アラン・ゴマ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Alain Goma | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
フランス コンゴ民主共和国 | |||||
生年月日 | 1972年10月5日(52歳) | |||||
出身地 | ソー | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | CB, 右SB | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1982-1988 | ヴェルサイユ | |||||
1988-1990 | オセール | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1998 | オセール | 166 | (4) | |||
1998-1999 | パリ・サンジェルマン | 30 | (0) | |||
1999-2001 | ニューカッスル・ユナイテッド | 33 | (1) | |||
2001-2006 | フラム | 117 | (0) | |||
2007-2008 | アル・ワクラ | |||||
代表歴 | ||||||
フランス U-21 | ||||||
1996-1998 | フランス | 2 | (0) | |||
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アラン・ゴマ(Alain Goma, 1972年10月5日 - )は、フランス・ヴォクリューズ県ソー出身の元サッカー選手、元フランス代表。現役時代のポジションはセンターバック及び右サイドバック。
経歴
[編集]クラブ
[編集]フランス
[編集]ザイール出身の父の下でヴォクリューズ県ソーに生まれたゴマは、パリ郊外を拠点とするFCヴェルサイユでキャリアを始め、1988年の15歳の時に育成に定評のあるAJオセールの下部組織に入団[1]し、3年後にギー・ルーが監督を務めるトップチームに昇格し、リーグ・アン初出場を飾った。その後、1992-93シーズンのUEFAカップ1992-93でアヤックス・アムステルダムをPK戦の末にクラブ史上初準決勝進出に貢献するプレー等が評価され、シーズン終了後に初めてプロ契約を締結し、以降のシーズンで定位置を掴み、1995-96シーズンに2冠経験。また、UEFAチャンピオンズリーグ 1996-97では、アヤックスを抑えてグループリーグ首位通過を果たして準々決勝進出に成功している。オセール入団から10年後の1998年6月に移籍金1900万フランで同1部パリ・サンジェルマンFCと4年契約を締結[2]し、クリスティアン・ヴェアンスとコンビを組み、すぐさまトロフェ・デ・シャンピオンのタイトルを獲得したが、9位でシーズンを終える失望の結果となった[1]。
ニューカッスル
[編集]イングランド1部のトッテナム・ホットスパーFCからのオファーを拒否[3]し、1999年6月に移籍金475万ポンドで同じイングランド1部のニューカッスル・ユナイテッドFCと5年契約を締結した[4]。加入1季目は、負傷の影響からシーズンの半分程度の出場だった[5]が、2季目はチャールトン・アスレティックFC戦で鼻の負傷[6]、チェルシーFC戦で手の負傷[7]、ハムストリングの問題[8]によって度々離脱しており、決して万全とは言い難かったが、昨季に比較していずれも軽度であり、また他CBマルセリーノ・エレナ(en)の大怪我もあってアーロン・ヒューズとコンビを組み、2000年10月にはミドルズブラFC戦でリーグ初得点[9]とチームの月間最優秀選手賞を受賞する程の活躍を見せ、ボビー・ロブソン監督の信頼を掴んでいる[10]。しかし、当のゴマはロブソン監督が戦術的ミスを認めず、常に選手達を非難する行為等に反目し[11]、加入1季目終了時点で退団を望んでおり、負傷の影響から断念していたが、回復後に移籍要望書を提出した[12]末に2001年3月13日に同国2部のフラムFCとクラブ史上最高金額となる400万ポンドで合意に達し[13]、オセール在籍時代にジャン・ティガナ監督率いるASモナコのオファーを拒否したが、今度こそはティガナ監督の要望に応じる形となった[1]。
フラム
[編集]フラムでは、4月21日のフラットン・パークでのポーツマスFC戦で初出場を飾り[14]、昇格を果たした2001-02シーズンからは、アンディ・メルヴィル(en)やルーファス・ブレヴェット(en)とコンビを組んでセンターバックの主軸を担いつつ主将も務め、チームに不可欠な存在として活躍し続け、また、スティーヴ・マルレ、ルイ・サハ、スティード・マルブランク、マルタン・ジェトゥといった多くの同国人と共にプレーした。2003-04シーズン中に契約を2006年夏までの延長を勝ち取った[15]ものの、同国人のティガナ監督の後任のクリス・コールマン(en)新監督の下では、出場機会が減少しており[1]、ザット・ナイト等の若手選手の台頭によって同シーズン終了後に満了となった契約を延長させることが出来ず、2006年5月18日に他の5選手と共に放出されることが発表された[16]。フラム退団後は、カタール1部のアル・ワクラSCで短期間過ごし、現役引退をした。
現役引退後は、ロンドンに戻ってイギリス人のパートナーと共に不動産業に参入している[17]。
代表
[編集]ジネディーヌ・ジダンらと共にU-21代表でプレーした後、1996年10月のトルコとの親善試合(4-0)でA代表初出場にして先発フル出場を飾り、1998年8月のオーストリア戦(2-2)でフランク・ルブーフに代わり途中出場し、2試合目を記録した[1]。なお、1998 FIFAワールドカップへ向けた合宿のメンバー35人に選出されていたものの、直前に膝を負傷し、その後も負傷の影響から不調となって本大会行きは潰えた[1]。
タイトル
[編集]- クラブ
- リーグ・アン : 1995-96
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ : 1993-94, 1995-96
- トロフェ・デ・シャンピオン : 1998
脚注
[編集]- ^ a b c d e f "Memory Lane - Alain Goma" fulhamfc.com
- ^ "Alain Goma : « J´ai été séduit »"
- ^ "Sport: Football Shamed Shearer looks to make amends"
- ^ "Football: Goma deal as Gullit builds"
- ^ "GOMA CRITICAL OF ROBSON`S TACTICS"
- ^ "Robson hunts defender"
- ^ "GOMA BLOW FOR MAGPIES"
- ^ "Goma confident of swift return"
- ^ "Newcastle see off Boro with ease"
- ^ "Goma rocks Newcastle"
- ^ "GOMA BLASTS ROBSON"
- ^ "GOMA SET TO LEAVE"
- ^ "Fulham set to sign Goma"
- ^ "Portsmouth 1-1 Fulham" BBCスポーツ
- ^ "Goma lands extended deal"
- ^ "Goma leads Fulham player exodus"
- ^ "Londres: au bonheur des Frenchies"
外部リンク
[編集]- アラン・ゴマ - Soccerwayによる個人成績
- national-football-teams
- transfermarkt
- footballzz