アンディ・ラローシュ
ピッツバーグ・パイレーツ時代 (2010年) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国・カンザス州フォートスコット |
生年月日 | 1983年9月13日(41歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 205 lb =約93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、二塁手、一塁手 |
プロ入り | 2003年 ドラフト39巡目でロサンゼルス・ドジャースから指名 |
初出場 | 2007年5月6日 アトランタ・ブレーブス戦 |
最終出場 | 2013年6月9日 テキサス・レンジャーズ戦 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | アメリカ合衆国 |
この表について
|
アンドリュー・クリスチャン・ラローシュ(Andrew Christian LaRoche、1983年9月13日 - )は、アメリカ合衆国・カンザス州フォートスコット出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
父親は1970年代にカリフォルニア・エンゼルスでクローザーを務めていたデーブ・ラローシュ。兄のアダム・ラローシュもプロ野球選手で、同時期に共にピッツバーグ・パイレーツに所属していたこともある。
経歴
[編集]プロ入りとドジャース時代
[編集]2002年のMLBドラフトでサンディエゴ・パドレスから21巡目(全体625位)で指名を受けたが入団しなかった[1]。
2003年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから39巡目(全体1171位)で指名され入団した[1]。
2005年にはオールスター・フューチャーズゲームの米国選抜に選出され[2]、シーズン終了後にはドジャース傘下の最優秀マイナー選手に選出[3]。12月に発表されたベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングではドジャース傘下でチャド・ビリングズリーに次ぐ評価を受けた[4]。
2006年はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで73試合に出場し打率.309、18本塁打、OPS.987を記録。
2007年2月に発表されたベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングではドジャース傘下で最高の評価を受けた[5]。スプリングトレーニングで打率.175の成績でメジャーでプレイする機会を逃し[6]、開幕はAAA級ラスベガスで迎えたが、5月6日にマーロン・アンダーソンの故障者リスト入りに伴いメジャー昇格[6]。
パイレーツ時代
[編集]2008年7月31日にマニー・ラミレスやジェイソン・ベイが動いたボストン・レッドソックス、ロサンゼルス・ドジャース、ピッツバーグ・パイレーツの三角トレードで、兄のアダム・ラローシュが所属するパイレーツへ移籍。アダムは故障者リスト入りしていたため兄弟そろっての初出場は8月14日となったが、アダムとアンディはプロ入り以前から同一チームでプレイしたことがなかったため、生まれて初めて同一チームでプレイすることになった[7]。オフには打撃コーチのドン・ロングと共に打撃改造に取り組んだ[8]。
2009年は150試合に出場し、打撃面では打率.258、12本塁打、OPS.731に留まったが、守備ではリーグの三塁手中2位のアシスト数と併殺数、3位のDRS7、5位のUZR5.7を記録した。9月28日のドジャース戦では5打数5安打2本塁打6打点と爆発し、この年のドジャース戦は打率.483、3本塁打、OPS1.447と打ち込んだ。
2010年はペドロ・アルバレスのメジャー昇格に伴い6月後半からスタメン出場が減り、102試合の出場に留まった。9月20日にDFAとなる。11月29日にFAとなった。
アスレチックス時代
[編集]2011年1月24日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約。スプリングトレーニングで29試合の出場で打率.333、4本塁打、OPS.971の成績を残しメジャーに昇格。しかし40試合の出場で打率.247、OPS.654に終わり、6月5日にDFAとなってマイナーに降格した。9月29日にFAとなった。
インディアンス傘下時代
[編集]2011年12月21日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[9]。
レッドソックス傘下時代
[編集]2012年6月28日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。オフの11月3日にFAとなった。
ブルージェイズ時代
[編集]2013年1月30日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。6月7日にメジャー昇格するも1試合の出場に留まり、6月13日にAAA級バッファロー・バイソンズへ降格した。オフの10月1日にFAとなったが、10月30日にマイナー契約で再契約した。
2014年はAAA級バッファローで60試合に出場し、打率.248、5本塁打、29打点だった。オフの11月4日にFAとなった。
ホワイトソックス傘下時代
[編集]2015年1月12日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだが[10]、4月1日に自由契約となった。
独立リーグ時代
[編集]2015年8月12日にアメリカン・アソシエーションのウィチタ・ウィングナッツと契約。
2016年2月26日にアトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズにトレードで移籍。この年限りで現役を引退した。
現役引退後
[編集]2019年にカンザスシティ・ロイヤルズ傘下ルーキー級バーリントン・ロイヤルズの打撃コーチに就任した[11]。以後もロイヤルズ傘下球団でコーチを歴任しており、2021年はAAA級オマハ・ストームチェイサーズ[12]、2022年はA+級クアッドシティズ・リバーバンディッツの打撃コーチ[13]。
選手としての特徴
[編集]メジャーでシーズン32本塁打を放ったこともある兄のアダムとのホームラン競争で勝ったことがあるという長打力を持ち味とする[14]。特にレフト方向の打球がよく伸びるが[14]、速球を広角に弾き返す打撃を得意とする[15]。
守備では内野の全ポジションを守ったことがあるが、主に三塁手として起用される。三塁守備は2008年に2ヶ月で9失策を喫したこともあるが、球際に強く[14]、DRSとUZR共に通算でほぼ平均的な数値を残しており[16]、平均レベルの守備範囲と強肩を兼ね備える[14]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | LAD | 35 | 115 | 93 | 16 | 21 | 5 | 0 | 1 | 29 | 10 | 2 | 1 | 0 | 1 | 20 | 5 | 1 | 24 | 1 | .226 | .365 | .312 | .677 |
2008 | 27 | 69 | 59 | 6 | 12 | 1 | 0 | 2 | 19 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 7 | 5 | .203 | .319 | .322 | .641 | |
PIT | 49 | 183 | 164 | 11 | 25 | 4 | 0 | 3 | 38 | 12 | 2 | 0 | 2 | 1 | 14 | 1 | 2 | 30 | 3 | .152 | .227 | .232 | .458 | |
'08計 | 76 | 252 | 223 | 17 | 37 | 5 | 0 | 5 | 57 | 18 | 2 | 0 | 2 | 1 | 24 | 1 | 2 | 37 | 8 | .166 | .252 | .256 | .508 | |
2009 | 150 | 590 | 524 | 64 | 135 | 29 | 5 | 12 | 210 | 64 | 3 | 1 | 6 | 2 | 50 | 1 | 8 | 84 | 16 | .258 | .330 | .401 | .731 | |
2010 | 102 | 271 | 247 | 26 | 51 | 8 | 0 | 4 | 71 | 16 | 1 | 1 | 2 | 1 | 19 | 0 | 2 | 43 | 7 | .206 | .268 | .287 | .555 | |
2011 | OAK | 40 | 104 | 93 | 10 | 23 | 6 | 1 | 0 | 31 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | 1 | 2 | 19 | 6 | .247 | .320 | .333 | .654 |
2013 | TOR | 1 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:6年 | 404 | 1336 | 1184 | 133 | 267 | 53 | 6 | 22 | 398 | 113 | 8 | 3 | 11 | 5 | 121 | 8 | 15 | 208 | 38 | .226 | .304 | .336 | .640 |
- 2013年度シーズン終了時
背番号
[編集]- 10 (2007年)
- 28 (2007年 - 2008年)
- 15 (2008年 - 2010年)
- 21 (2011年)
- 31 (2013年)
代表歴
[編集]- 第37回IBAFワールドカップ アメリカ合衆国代表
脚注
[編集]- ^ a b “Andy LaRoche Minor, Fall, Winter & Independent Leagues Statistics”. Baseball-Reference.com. 2022年12月15日閲覧。
- ^ “Futures Game History” (英語). MLB.com. 2009年8月9日閲覧。
- ^ “Andy LaRoche Awards” (英語). The Baseball Cube. 2009年8月9日閲覧。
- ^ Matthews, Alan (2005年12月9日). “2006 Top 10 Prospects: Los Angeles Dodgers” (英語). Baseball America. 2009年8月9日閲覧。
- ^ Matthews, Alan (2007年2月20日). “2007 Top 10 Prospects: Los Angeles Dodgers” (英語). Baseball America. 2009年8月9日閲覧。
- ^ a b Gurnick, Ken (2007年5月6日). “Notes: Dodgers promote LaRoche” (英語). MLB.com. 2009年8月9日閲覧。
- ^ Langosch, Jenifer (2008年8月14日). “LaRoche brothers set to take field” (英語). MLB.com. 2009年8月9日閲覧。
- ^ 『月刊スラッガー』2009年4月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-4、61頁
- ^ http://nbcsports.msnbc.com/id/45752239
- ^ Scott Merkin (January 12, 2015). “Sox reportedly agree to deal with Andy LaRoche”. MLB.com. January 14, 2015閲覧。
- ^ “Royals announce Minor League coaching staffs/coordinators for 2019”. MLB.com (2019年1月4日). 2022年12月15日閲覧。
- ^ Anne Rogers (2021年2月20日). “Royals announce 2021 Minor League coaching staff”. MLB.com. 2022年12月15日閲覧。
- ^ “River Bandits Announce 2022 Coaching Staff”. MiLB.com (2022年1月14日). 2022年12月15日閲覧。
- ^ a b c d 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、450頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、398頁頁。ISBN 978-4-331-51370-5。
- ^ Andy LaRoche Advanced FieldingFanGraphs