コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アッサム州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アッサム州
অসম
Assam
インド国内の位置
(インド国内の位置)
基礎情報
 インド
行政区 アッサム州
州都 ディスプル
面積 78,438 km²
人口 2011年
 - 合計 31,169,272 人
 - 人口密度 397 人/km2
時間帯 インド標準時(IST)UTC+5:30
公用語 アッサム語ボド語(in Bodoland)[1]ベンガル語(in Barak Valley)カルビ語英語版[2]
創立 1947年8月15日
州知事 ラクシュマン・アチャリヤ英語版
(Lakshman Acharya)
州首相 ヒマンタ・ビスワ・サルマ英語版 (Himanta Biswa Sarma)
立法機関(議席数) 一院制(126)
略称ISO IN-AS
州公式ウェブサイト http://assamgovt.nic.in/

アッサム州(アッサムしゅう、アッサム語: অসম ラテン文字転写: Ôxôm、英語: Assam)は、インド北東部にある州。北東インドの中核となっている。中心都市はグワーハーティーで、州都はグワーハーティーの衛星都市ディスプル

名称

[編集]

アッサム州は歴史英語版によって様々な呼ばれ方をしている。以下の歴史にはそれらの呼び方を掲載した。括弧内には由来を書き込んである。

2006年2月27日、アッサム州は州名をイギリス人によって付けられたアッサムから植民地化以前のアソム州にすると発表した。

地理

[編集]

ヒマラヤ山脈の麓にある。東はナガランド州マニプル州と、西はバングラデシュ西ベンガル州メーガーラヤ州と、南はミゾラム州トリプラ州と、北はブータン王国アルナーチャル・プラデーシュ州と、隣接している。 アッサム州はT形に近い形状をしている。非常に湿度が高い気候で、雨季には多くの雨が降る。そのため、稲作が盛んである。

歴史

[編集]

古代

[編集]

伝説上の国としてプラーグジョーティシャ王国英語版en:Danava dynasty)が知られている。

中世

[編集]

カーマルーパ王国英語版350年1140年

近世

[編集]

同時代にen:Sutiya KingdomKamata Kingdomen:Kachari Kingdomが併存した三国時代となった。 1187年en:Deori peopleBirpalen:Sutiya Kingdomを建国。 西アッサムのKamata Kingdomen:Khen dynasty1185年1498年)を建国。西アッサムのクーチ・ビハール(現在クーチ・ビハール県にあたる一帯)にはチベット系・ビルマ系のコーチ族(クーチ族)によるコーチ朝英語版1515年1947年)があった。

13世紀、現地民がアーホーム族と呼ぶタイ族系のシャン族アーホーム王国(1228年 – 1826年)による支配が始まる。このことから、この地域はアソムと呼ばれるようになった。

近代

[編集]

17世紀にクーチ朝英語版ムガル帝国に滅ぼされてアーホーム王国に吸収された。この時の東西の境界線が現在の西ベンガル州アッサム州の境界線の起源である。クーチ・ビハールはブータンからも侵攻を受け、プラッシーの戦い1757年)までブータンに臣従した(1680年 - 1772年)。)

ビルマのアッサム侵攻英語版1817年1826年)によってビルマに併合される。その直後、第一次英緬戦争英語版1824年-1826年)でイギリス東インド会社インド植民地に併合。併合後、イギリス人はこの地域をアッサムと呼んだ。

1867年en:Makumでの掘削で石油が発見される。

1914年、North-East Frontier Tracts (NEFT) を分離。中国(北京政府)との国境が係争地となり、マクマホンラインで知られる国境線が引かれた。

1947年パキスタンの分離独立に伴い、シレット管区(現バングラデシュ)が分離された。

1951年、NEFTを東北辺境地区英語版 (NEFA) に改称。

1959年中印国境紛争

1966年ミゾ国民戦線(MNF)によるミゾ独立運動が起こったが鎮圧され、組織は東パキスタン英語版(現バングラデシュ)のチッタゴン丘陵地帯に脱出した(en:March 1966 Mizo National Front uprising)。同地では後に、シャンティ・バヒーニー英語版(英語:Peace Force)によるチッタゴン丘陵地帯紛争英語版1977年 - 1997年)が発生した。

1971年バングラデシュ独立戦争が勃発(3月26日)。それに誘発された第三次印パ戦争を経てバングラデシュが独立(12月16日)。

1972年、州再編でディスプル(グワーハーティーから約10キロメートルほど)が州都となる。メーガーラヤ州が分離。

1979年アッサム紛争英語版

1987年アルナーチャル・プラデーシュ州が分離。

1990年トリプラ紛争英語版

1993年ナガランド紛争ドイツ語版

1997年タドウ語英語版を話すクキ族英語版パイテ族英語版の間でクキ・パイテ民族紛争 (1997年 - 1998年)英語版が勃発。

2012年アッサム暴動 (2012年)英語版

2022年4月から翌月以降にかけて、洪水が発生。アッサム州だけでも27万人が家を失った[3]

行政区分

[編集]

アッサム州内の県

[編集]

アッサム州内には以下の27の県 (District) が含まれる。

アッサム州の県
  1. バルペタ県英語版
  2. ボンガイガオン県英語版
  3. カチャル県英語版
  4. ダーラーング県英語版
  5. ディマージー県英語版
  6. ドゥブリー県英語版
  7. ディブルガッ県英語版
  8. ガルパラー県英語版
  9. ゴーラーガート県英語版
  10. ハイラーカーンディー県英語版
  11. ジョールハッ県英語版
  12. カールビー・オンロン県英語版
  13. カリムガンジー県英語版
  14. コークラージャー県英語版
  15. ラキンプール県英語版
  16. マリガオン県英語版
  17. ナーガオン県英語版
  18. ナルバーリー県英語版
  19. ディマハサオ県英語版(旧北カチャール・ヒルズ県、North Cachar Hills district)
  20. シヴァサガル県英語版
  21. ショーニトプール県英語版
  22. ティンスキヤ県英語版
  23. カームループ県英語版
  24. カームループ都市圏県英語版(カームループ県から分離)- グワーハーティー
  25. en:Baksa district
  26. en:Udalguri district
  27. en:Chirang district

住民

[編集]

2018年時点の人口は約3300万人であるが、インド政府がアッサム州のみを対象にまとめ、同年7月30日に公開した「国民登録簿」暫定版への記載人数は約2900万人だった。本人または父母が、バングラデシュ独立戦争直前の1971年3月24日以前からアッサム州していたことを証明できる書類を登録の条件としている。バングラデシュ独立戦争の混乱などでインドに逃げ込んだ人々とその子孫で、従来も「不法移民」とみられがちだった約400万人の住民が市民権を失う可能性がある[4]

民族

[編集]

アッサム人英語版アーホーム族ボド族英語版ボドランド英語版)、en:Bodo-Kachari peopleBaruaen:Dimasa peopleen:Karbi peopleen:Mishing peopleen:Sutiya Kingdom(Sutiya Kingdom、en:Sadiya

言語

[編集]

州の公用語はアッサム語(アソム語)、ボド語ベンガル語カルビ語英語版。このほかにネパール語ヒンディー語が多く使われる。また、一部地域(主にシレット管区に接するSurma Valley周辺)ではシレット語が多く用いられる。

宗教

[編集]

2011年の調査によると、61.47%がヒンドゥー教徒で、34.22%がイスラム教徒である。 [5]

産業

[編集]

石油

[編集]

en:Oil India(旧アッサム石油)、ONGCにより油田が開発され、州内に、グワーハーティーen:Guwahati Refinery)、en:Digboien:Digboi Refinery)、en:Golaghat/en:NumaligarhNumaligarh Refinery)、en:Bongaigaonen:Bongaigaon Refinery)、4カ所の製油所を擁する。

[編集]

アッサム茶で有名。

出典

[編集]
  1. ^ Commissioner Linguistic Minorities”. 2007年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月1日閲覧。
  2. ^ http://assam.gov.in/glance.asp
  3. ^ バングラデシュの洪水、支援が必要な被災者700万人”. CNN (2022年6月29日). 2022年6月27日閲覧。
  4. ^ インド400万人「国民」抹消/アッサム州、移民排除目的か『産経新聞』朝刊2018年8月2日(国際面)2018年9月29日閲覧。
  5. ^ Population by religion community – 2011”. Census of India, 2012. The Registrar General & Census Commissioner, India. 25 August 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月26日閲覧。

外部リンク

[編集]