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島崎和歌子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しまざき わかこ
島崎 和歌子
高知よさこい祭りのパレードに参加中の島崎和歌子。
プロフィール
愛称 和歌ちゃん
ワッコさん
和歌子
和歌姉
姉さん
生年月日 1973年3月2日
現年齢 51歳
出身地 日本の旗 日本 高知県南国市
血液型 O型
毛髪の色 茶色 黒色
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 155 cm / kg
靴のサイズ 23.5 cm
活動
デビュー 1989年5月5日
ジャンル アイドル歌謡曲、J-POP
他の活動 歌手、女優 タレント
事務所 ゴールデンミュージックプロモーション
その他の記録
明治大学付属中野高校定時制中退
独身(未婚)
モデル: テンプレート - カテゴリ

島崎 和歌子(しまざき わかこ、1973年昭和48年〉3月2日 - )は、日本の歌手タレント女優血液型O型。所属芸能事務所は、ゴールデンミュージックプロモーション愛称は、「和歌ちゃん」「ワッコさん」「和歌子」「和歌姉」「南国のボス」。本名の表記は同じだが、「しまき わかこ」と読む[1]高知県出身。

略歴

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1973年高知県南国市で生誕。名前は父親が女優の酒井和歌子にちなんで名付けた。

1987年夏、大過なく過ぎていく人生に疑問を抱き、「何か思い出に残る大きなアクシデントが欲しい」と思い立って[2][注 1]ロッテ CMアイドルはキミだ!」に応募。中山美穂の「50/50」を歌い、グランプリは相川恵里に奪われたものの準優勝、芸能事務所ゴールデンミュージックプロモーション社長の市村義文にスカウトされる。父親は猛反対したが[4]、これを押し切って芸能界入りを決め、高校入学のタイミングで上京[5]

1989年1月、フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ『こまらせないで!』で女優デビュー。主演の荻野目洋子を虐める気が強い高校生役を演じる。同年5月5日ポリドールから「弱っちゃうんだ」でアイドル歌手デビュー。同期歌手デビューに親友の田村英里子や、深津絵里中山忍星野由妃マルシア千葉美加川越美和などがいる。

同年7月には、小沢なつきの降板により打ち切りとなった『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』の後番組として急遽制作が決定した『魔法少女ちゅうかないぱねま!』のヒロインに抜擢され、幼年層の支持を得た[注 2]。デビュー2年目の1990年には、東宝映画『スキ!』で映画初出演にして主演に抜擢される。

1991年に放送開始の『クイズ!当たって25%』(1992年3月まで)、および『オールスター感謝祭』(2024年時点で30年以上に渡って)の司会を務めている(後述)。以降はアイドルから、徐々にバラエティー番組にシフトしていき、バラエティアイドル(通称・バラドル)の一人として活躍。

2001年バウハウスより写真集『wakako』を発売(宮澤正明撮影)、セミヌードを披露。写真集発売にちなんでデビュー以来初となる握手会を実施した[6]。写真集は『オールスター感謝祭』で参加賞として提供されたが、出演者からの評判は悪かった。

2003年にはクラブDJのトシユキゴトウ (Toshiyuki Goto) とクラブで抱擁や接吻を繰り返していた、と『週刊女性』で報じられた[7][8]。この件については、接吻は酔いの中で挨拶のような意図で行ったものとし、交際を否定した[9]。事件は活動分野が類似し、長く未婚を続けていた磯野貴理子が結婚を発表した直後であったことから注目を集めた。

2008年にはデビュー20周年を記念してボックス・セット『島崎和歌子 20th anniversary BOX』を発売、サンシャインシティ噴水広場で開催された20周年記念イベントではデビュー曲『弱っちゃうんだ』を17年ぶりに披露した[10]。2009年には自らが主演するドラマ『オーバー30』の主題歌『Happy Life 〜明日に向かって〜』を発売、島崎和歌子名義では16年ぶりとなる楽曲となった[11]。この曲のレコーディングにあたりボイストレーニングに通い[12]、過去の楽曲における地声に近い歌声とは全く異なる歌声を披露した。カップリング曲「世界で一番熱い夏」でも稀に見るハイトーンボイスを誇示した。『オーバー30』では専業主婦役を演じる一方で実生活では独身であることに注目が集まったが「焦りはない」と明言した[13]

2011年以降は、美容に関係した活動が増加している。『週刊女性』で美容関係の連載を持つほか[14]、2012年には美容書『美人』を発売、記念イベントではマツコ・デラックスが「無駄にキレイ」と評した[15]

2016年には東映アニメーション制作の映画「ポッピンQ」で高知出身の主人公の母親役を演じ、ネイティブな土佐弁を劇中で披露した。声優を務めるのは今作品が初[16]

2023年、2度目の連続テレビ小説出演となる『らんまん』では、出身地・高知の女性である楠野喜江役を演じる[17]

人物

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  • デビュー時のキャッチフレーズは「ワカコドキドキ」だった。本人が自認する同期タレントはマルシア彦摩呂
  • 好物は豚足で、3時の間食として日常的に食べている。本人曰く「コリコリした食感が良い」とのこと。子供の頃、豚足が無かった際にチョコレートが間食で出された時にはガッカリしていた[18]。コラーゲンを多量摂取していることから、肌年齢女子高生並の美肌であるという。
  • デビュー前、特に中学生時代はスレンダーかつ美少女だったと言われる[18]
  • 実家は兼業農家で、母親が喫茶店経営。「ド田舎にありがちな、お客さんが農作業帰りの常連さんばかり」な喫茶店であり、都会のおしゃれなカフェのウェイトレスに憧れていた[18]布袋寅泰のファン[19]
  • 出演した映画『ふたり』の主題歌「草の想い」は、主演であった石田ひかり中嶋朋子大林宣彦が歌ったもの以外に、劇中で島崎が歌っている。これは、現在までどのアルバムにも入っていない。
  • かなりの鈍足である。
  • 3人きょうだいの長女で、妹と弟がいる。
  • 趣味は料理、読書、作詞、カラオケ、散歩、ゴルフ。
  • 2005年7月から地元である高知県の観光特使を務めている。
  • 2012年10月にジュニア野菜ソムリエを取得した。
  • 芸能人との交流が多く、マツコ・デラックスは友人[5]
  • 2022年、ダチョウ倶楽部上島竜兵の出棺に際し、若い頃自分のファンだったという事で若い頃の写真集を上島の胸に置いた[20]
  • 酒豪としても知られるが、一方で酒癖の悪さでも知られる[21](後述)
  • 過去に元SMAP中居正広と交際の噂が出たことがある。
  • 人柄について、モト冬樹からは「大雑把に見えるけど繊細だし、楽しいことが大好きで、実は俺と似たようなタイプだと思ってる」と評されている[5]
  • モットーは、「どんなことでもコツコツと積み上げていくこと」[5]
  • 2024年現在もガラケー(携帯電話)を使っている[注 3]

エピソード

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子供時代

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生家は裏が山で、窓を開ければカブトムシが侵入し、知人宅を訪ねれば道中にイノシシが出没するという自然豊かな環境にあった[22]。幼い頃は極めて人見知りが強く、来客があると泣き出す子供だった[23]。幼稚園では同じ園に通う竹馬の上手な男児に恋愛感情を抱くが、自分も竹馬の技術を習得して男児の歓心を買うまでの積極性はなく、特に進展はなかった[23]

南国市立岡豊小学校入学後は近所の男児と遊ぶようになり[23]、夏には川へ行き半裸で水泳に興じるなど[22]、快活な少女に成長した。後に同小学校が100周年を迎えた際には、卒業生として記念行事に出席、トークショーを行い、恩師やかつての級友と再会している[24][25]

南国市立北陵中学校では卓球部に所属[26]、レギュラーとして県大会にも出場した[27]。この頃、卓球部の先輩から電話で交際を申し込まれるが、周囲は中学生の男女交際など論外という土地柄であり、両親に長時間説諭される[2]。自身もこうした価値観に影響され、「彼氏とキスした」と話す級友には「ふしだらで許せない」と、嫌悪感を抱いていた。またバレンタインデーには相手がおらず、女子生徒同士でチョコレートの交換会を行っていた[28]

上京後からのアイドル活動

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上京後は寮に入って定時制高校に通いながら、歌・振り付け・芝居のレッスンを受ける日々を送った[注 4]。上京当初は高層ビルの高さと数の多さ、テレビのチャンネルの多さに驚かされ、休日にはテレビばかり見ていたという[2]。デビュー曲「弱っちゃうんだ」のプロモーションでは、スタッフの意向で他のアイドルとの差別化を図られ、しばらくの期間ショートヘアで黄色いパンツスーツの衣装で活動した[注 5]。一方で故郷・高知では、チャンネル数の関係で島崎が出演する番組が放送されておらず、郷里での認知は充分ではなかった。

また、当時はアイドル全盛期が終焉を迎えつつあり、以前に比べるとテレビの歌番組が減りながらも、同時期にバンドブームが到来した[5]。業界全般の状況が「アイドル冬の時代」と呼ばれるほど悪化しており、アイドルとして活動する場は徐々に減少しつつあった。そんな状況でも、1991年3月には平成3年3月3日午後3時33分の「3並び開演」となった東京公演など、6箇所を巡る全国ツアー「みんなに会いたい! WAKAKO SUN SUN」を開催した[29]。1993年、20歳を迎えて発売したシングル『HのあとにはI(愛)がある』では臍を露出した衣装で挑発的なタイトルの曲を歌い[30]、1994年発表のアルバム『ブルージィ・バケーション』では一転して大人びた雰囲気でまとめるなど[31]、従来のイメージを高めた。しかし、このアルバムを最後にいったん歌手活動に区切りをつけ、企画物を除いて楽曲を発表することはなくなった。歌手活動の中断はプロダクション社長の判断によるもので、本人も売上不振を認め同意したという[32][注 6]

ほどなくしてバラエティ番組が増えると、井森美幸などのバラドルが登場し始めた[5]。同期アイドルが主に歌手から女優に転向する中、本人は先輩たち[注 7]の後を追うように、人気バラドルの一人として次第に存在感を増していった[5]。1997年の『わいわいティータイム』では肥満気味であることを認め、番組の企画としてダイエットに挑戦するなど[33][34]、仕事の内容も以前とは変質していった。

オールスター感謝祭

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始まりはアイドルとして売り出し中の1990年から1991年に放送されていたTBSテレビ深夜バラエティ番組『青春!島田学校』にレギュラー出演したことであり、これがTBS初レギュラー、島田紳助との初対面及び共演となった。後に『オールスター感謝祭』の初代プロデューサーとなる加藤嘉一[注 8]が担当していたこともあり、18歳ながらその進行力が評価され、加藤や紳助の意向により[注 9]1991年秋から『オールスター感謝祭』とレギュラー版である『クイズ!当たって25%』に紳助と共に司会に大抜擢されることとなった。

『25%』は半年で終了したが、1992年以降も『感謝祭』は毎年春・秋の改編期の特別番組として放送されている(2024年4月現在)。紳助が2011年8月に芸能界を引退し降板するまで20年に渡りコンビを組み、仕事に対して厳しいイメージがある紳助だが、本人によると彼からは一度も怒られたことがないとのこと[5]

遡って『感謝祭』の初回当時、タレントとしての知名度はまだ低かったためこの抜擢に驚き、長時間の司会を担当するのも初めてだった[注 10]。このため初回放送前に、週に何度もTBSに通ってベテランのアナウンサーから発声やイントネーションの指導を受け、番組のリハーサルを何度も重ねてから本番に臨んだ[5]

当初はアシスタントのポジションで[5]問題の読み上げが中心だった。20代半ばから司会として認められるようになり[5]、現在では問題読み上げに加えて事実上の進行役を兼ねている。放送開始から30年以上経った2024年現在では番組に携わる者として大ベテランとなり、数年前からはスタッフの立場で発言することも多い[注 11]。字幕上でも紳助および後任の今田耕司[注 12]とともに「総合司会」との肩書き[5]が付けられている[注 13][注 14]

(2015年秋以降は)番組で唯一の皆勤出演者である[5](2024年3月現在)。また、過去に島崎が司会者席から退席したのは4回(1999年3月27日・2014年3月29日・2014年10月4日・2015年4月4日)のみである。

酒豪・酒癖

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飲酒に関して、本人は「量を飲むというより、(時間をかけて)長く飲んじゃう」と言っている[5]が、実際には以下にあるように酒豪である。観月ありさとは昔からの飲み友達で、一度飲み始めると非常に長時間飲み続けるといい、観月は過去に「朝4時ぐらいからようやくエンジンがかかってくる」と語っている[35]。また、モト冬樹も長年飲み仲間である[5]。他によく一緒に飲むのは、年齢が近い大久保佳代子いとうあさこ[5]。2023年10月5日放送分の『ぽかぽか』で元高見盛の東関親方が今まで最高に飲酒した経験について「ジョッキで10杯(ビールのことと思われる)」と答えると、うなずく共演者の一方で島崎は「そんなもんですか」と突っ込んでいた[36]。本人は色んな人と楽しくお酒を飲みたいと思っているが、近年お酒を飲まない若者が増えたこともあって、昔に比べると外に飲みに行く機会は減っているという[注 15]

酒癖については、一部では同じく酒癖の悪さで知られる和田アキ子になぞらえて「ミニアッコ」[37]、「ワッコ」とも呼ばれる[38]。また、11月1日放送の『これ余談なんですけど・・・』(ABCテレビ)に出演した和田アキ子・竹山隆範・サバンナによれば、アッコファミリーの酒席に誘われた先でワインなどを散々呑んだ後、流石に呆れた和田が「帰れ」と言ったことで解散するかと思いきや、島崎が「もう1軒行こう」と言い出し、島崎、サバンナ、出川哲朗で次の店に行くことになったのだが、サバンナ八木は「和歌子さんが急にワッコさんになって」と明かし、泥酔したサバンナ高橋茂雄と抱擁しているのを八木と出川が制止するのが大変だったと明かした。竹山は「(和田は)レジェンドだからこの世代で終わると思っていたら、ここ10年でもっと恐ろしいワッコってのが出てきた。ワッコは帰らない。」とも明かした。和田によれば、出川は下戸にもかかわらず早朝まで付き合わされたことから痺れを切らした和田がこれは厳重注意したという[39]

出演

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現在の出演番組

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レギュラー

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不定期

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特番

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過去の出演番組

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テレビドラマ

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ラジオ

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ウェブテレビ

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  • 和田アキ子 史上初の誕生会生中継(2019年4月10日、AbemaTV[55]

ビデオ

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CM

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映画

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劇場アニメ

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ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
ポリドール
1 1989年
5月5日
A面 弱っちゃうんだ 売野雅勇 都志見隆 信田かずお 0DX-1597
B面 ゼロのKISS
2 1989年
7月7日
A面 元気がソレを許さない 京田誠一 0DX-1599
B面 好きなのに 奥野敦子
3 1989年
10月10日
A面 恋のピー・カ・ブー 売野雅勇 都志見隆 西平彰 0DX-1600
B面 女の子にさよなら 奥野敦子
4 1990年
3月21日
01 南南西 麻生香太郎 あすなろ 竜崎孝路 PODH-1001
02 赤道直下型の誘惑 売野雅勇 筒美京平
5 1990年
8月29日
01 J・Jがいた夏 阿久悠 井上大輔 山中紀昌 PODH-1018
02 知らない誰かに愛されている
6 1991年
2月25日
01 My Darling あんちくしょう PODH-1030
02 ちょっとアハハ
7 1991年
10月25日
01 ドリーム・ストライカー 田口俊 杉真理 京田誠一 PODH-1056
02 異邦人〜ストラニエーロ〜
8 1993年
3月3日
01 何かいい事きっとある 武田鉄矢 芹澤廣明 小西貴雄 PODH-1136
02 Little Love 伊藤薫
9 1993年
10月25日
01 HのあとにはI(愛)がある 下地亜記子 井上大輔 杉山卓夫 PODH-1167
02 ちぎれそうなラプソディ 伊藤薫 山中紀昌
avex trax
10 1999年
4月21日
01 My life is…[注 16] 秋元康 織田哲郎 明石昌夫 AVDD-20323
02 Fuse 星野靖彦
ベルウッド・レコード
11 2005年
11月9日
01 仮初小学校[注 17] 大竹創作 乙三 BZCM-1015
NAYUTAWAVE RECORDS
12 2009年
1月28日
01 Happy Life〜明日に向かって〜 岡本真夜 市川淳 UPCH-80104
02 世界でいちばん熱い夏 富田京子 奥居香

アルバム

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  • マシュマロ・キッス(1989年11月21日)
  • ブルージィ・バケーション(1994年9月24日)
  • 島崎和歌子 ゴールデン☆ベスト(2024年4月17日)

その他

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  • アフリカのクリスマス - ポリドールが企画したクリスマスをテーマにしたオムニバスアルバム『White Album'90』(1990年11月10日)の7曲目。平沢進 with 島崎和歌子名義。
  • 島崎和歌子 20th anniversary BOX - 2008年発売。仮初小学校までの全楽曲を収録した2枚組CD+DVD映像を納めたコレクターズ・ボックス。

タイアップ曲

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楽曲 タイアップ
1989年 元気がソレを許さない フジテレビ系特撮テレビドラマ「魔法少女ちゅうかないぱねま!」挿入歌
恋のピー・カ・ブー
女の子にさよなら OVA「冥王計画ゼオライマー」挿入歌
1991年 ドリーム・ストライカー テレビ東京系テレビアニメ「燃えろ!トップストライカー」OPテーマ
異邦人〜ストラニエーロ〜 テレビ東京系テレビアニメ「燃えろ!トップストライカー」EDテーマ
1993年 何かいい事きっとある 東宝配給アニメ映画「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」EDテーマ
1999年 My life is… TBS系「オールスター感謝祭'99春」EDテーマ
2009年 Happy Life〜明日に向かって〜 CBC・TBS系ひるドラオーバー30」主題歌

著書

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  • 美人(2012年2月24日、主婦と生活社ISBN 978-4-391-14156-6

写真集

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脚注

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注釈

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  1. ^ 応募の経緯については「友達と冗談で受けた」[3]「オーディションの景品のラジカセが欲しかった」「百恵ちゃんみたいになりたかった」など、さまざまな記述がある。
  2. ^ 本放送終了後22年後の2012年5月14日の『世界まる見え!テレビ特捜部』にゲスト出演した際、いぱねまの変身ポーズを披露した。
  3. ^ 本人は「ガラケーなのでLINEもやってなくて、若い人たちとは連絡が取りづらいんです。ホントはいま流行ってるものとか、色々情報を教えてほしいんですけどね(笑)」と語っている[5]
  4. ^ 本人は後年、「東京は初めてだったけど10代で怖いものなしだったから、毎日ワクワクして“アイドルになる夢を叶えたい!”っていう思いしかなかったですね。レッスンは厳しく、学校へ通いながらキャンペーンで全国を回るのでクタクタでした。だけど無我夢中だったし、辞めようと思ったことは一度もなかったです」と回想している[5]
  5. ^ 本人によると、「この衣装がイヤでイヤで(笑)。他のアイドルは皆フリルのついたかわいい衣装を着ているのに、なんで私はこれなの?って思ってましたね」と回想している[5]
  6. ^ ただし本人は、後年のインタビュー記事で「でも私としては、一度も歌手を卒業してないからね(笑)。歌番組のオファーがあれば、いつでも喜んで歌いますよ」とも語っている[5]
  7. ^ 先輩バラドルとしては、井森の他、山瀬まみ松本明子森口博子などがいた。
  8. ^ 2018年3月現在、TBSテックス代表取締役社長。
  9. ^ 具体的には、当時TBSは新しいクイズ番組を作るため、加藤らはその司会をする紳助のアシスタントを探していた。島崎のカメラが回っていない所でも態度が変わらず、一生懸命番組に取り組む姿を、加藤と紳助は見ていた。加藤がアシスタントの起用を紳助に相談すると、「和歌子はなんか面白いし、和歌子でいこう」と言い、上記の様子を見ていたこともあって起用が決定した[5]
  10. ^ 本人は、「まだ18歳だったので、『感謝祭』という番組の凄さも影響力も分からなかったんです。解答者には、それまで“テレビ”を作ってきた錚々(そうそう)たる200名もの方々が揃う番組です。いろんな意味で怖さを知らないからこそ、挑戦できたのかもしれません。今思えば、若さってすごいなって思います」と述懐している[5]
  11. ^ 本人は、「私はタレントとして『感謝祭』に育ててもらったので、今度は私がスタッフを育てる番。細かいことも指導しているので“うるさいな~”と思われているかもしれませんが、大事なことは伝えていかなければいけません。30年以上も番組に携わっていると、若い頃にADの仕事をして上の人たちからずっと怒られていたスタッフが、プロデューサーになって戻ってきたことも。長く番組をやらせてもらっていると、人が成長していく所を見させてもらう喜びもあります」と語っている[5]
  12. ^ 2012年春以降の後任。2011年秋は今田・田村淳東野幸治が交替で担当した。
  13. ^ 字幕上に「総合司会」との肩書きが付けられたのは2008年秋からであり、2008年春までは名前のみが出るだけとなっていた。
  14. ^ 本人は2024年時点で、「『感謝祭』の司会は私一人の力ではなく、スタッフ皆で一生懸命頑張って築いてきたポジション。“もう年だから”と若い人にバトンタッチするなんて冗談じゃありません(笑)。この席は譲りませんよ。だって続けることの方が大変で、譲る方が簡単でしょ?席を譲るって一見カッコよく聞こえるけど、私はイヤですね(笑)。いくつになっても番組を続けている大先輩たちを見てきたし、これからも見続けたい。倒れるまでこの席は守り続けます!」と抱負を語っている[5]
  15. ^ 本人によると、「最近は飲み会に誘うことがコンプライアンス的な問題(アルコールハラスメント)になることもあるので。ドラマやバラエティ番組でご一緒しても、自分からは若い人たちを飲みに誘わないですね」とのこと[5]
  16. ^ Risky名義。
  17. ^ 島崎さんと大竹くん名義。乙三の両A面シングル「あっちむいてほい/仮初小学校」収録楽曲。

出典

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  1. ^ 「弱っちゃうんだ。ケーキの誘惑に負けそうで! 島崎和歌子」『近代映画』第45巻第7号、近代映画社、1989年5月、126-127頁、ISSN 0023-1460 
  2. ^ a b c 「中尾彬のウンチク付き突っ込み美女対談 第37回 島崎和歌子 「私、ずっとキュリー夫人とエマニエル夫人を混同していたの、キャハハ」」『週刊ポスト』第33巻第46号、小学館、2001年11月9日。 
  3. ^ 湯浅明「『いい湯だな』ザ・ドリフターズ」『産経新聞』1999年4月10日付東京夕刊。
  4. ^ 「18歳アイドルにビックな予感 HEADED FOR STARDOM 司会・女優・歌手とマルチに活躍する島崎和歌子に熱視線!」『週刊宝石』第11巻第44号、光文社、1991年11月21日、27-29頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『週刊女性』2024年4月16日号.
  6. ^ a b 「「SEXY和歌子」にドキドキ 初の写真集発売」『日刊スポーツ』平成14年(2002年)1月11日付26面。
  7. ^ 「芸能界一モテないタレント!? 島崎和歌子30のマジ♡ラブ「ディープキス」撮った! カリスマDJ36 西麻布・11月1日 独占激写&初熱愛スクープ! 私生活では、ちゃんといたんだ!」『週刊女性』第47巻第45号、2003年11月25日、30-31頁。 
  8. ^ 「島崎和歌子♥♥ DJのToshiyuki Goto 「週刊女性」報じる」『日刊スポーツ』2003年(平成15年)11月11日付24面。
  9. ^ 「ディープキス 酔ってたから? 島崎和歌子 週刊誌報道で釈明 DJとの交際否定」『日刊スポーツ』2003年(平成15年)11月13日付25面。
  10. ^ “島崎和歌子、デビュー20周年で現役アイドル宣言”. ORICON NEWS (oricon ME). (2008年5月11日). https://www.oricon.co.jp/news/54488/full/ 2022年8月26日閲覧。 
  11. ^ “島崎和歌子、昼ドラ主演&主題歌担当”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2008年10月31日). https://www.barks.jp/news/?id=1000044562 2022年8月26日閲覧。 
  12. ^ 島崎和歌子 インタビュー Be Thankful 幸せを運んでくれた16年ぶりのニュー・ソング”. MUSICSHELF (2009年2月10日). 2009年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月26日閲覧。
  13. ^ 独女を代表して!?島崎和歌子さんに「独女の本音」を聞いてきました【独女通信】”. livedoor ニュース (2009年2月9日). 2013年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月26日閲覧。
  14. ^ 「マツコ・デラックスも大絶賛! 島崎和歌子が15㌢くびれた! 10㌔9㌔やせた! 足回しダイエット」『壮快』第39巻第7号、マキノ出版、2012年7月、103-105頁。 
  15. ^ “島崎和歌子、マツコから「無駄にキレイ」と大絶賛!”. ORICON NEWS (oricon ME). (2012年3月4日). https://www.oricon.co.jp/news/2007926/full/ 2022年8月26日閲覧。 
  16. ^ a b “「ポッピンQ」島崎和歌子と小野大輔がゲスト出演、ヒロインの両親役で土佐弁披露”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2016年10月18日). https://natalie.mu/eiga/news/205765 2016年10月18日閲覧。 
  17. ^ a b “来春朝ドラ「らんまん」の新キャストに志尊淳、島崎和歌子ら 広末涼子、笠松将、中村里帆が初出演”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2022年8月26日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/08/26/kiji/20220826s00041000271000c.html 2022年8月26日閲覧。 
  18. ^ a b c 週刊現代 2008年7月12日 43〜45ページ『大特集 地方分権の時代に(第3弾)わが故郷を語る・あなたのふるさとは輝いていますか 高知・島崎和歌子(タレント)』
  19. ^ 「原色美女図鑑 島崎和歌子」『週刊文春』第43巻第49号、2001年12月27日。 
  20. ^ 2022/12/5 高田文夫のビバリー昼ズ
  21. ^ “脱がせて噛む!?島崎和歌子、ヤバすぎる酒癖の被害者は志村けんだけじゃない”. アサジョ (徳間書店). (2020年1月18日). https://asajo.jp/excerpt/84282 2023年4月8日閲覧。 
  22. ^ a b 「HOPE 夏になると川でパンツいっちょになって泳いでいた少女がデビュー。高知仕込みの笑顔が魅力の16歳! 島崎和歌子」『週刊明星』第32巻第21号、集英社、1989年6月1日、32頁。 
  23. ^ a b c 「ピースサインはカニのせい!? おもしろ生い立ちエピソード 島崎和歌子」『近代映画』第45巻第8号、近代映画社、1989年6月、122-123頁、ISSN 0023-1460 
  24. ^ 橋本宣彦「無限の未来願って 南国市 岡豊小に100年記念碑 あす祭り」『高知新聞』2010年(平成22年)11月20日付朝刊26面。
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参考文献

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  • 「人間ドキュメント「司会のポジションは誰にも譲らない~島崎和歌子」」『週刊女性』2024年4月16日号、主婦と生活社、2024年4月2日、36-42頁、JAN 4910203630446 

関連項目

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外部リンク

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