さなげカントリークラブ
さなげカントリークラブ Sanage Country Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 愛知県豊田市保見町小黒実88番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1964年(昭和39年)10月14日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | J・E・クレイン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 株式会社 愛知さなげゴルフ場 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | さなげカントリークラブ |
さなげカントリークラブは、愛知県豊田市にあるゴルフ場である。
概要
[編集]さなげカントリークラブは、1964年(昭和39年)10月14日、愛知県西加茂郡(現・豊田市)猿投町(現・豊田市)に開場された「ユニオンカントリークラブ」が前身である[1]。猿投町は山岳信仰、巨石信仰で知られ、日本武尊の父・景行天皇が伊勢へ渡るとき、可愛がっていた猿が不吉な振舞いをしたので海に投げてしまった、猿は身を恥じて山に籠ったというのが猿投山である[1]。
ユニオンカントリークラブは、猿投町の低丘陵地27万坪に、コース設計を「鳴尾ゴルフ倶楽部」(1920年(大正9年)開場)を設計したクレイン3兄弟のジョー・E・クレインが行い、18ホール、距離6,980ヤード、パー72の規模で開場されたゴルフ場である[1]。
1967年(昭和42年)5月、ユニオンカントリークラブの経営が後藤鉀二によって引き継がれた[1]。後藤鉀二は、1906年(明治39年)に東京府(現・東京都)で生まれ、名古屋市で育った[1]。父親の喬三郎は、名古屋で名古屋電気学講習所を開いたが、1925年(昭和元年)急逝した[1]。後藤鉀二は、19歳で名古屋電気学講習所の校主となり、旧制浜松高等工業(現・浜松高等工業学校)在学中に卓球を始め、24歳で名古屋卓球協会理事に、30歳で名古屋卓球協会理事長に就任した[1]。
学校経営に手腕を発揮し、学校法人名古屋電気学園の下に、愛知工業大学、附属名電高校、附属中学校、情報電子専門学校と発展していった[1]。後藤の学校経営の特色は、学業とスポーツの両立で、名電高の野球部は、イチロー、工藤公康らを輩出している[1]。
1967年(昭和42年)4月頃、猿投町は豊田市と合併したが、後藤は由緒ある地名が消えることを惜しんで、同年10月、会社名を「株式会社愛知さなげゴルフ場」に、クラブ名を「さなげカントリークラブ」と改称した[1]。毎年、愛工大名電高ゴルフ部の合宿が行われている[1]。
所在地
[編集]〒470-0344:愛知県豊田市保見町小黒実88番地
コース情報
[編集]- 開場日 - 1964年(昭和39年)10月14日
- 設計者 - J・E・クレーン
- 面積 - 770,000m2(約万坪)
- コースタイプ - 丘陵コース
- コース - 18ホールズ、パー72、6,834ヤード、コースレート73.0
- フェアウェー - コウライ
- ラフ - ノシバ
- グリーン - 2グリーン、松グリーン(ベント芝)、桜グリーン(バミューダ芝)
- ハザード - バンカー76、池が絡むホール6
- ラウンドスタイル - キャディ付、セルフ選択制、5人乗りリモコン乗用カート、1組2名~4名
- 練習場 - 25打席250ヤード アプローチ・バンカー練習場有り パター練習場
- シミュレーションゴルフ(クラブハウス内専用ルーム)
- 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[2][3]
クラブ情報
[編集]ギャラリー
[編集]交通アクセス
[編集]- 鉄道
- 道路
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「学業とスポーツの両立を特色とし、イチローなどトップアスリートを輩出した名古屋電気学園関連コース」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年6月10日閲覧
- ^ a b “さなげカントリークラブ”. ゴルフダイジェスト. 2021年6月10日閲覧。
- ^ a b “さなげカントリークラブ”. ゴルフホットライン. 2021年6月10日閲覧。
- ^ “コース紹介”. さなげカントリークラブ. 2021年6月10日閲覧。
- ^ “施設紹介”. さなげカントリークラブ. 2021年6月10日閲覧。
- ^ a b [“アクセスマップ”. さなげカントリークラブ. 2021年6月10日閲覧。
関連文献
[編集]- 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006年 - 2007年、「さなげカントリークラブ」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年6月10日閲覧
- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「学業とスポーツの両立を特色とし、イチローなどトップアスリートを輩出した名古屋電気学園関連コース」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年6月10日閲覧