永井郁子
永井 郁子(ながい いくこ、1955年 - )は、日本の挿絵画家。寺村輝夫の挿絵を多数担当した事で知られる。
来歴
[編集]広島県豊田郡本郷町(現:三原市)生まれ。本郷町立本郷中学校、広島県立三原東高等学校卒業。1978年、多摩美術大学油絵科卒業。1979年、『ピノッキオ』(高橋久訳、集英社)で、挿し絵画家としてデビュー[1]。
現在は単に絵本製作のみならず、人形劇や上映会等も各地で自ら率先、童話を媒体とした情操教育に取り組んでいる。
寺村輝夫との関係
[編集]永井は池袋コミュニティ・カレッジで、寺村が講師をつとめる童話創作入門講座に1986年参加。この時寺村が永井に「童話より絵本を選びなさい」と話した際、永井の絵に注目したのがきっかけとなった。
これまで寺村作品の挿絵は、和歌山静子が多数担当していたが、永井はこれに変わって晩年の寺村作品のシリーズを担当(和歌山はこの頃から『王さまシリーズ』の再版分の描き直しに専念していた)、和歌山と並ぶ寺村のパートナーとして名を馳せた。
寺村との共著において、和歌山は『王さまシリーズ』以外は殆どが単発刊行だったが、永井は全体的にシリーズ物が多い事も特徴である。
『レオくん』からは挿絵にCG(コンピュータグラフィックス)も使用している。
寺村からは「仕事が早い」と誉められ、それを裏付けるかの様に、寺村との共著は50作を超えた。
主な作品
[編集]寺村は劇中のキャラクターに自分の家族の名前を使う事が多かったが、レオ、マヤイ、ダイマはみな寺村の孫の名である(ダイマは『王さまシリーズ』にも名前が使われている)。マヤイは寺村の愛したアフリカのスワヒリ語で玉子、ダイマは永遠の意味がある。
寺村とあかね書房のシリーズ
[編集]- わかったさんのおかしシリーズ(1987年-1991年)
- 料理を扱う『こまったさん』シリーズ(挿絵は岡本颯子)が好評だった為、お菓子をテーマに永井の挿絵で始められたもので、寺村と永井の初コンビ作。ちなみに『こまったさん』と同時に『しまったおじさん』シリーズも存在していたが(挿絵:かみやしん、金の星社)、これはあまり長く続かなかった。
- わかったさんのクッキー
- わかったさんのシュークリーム
- わかったさんのドーナツ
- わかったさんのアップルパイ
- わかったさんのホットケーキ
- わかったさんのプリン
- わかったさんのアイスクリーム
- わかったさんのショートケーキ
- わかったさんのクレープ
- わかったさんのマドレーヌ
- わかったさんのあたらしいおかしシリーズ(2024年)
- 寺村を原案とし、永井が単独で文・挿絵を担当した『わかったさん』の新シリーズ。
- わかったさんのスイートポテト
- レオくん空をとぶ
- レオくんゆめをみる
- レオくんおばけたいじ
- レオくんゆきのなか
- レオくんたちあがる
- レオくんまほうのかぎ
- レオくんなぞの花
- レオくんたたかう
- レオくんうみのなかへ
- レオくんいつまでも
- わたしまじょですマヤイです(1998年-2001年)
- マヤイのたんじょうび
- マヤイのケーキやさん
- マヤイの花やさん
- マヤイのおもちゃやさん
- マヤイのとけいやさん
上記以外の寺村作品
[編集]- ダイマはちび悪魔(理論社)
- ダイマ海のたたかい(1997年)
- ダイマなぞのかいがら(1999年)
- 『なぞのかいがら』では3作目『ダイマふしぎなふえ』の刊行が告知されていたが、結局出版されなかった。
- 世界名作おはなし絵本(小学館)
寺村の文章だが、発行自体は寺村が亡くなった後のもの。
- 単独刊行
- 一作目『なんでもくれるヒネ・クレル』は岡村好文の挿絵。
- 寺村輝夫おはなしプレゼント 2 ムズリさん それからどうした(1994年、講談社) - 他の巻数は寺村輝夫を参照。
- わたし魔女になりたい!(1999年、あかね書房)
- コンピュータゲーム
- もと子ちゃんのワンダーキッチン(1993年、味の素) - 味の素マヨネーズの懸賞品、寺村が原案担当
永井単独執筆
[編集]- デビュー作。
- ブォォーン!クジラじま
- かいてい かいぞくむら
- レストラン ドラゴンまる
- ひがしのムーンのティンカーベル
他の作家の執筆
[編集]- にじになったさかな(ビーゲンセン、汐文社、2007年)
- ユカイ海のゆかいななかま
- かいぞくオンタマがやってくる(山下明生、岩崎書店、2007年)
- こそどろこそべえ(かさいまり、岩崎書店、2007年)
脚注
[編集]- ^ 永井郁子プロフィール公式サイト