コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アリー・スレイマン・アウジャリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリー・スレイマン・アウジャリ
علي سلیمان الأوجلي
2011年9月8日、ヒラリー・クリントンと会談するアウジャリ。
生年月日 1944年
出生地 イタリア王国の旗 イタリア領リビアベンガジ
出身校 ベンガジ大学
前職 外交官

リビアの旗 外務大臣
内閣 アリー・ゼイダーン内閣
在任期間 2012年11月27日 - 2013年1月3日
テンプレートを表示

アリー・スレイマン・アウジャリアラビア語: علي سلیمان الأوجلي‎、Ali Suleiman Aujali、またはAdjaliオジリOjliとも、1944年[1] - )は、リビア政治家外交官。2009年1月から2011年2月まで駐アメリカ大使。2011年リビア内戦ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)に離反して大使を辞任した[2]

外交官

[編集]

ベンガジ出身。ベンガジ大学に入学し、経営管理学士号を取得する[2]

1971年にリビアのイギリス大使館の三等書記官としてロンドンに赴任した。1976年マレーシア大使館に赴任し、1981年には駐マレーシア大使に任命された[2]。以後、1984年に駐アルゼンチン大使、1988年から1994年まで駐ブラジル大使、2001年から2004年までカナダ代理公使を歴任した。

2009年に駐アメリカ大使に任命され、パンアメリカン航空103便爆破事件の実行犯アブドゥルバーシト・アル=マグラヒーの釈放とリビア帰還に動いたことで知られる[2]

2011年2月、カダフィ政権から離反する形で駐アメリカ大使を辞任。2月28日のCNNのインタビューでは、トリポリからの情報としてこれまでに2,000人以上が死亡したと伝えた[3]。辞任後はリビア国民評議会に参加し、8月15日には国民評議会の駐アメリカ大使に任命され、2012年11月まで務めた[4]

政治家

[編集]

2012年10月、アリー・ゼイダーン首相により移行政府の外務大臣に任命された[5]。しかし、制憲議会はアウジャリがカダフィの二男サイフ英語版と近しい関係だった点を問題視した[6]。11月27日に制憲議会は就任を正式に認めた[7]が、2013年1月に辞任した。

脚注

[編集]
  1. ^ http://ourworldleaders.com/Libya/Ali+Suleiman/AUJALI%7C tytuł = Charge d'Affaires, People's Bureau, Washington Ali Suleiman Aujali of Libya| data dostępu = 26 lutego 2011| opublikowany = Ourworldleaders.com
  2. ^ a b c d Libya's Ambassador to the U.S. Resigns: Who is Ali Aujali?”. Allgov.com (22 February 2011). 1 March 2011閲覧。
  3. ^ リビア衝突「死者2000人超す」 駐米大使”. 日本経済新聞 (2011年3月1日). 2015年3月14日閲覧。
  4. ^ US accredits rebel representative as new Libya envoy”. AFP (15 August 2011). 2015年3月14日閲覧。
  5. ^ “Aujali resigns Foreign Ministry portfolio”. Libya Herald. (31 December 2012). http://www.libyaherald.com/2012/12/31/aujali-resigns-foreign-ministry-portfolio/ 8 February 2013閲覧。 
  6. ^ リビア:国民議会が新内閣承認”. 毎日新聞 (2011年11月1日). 2015年3月14日閲覧。
  7. ^ Events in November 2012”. Rulers. 8 February 2013閲覧。