のん (雑誌)
『のん』は、児童文学作家の寺村輝夫による童話雑誌。文京学院大学や市民講座などで童話講座に熱中していた寺村が、後世の童話作家育成を目指して、1982年から1987年まで5年間に20号を発行、予定通り廃刊となった。以下、参考文献はすべて本誌による。
制作体制
[編集]- 協力スタッフ
いずれも『ぼくは王さま』などで、寺村と長く関わってきたメンバーが揃っている。和歌山と杉浦は仕事料がなく、ボランティアとのことである。発送作業は妻の担当だったという。
- 毎号B5判で34ページ、表紙と裏表紙のみ2色カラー。
- 発行部数は1000部だが、創刊当初から在庫用の戸棚はガラガラになった。
- 一号の制作費用は28万円、送料も全部発送して10万円の赤字だったという。
掲載作品
[編集]■印は、その後スカウトがかかって商業出版された作品。
連載
[編集]- おつかいマントヒヒの子もりうた(丸井裕子 1-4号)
- エオ・カクタロー氏のひみつ(西野陽子 5-8号)
- 校長先生となぞのかいちゅうどけい(早川真知子 9-11号)■
- コウノ氏のワスレモノ(坂東真砂子 13-16号)
単独掲載
[編集]対象作品は幼児幼年童話のみで、400字詰め原稿用紙7-8枚程度で募集していた。
- 1号
- 消えたぼくの時間(米川秋子)
- ミスターペテン氏(わたなべめぐみ)
- おとといおいで(山口直子)
- ダレカ・ドコカをさがすくすり(たかしまあけみ)
- 2号
- おにばばのコーヒー(吉田仁子)
- ケンタのふえ(網野真佐子)
- ウソ(なみきかずこ)
- 1・2の3・ポーン(利根川好江)
- 3号
- けしたゾウ(原田恵子)
- だれもしらない島(ふじくらはるこ)
- アン・タリン博士(宮野尾美智子)
- 4号
- いじわるなジャングル(早川真知子)
- じじばば島にきたクジラ(坂東真砂子)
- せっちゃん(戸崎勉)
- どこまでもつよしのへや(米川秋子)
- 5号
- 光太郎はお母さん(戸崎勉)
- 先生の赤ペン(金子千春)
- まじょのワルダとバイオリン(早川真知子)
- 6号
- すっとんとん!(舟木玲子)
- コウノ氏の鼻(坂東真砂子)
- 7号
- きょうはワニようび(井上よう子)■
- びょうきだらけ(浜田津多枝)
- ミャオ・ニャンタ氏のにゅういん(早川真知子)
- 8号
- お子さまテレフォンショッピング(栗原由美子)
- かいじゅうけしゴムムガムガム(高橋早苗)
- 9号
- ちょっとすてきな大どろぼうの話(梅原賢二)
- まほうの店ひらきます(くもんえいこ)
- 10号
- グレとパコの話(吉田仁子)
- うみべの町のものがたり(阿部邦子)■
- カメラ(千葉多美枝)
- 11号
- とっぺんのとけい(井上よう子)
- みねこはどこの子?(たかしまあけみ)
- 12号
- ポリンさんのしっぽ(坂東真砂子)
- コールタールのたんじょうび(わたなべめぐみ)
- チンプンカンプン博物館(左近蘭子)
- 13号
- ポロタさん二四番地に行く(岩間久間子)
- さいごのまほうつかい(舟木玲子)
- ともだちぼしゅうちゅう(丸井裕子)
- 14号
- うみべの町のものがたり(その2)(阿部邦子)
- たまごをうんだねこ(小田島美樹)
- 15号
- コッチおじさんの写真(水野智恵)
- ふしぎな金時計(田中智子)
- やさしいとけいやさん(六笠和子)
- クラックさんのハト時計(秋元久代)
- ばくだん時計(笠原千香恵)
- ねこの変身時計(佐久間慶枝)
- へんな時計屋(長島貴美子)
- 16号
- 地図のかきかたおしえます(寮美千子)
- そうだんにのります(左近蘭子)
- おれはドロボウだ(長島貴美子)
- 17号
- クリーニングやのお月さま(坂東真砂子)
- ぞうのかげはどこ?(岩間久間子)
- フラはともだち(恩田好子)
15号で「幼年童話」という、新人賞ともいえる企画を主催。32通の応募があり、岩間と恩田の作品は入選作として掲載された。他に未掲載作品で「クロの犬小屋」(山根知子)も入選。
- 18号
- ママはうんさいサイ(わたなべめぐみ)
- ぞうのプウたろう(井上よう子)
- きょうは雨(ふじくらはるこ)
- 19号
- がいこつは、まほうつかい(舟木玲子)
- おれたちゃ、ドロボー(宇岐知子)
- ぼくは六歳なんだぞ(宮下由紀子)
「幼年童話」は計3回募集され、第2回目は52通の応募で入選作なし。第3回目は54通の応募があり、宮下と宇岐の作品が入選作として掲載された。
- 20号
- ぼくの七人のてき(吉田桂子)
- シッポのしっぽ(たかしまあけみ)
- ラ行の友だち(吉田治)
のんずばり
[編集]同誌の名物コーナー。投稿作品をまず全文載せると、寺村が悪いと思った所を「ずばり」指摘・批評する。当初は反発を買うのではないかと恐れていた寺村だったが、被批評者のみならず多くの読者から好評で、後半では批評後の改筆作品も同時掲載したり、複数の執筆者の作品が同時掲載されたりした。寺村以外の見識者によるコラム「やつあたり」に要するページがやむを得ず無くなったほどである。
寺村は童話執筆講座の本も何冊か出しているが、「のんずばり」は『童話の書き方』(表紙:和歌山、国土社)という本にまとめられている。永井郁子は後年これを読んで童話関係者になる事を目指し、寺村の作品の挿絵を多数手がけるようになった。