あぜりあ丸
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あぜりあ丸 | |
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下田港に接岸中の本船(2008年) | |
基本情報 | |
船種 | 貨客船 |
船籍 |
日本(1988-2014) ソロモン諸島 |
所有者 |
神新汽船(1988-2014) 船舶整備公団 →運輸施設整備事業団 →鉄道建設・運輸施設整備支援機構 |
運用者 | 神新汽船(1988-2014) |
建造所 | 三菱重工業下関造船所(第905番船)[1] |
航行区域 | 沿海[1] |
船級 | JG[1] |
改名 |
あぜりあ丸 ANJEANETTE |
経歴 | |
起工 | 1987年9月21日[1] |
進水 | 1987年10月22日[1] |
竣工 | 1988年2月17日[1] |
就航 | 1988年2月26日 |
運航終了 | 2014年11月18日 |
現況 | ソロモン諸島で就航中 |
要目 | |
総トン数 | 480 トン[1] |
載貨重量 | 289.6 トン[1] |
全長 | 56.70 m[1] |
垂線間長 | 51.00 m[1] |
幅 | 9.00 m[1] |
型深さ | 4.00 m[1] |
満載喫水 | 3.30 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 新潟 6M34AGT 1基[1] |
推進器 | 5翼1軸[1] |
最大出力 | 2,000 PS(連続)[1] |
定格出力 | 1,700 PS(常用)[1] |
最大速力 | 16.17 ノット[1] |
航海速力 | 15 ノット[1] |
航続距離 | 1,400海里[1] |
旅客定員 | 366名[1](6時間未満) |
乗組員 | 9名[1] |
概要
[編集]あじさい丸の代船として三菱重工業下関造船所で建造され、1988年2月16日に就航した。
共有建造制度を利用して建造された船舶整備公団(運輸施設整備事業団を経て鉄道建設・運輸施設整備支援機構へ改編)との共有船である。
フェリーあぜりあの就航により、2014年11月18日に引退した。
その後、ソロモン諸島へ海外売船され、ANJEANETTEと改名してホニアラ - ギゾ航路に就航している。
就航航路
[編集]神新汽船
設計
[編集]三層甲板型の貨客船で、船体は上部から航海船橋甲板、遊歩甲板、上甲板、倉内と呼称されていた。航海船橋甲板は操舵室および乗組員区画、遊歩甲板は旅客区画(一等船室、特二等船室、露天ベンチ席)、上甲板は旅客区画(二等船室、案内所、荷物室)、倉内は前方が旅客区画(二等船室)、後方が機関室となっていた。
船体の前部は長さ約6.6メートル、幅約5.3メートル、深さ約4.7メートルの貨物倉となっており、力量5トンのトムソン式デリックにより貨物を荷役した[2]。 スラスタを装備していないため、離着岸時の回頭にアンカーを使用していた。減揺装置としてアンチローリングタンクを装備していたが、フィンスタビライザーは装備していなかった。発電機関は140kWの発電機と220PSの原動機を2セット搭載していた。
船内
[編集]船室
[編集]- 一等室 - 一等室では伝統的な飾り毛布のサービスが行われていた
- 特二等室
- 二等室
- 特別旅客室 - 航海船橋甲板に設置されていたが一般販売は行われていなかった
設備
[編集]船内に食堂・売店はないが、飲料・カップ麺の自動販売機が設置されていた。
事故・インシデント
[編集]- 1996年10月3日、11時45分ごろ、神津島港で荷役中、船体の動揺により吊り上げていた貨物が落下、乗組員2名が骨折した。事故発生当時、天候は晴で風力5の東の風が吹いており、台風の影響で波高約1.3メートルの波浪があった[2]。
- 2010年1月8日、9時10分ごろ、下田港で荷役中、乗組員1名がハッチカバーに手を挟まれ、骨折などの重傷を負った[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 船の科学(1988年5月号,p24)
- ^ a b 横浜地方海難審判庁 (12 December 1997). 平成9年横審第42号 旅客船あぜりあ丸乗組員負傷事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年6月5日閲覧。
- ^
横浜地方海難審判庁 (9 December 1997). 平成22年横審第37号 旅客船あぜりあ丸乗組員負傷事件 (Report). 海難審判・船舶事故調査協会.
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