||
41回 | 2017年 | |||
42回 | 2018年 |
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43回 | 2019年 |
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主催
祭りの主催は「ひろしまフラワーフェスティバル実行委員会」が行い、企画実施本部は中国新聞社(広島本社)内部に位置している。
主催団体に参加する団体・企業は、広島祭委員会・広島市・広島県・広島商工会議所・広島青年会議所・広島観光コンベンションビューロー・広島市商店街連合会・中国新聞社・中国放送で構成されている。
また、広島県教育委員会・広島市教育委員会・ヒロシマ平和創造基金・広島国際文化財団・広島県観光連盟・NHK広島放送局・広島テレビ放送・広島ホームテレビ・テレビ新広島・広島エフエム放送が後援に連ねている。
テレビ中継
ひろしまフラワーフェスティバル実行委員会に所属する中国放送(RCC・TBS系列)では初日のフラワーパレードを生中継している(5月3日が土曜に重なる年は『王様のブランチ・第1部』が休止、日曜に重なる年は『サンデージャポン』が休止、『アッコにおまかせ!』が14時台(2015年は14:21 - 15:30)の録画時差ネットとなる(近年は前者は2014年が、後者は2009年と2015年が該当。パレード自体は11時台から中継のため、10時台は単発番組を編成)。それ以外の曜日に重なる年は、『ひるおび!』について、「第0部」を臨時非ネット(2017年はパレード中継が10:55からのため、10:55まではテレビショッピングと番宣番組の自主編成を実施)、「午前」は臨時に11:30飛び乗りとし、『JNNニュース』(EPG等の番組表上では『ひるおび! JNNニュース』と表記)のみの放送に変更、「午後」は臨時に例年は13:55から録画時差ネット。自社制作の午後の生ワイド『イマなまっ!』などは休止とする(2017年は5月1日から休止して、ドラマ『下町ロケット』集中再放送の自主編成を実施)。また、5月5日の「きんさいYOSAKOI」も『イマなまっ!』のスペシャル扱いで放送する(2017年は13:55 - 15:25の時間帯で放送)。
2018年5月3日は『SAMURAI BASEBALL・広島 vs 巨人』(マツダスタジアム)を13:55からTBS系列全国ネットで放送したため(地元球団の中継に差し替えた地域を除く)、『ひるおび! 午後』は15:50からの時差ネットとした。中国放送は自社の中継機材・要員の大半をパレード中継優先としたため、野球中継についてはTBSテレビが中継車と一部の要員を、毎日放送がスポーツコーダ機材を派遣した。このため、野球中継については通常の中国放送・TBSテレビの共同製作著作ではなく、TBSテレビ単独の製作著作となり(ただし実況は中国放送の坂上俊次アナウンサーが担当)、中国放送は毎日放送とともに制作協力扱いとなった[2]。
データ関係
時期的に三日のうち高い確率で雨が降り、三日とも晴れるのは稀であるとする「雨のジンクス」(都市伝説)がある。しかし、大会主催発表では必ずしもそうとは言えない。
観覧者の数は、開催当初より120万人を超え、この120万人を切ったことはない。
回数 | 開催年 | 観覧者(万人) | 天気 | ||
---|---|---|---|---|---|
5月3日 | 5月4日 | 5月5日 | |||
1回 | 1977年 | 125 | 晴れ | 雨 | 曇 |
2回 | 1978年 | 165 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
3回 | 1979年 | 155 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
4回 | 1980年 | 147 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
5回 | 1981年 | 144 | 雨 | 晴れ | 晴れ |
6回 | 1982年 | 151 | 雨 | 晴れ | 晴れ |
7回 | 1983年 | 153 | 晴れ | 晴れ | 曇のち雨 |
8回 | 1984年 | 157 | 晴れ | 晴れ | 曇のち雨 |
9回 | 1985年 | 140 | 晴れ | 晴れ | 曇のち雨 |
10回 | 1986年 | 143 | 曇のち雨 | 曇 | 曇 |
11回 | 1987年 | 150 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
12回 | 1988年 | 125 | 雨 | 雨 | 晴れ |
13回 | 1989年 | 155 | 晴れ | 晴れ | 曇のち雨 |
14回 | 1990年 | 120 | 曇のち雨 | 雨 | 曇 |
15回 | 1991年 | 171 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
16回 | 1992年 | 170 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
17回 | 1993年 | 163 | 曇 | 晴れ | 晴れ |
18回 | 1994年 | 133 | 晴れ | 曇のち晴れ | 晴れのち曇 |
19回 | 1995年 | 135 | 曇のち雨 | 雨のち曇 | 晴れ |
20回 | 1996年 | 138 | 晴れ | 雨 | 晴れ |
21回 | 1997年 | 140 | 曇のち雨 | 晴れ | 晴れ |
22回 | 1998年 | 141 | 曇のち晴れ | 晴れ | 晴れのち曇 |
23回 | 1999年 | 140 | 晴れ | 雨 | 晴れ |
24回 | 2000年 | 141 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
25回 | 2001年 | 141 | 晴れ | 曇のち晴れ | 曇 |
26回 | 2002年 | 135 | 曇のち雨 | 雨 | 晴れ |
27回 | 2003年 | 161 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
28回 | 2004年 | 128 | 雨のち曇 | 曇のち雨 | 晴れ |
29回 | 2005年 | 162 | 晴れ | 晴れ | 晴れのち曇 |
30回 | 2006年 | 165 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
31回 | 2007年 | 158 | 晴れ | 曇 | 曇 |
32回 | 2008年 | 166 | 晴れ | 晴れのち曇 | 雨のち曇 |
33回 | 2009年 | 161 | 曇 | 曇 | 曇のち雨 |
34回 | 2010年 | 168 | 晴れ | 晴れ | 晴れのち曇 |
35回 | 2011年 | 169 | 曇 | 晴れ | 晴れ |
36回 | 2012年 | 168 | 曇のち晴れ | 晴れ | 晴れ |
37回 | 2013年 | 180 | 晴れ | 曇 | 晴れ |
38回 | 2014年 | 172 | 晴れ | 晴れ | 曇のち晴れ |
39回 | 2015年 | 160 | 雨 | 雨のち晴れ | 晴れ |
40回 | 2016年 | 141 | 雨 | 晴れ | 晴れのち曇 |
41回 | 2017年 | 153 | 曇のち晴れ | 晴れのち曇 | 晴れのち曇 |
42回 | 2018年 | 158 | 晴れのち曇 | 晴れ | 晴れのち曇 |
天気及び観覧者数は、2014FF公式写真集および公式サイトを参考にした
交通
脚注
- ^ 5月のフラワーフェスティバル中止 新型コロナで 中国新聞デジタル 2020年3月23日
- ^ 本イベントと重ならなかった2019年3月30日も、この時に準じてTBSテレビが製作著作、中国放送・毎日放送が制作協力扱いとなっていた。
参考資料
- 2008FF公式写真集
- 中国新聞
- 中国新聞(フラワーフェスティバル30年)
- “『信頼』山本朗 回想録 <22> フラワーフェスティバル(FF)”. 中国新聞. (2012年10月24日)