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アオスタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アオスタ
Aosta
Aoste
アオスタの風景
アオスタの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
ヴァッレ・ダオスタ州の旗 ヴァッレ・ダオスタ
県/大都市 (なし)
CAP(郵便番号) 11100
市外局番 0165
ISTATコード 007003
識別コード A326
分離集落 #行政区画参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
地震分類 zona 4 (sismicità molto bassa)
気候分類 zona E, 2850 GG
公式サイト リンク
人口
人口 34,052 [1](2020-01-01)
人口密度 1,593.4 人/km2
文化
住民の呼称 aostani
守護聖人 サン・グラート (san Grato)
祝祭日 9月7日
地理
座標 北緯45度44分14秒 東経07度19分14秒 / 北緯45.73722度 東経7.32056度 / 45.73722; 7.32056座標: 北緯45度44分14秒 東経07度19分14秒 / 北緯45.73722度 東経7.32056度 / 45.73722; 7.32056
標高 583 (550 - 2608) [2] m
面積 21.37 [3] km2
アオスタの位置(イタリア内)
アオスタ
アオスタの位置
ヴァッレ・ダオスタ州におけるコムーネの領域
ヴァッレ・ダオスタ州におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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アオスタ (イタリア語: Aosta ( 音声ファイル) ; フランス語: Aoste[4])は、イタリア共和国北西部の都市であり、その周辺地域を含む人口約3万4000人の基礎自治体(コムーネ)。ヴァッレ・ダオスタ特別自治州の州都である。

名称

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イタリア語: Aosta/aˈɔsta/ [注釈 1]と発音される。

フランス語: Aoste/'ɔst//ɔst/ と発音される。

公用語であるイタリア語・フランス語以外では、以下の名称を持つ。

  • アルピタン語ソプラ方言: Aoûta [4]
  • アルピタン語アオスタ方言 (it: Oûta あるいは Veulla [4]
    • ヴァッレ・ダオスタの低地でのヴァリアント: Ohta [4]
  • ヴァルザー語 (it: Augschtal
  • ピエモンテ語: Osta あるいは Aosta

歴史上は以下の名称も用いられた。

地理

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位置・広がり

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ヴァッレ・ダオスタ州の中部に位置する。アオスタの市街は、トリノの北北西約80km、ジュネーブの南東約104km、ミラノの西北西約149km、リヨンの東約194kmに位置する。北のスイス国境をなすグラン・サン・ベルナール峠から下った街である。

ヴァッレ・ダオスタ州地図

隣接コムーネ

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隣接するコムーネは以下の通り。

歴史

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ローマ時代の劇場遺跡
プレトリア門

アオスタには先史時代からケルト人リグリア人 (Liguresが定住し、のちにサラッシ人 (Salassiの中心地となった。紀元前25年ローマ帝国軍はこの地を征服し、サラッシ人の多くが殺され、また奴隷として売り飛ばされた[5]。ローマ人は2つの川の合流点にアウグスタ・プラエトリア・サラッソルムAugusta Praetoria Salassorum、単に「アウグスタ・プラエトリア」とも。名はアウグストゥス帝に因む)という都市を建設し、3000人の退役兵士を移住させた。この都市が現在のアオスタの起源である。アウグスタ・プラエトリアは、アルプス越えの2つの交通路(グラン・サン・ベルナール峠プチ・サン・ベルナール峠)の起点にあたる重要な戦略的位置にあり、都市の構造もローマの兵営と同じ構造であった。この町は紀元前11年以降アルペス・ポエニナエ属州(アルペス・グライアエ[6]とも)の州都となり、その後数世紀にわたってローマ帝国が支配した。

西ローマ帝国の崩壊後、この都市はさまざまな民族による支配を受けた。ブルグント族ブルグント王国)、東ゴート族東ゴート王国)、東ローマ帝国ランゴバルド人ランゴバルド王国)である。フランク王国カロリング朝)の小ピピンはランゴバルド王国を駆逐し、この都市をフランク王国に組み込んだ。小ピピンの子であるカール大帝(シャルルマーニュ)のもとでフランク王国が拡大すると、アオスタはアーヘンローマを結ぶフランク街道 (Via Francigenaの中継地として重要な位置を占めることとなった。

カール大帝没後にフランク王国が分割された際には(ヴェルダン条約)、中部フランク王国の一部となるが、その後曲折を経て888年以降はイヴレーア辺境伯アルドゥインベレンガーリオ1世イタリア王)によって支配された。

10世紀、アオスタはブルグント王国アルル王国)の一部となった。1032年にブルグント王家が断絶すると、その王位は神聖ローマ皇帝が帯びることとなり、領土は神聖ローマ帝国に組み込まれた。このとき、皇帝コンラート2世は、サヴォイア(サヴォワ)伯ウンベルト1世サヴォイア家の家祖)にアオスタ伯の称号を与え、アオスタ一帯を封土として与えている。やがてサヴォイア家は自立した勢力を築き、シャンベリ(現在はフランス領)を首都としてサヴォイア伯国を形成する。このサヴォイア家の国家は、15世紀にサヴォイア公国、18世紀にサルデーニャ王国と名称を改め、19世紀にはイタリア統一をもたらしイタリア王国につながることになる。サヴォイア家の当主が帯びたアオスタ伯の称号は13世紀に公爵に格上げされた(アオスタ公爵領 (Duchy of Aosta)。アオスタ公爵領はイタリア統一に至るまで(16世紀中の約25年間と若干の時期にフランスに併合されたのを除いて)サヴォイア家の領土であり続けた。

イタリアを統一したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は次男にアオスタ公の称号を与え、以後その子孫であるサヴォイア=アオスタ家が保持している。

行政

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行政区画

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アオスタには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Arpuilles, Beauregard, Bibian, Bioulaz, Borgnalle, Brenloz, Busséyaz, Cache, La Combe, Les Capucins, Chabloz, Champailler, Collignon, Cossan, Cotreau, Duvet, Entrebin, Excenex, Les Fourches, Laravoire, Montfleury, Movisod, Pallin, Papet, Pléod, Porossan, La Riondaz, La Rochère, Roppoz, Saraillon, Saumont, Seyssinod, Signayes, Talapé, Tsanté, Tzambarlet, Vignole

人物

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主な出身者

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居住者・ゆかりの人物

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友好都市

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写真

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ Dizionario di pronuncia italianaによる表記(DiPI Online - Dizionario di Pronuncia Italiana”. 2013年11月1日閲覧。)。
    Dizionario d'ortografia e di pronunzia/aòsta/と表記している(Dizionario d'ortografia e di pronunzia”. 2013年11月1日閲覧。リンク先に発音例あり)

出典

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「※」印を付したものは翻訳元に挙げられていた出典であり、訳出に際し直接参照してはおりません。

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2020 by sex and marital status” (英語). 2020年12月7日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Valle d'Aosta (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2012年12月9日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Valle d'Aosta (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2012年12月9日閲覧。
  4. ^ a b c d AA.VV. (1996). Dizionario di toponomastica. Storia e significato dei nomi geografici italiani. Milano: GARZANTI. p. 32 
  5. ^ John Lemprière, Lorenzo DaPonte, & John David Ogilby (1839), Bibliotheca Classica: Or, A Dictionary of All the Principal Names and Terms, (Tenth American Edition), New York: W.E. Dean. Salassi, p. 281
  6. ^ 「灰色の山地」を意味する
  • この記事にはイタリア語版からの翻訳を含みます(履歴参照)。

外部リンク

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