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アナトール・フィストゥラーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アナトール・フィストゥラーリ(Anatole Fistoulari, 1907年8月20日 - 1995年8月21日)は、ウクライナ出身のイギリス指揮者ウクライナ語アナトリー・フィストゥラーリ(Анатолій Фістуларі)。

略歴

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ニコライ・リムスキー=コルサコフアントン・ルビンシテインに師事し、指揮者兼作曲家として高名であったグレゴリー・フィストゥラーリを父に、ウクライナキエフに生まれる。アナトールは神童として知られ、7歳にしてチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』を指揮した。ロシア・オペラ・グループを組織し、シャリアピン・オペラ協会、モンテカルロ・ロシア・バレエ団の指揮者を歴任、1943年から1944年まで、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者をつとめた。1948年、イギリス国籍取得。フィストゥラーリはとりわけバレエ音楽の指揮に長け、評論家の宇野功芳は1960年代初頭にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と録音したチャイコフスキーの『白鳥の湖』を屈指の名盤と評価している。

1947年グスタフ・マーラーの次女アンナ・マーラーと結婚したが1956年に離婚し、1957年カール・フレッシュの弟子でヴァイオリン奏者のエリザベス・ロックハート(Elizabeth Lockhart,1921年 - 1999年)と再婚した。なお、エリザベスはかつて弟弟子のヨーゼフ・ハシッドに想いを寄せられ、失恋によって彼のキャリアを終わらせた女性でもある。

先代
トーマス・ビーチャム
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
首席指揮者
1943年 - 1944年
次代
エドゥアルト・ファン・ベイヌム