アンドレイ・カルロフ
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アンドレイ・カルロフ Андрей Кaрлов | |
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在トルコロシア大使 | |
任期 2013年7月12日 – 2016年12月19日 | |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
在北朝鮮ロシア大使 | |
任期 2001年7月9日 – 2006年12月20日 | |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
個人情報 | |
生誕 | 1954年2月4日 ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
死没 | 2016年12月19日(62歳没) トルコ、アンカラ |
死因 | 銃撃 |
国籍 | ソビエト連邦→ ロシア |
受賞 | ロシア連邦英雄(追贈) |
アンドレイ・ゲンナージェヴィチ・カルロフ(ロシア語: Андрей Геннадьевич Карлов、1954年2月4日 - 2016年12月19日)は、ソビエト連邦及びロシアの外交官。
人物
[編集]ソビエト連邦時代のモスクワ出身。1976年にモスクワ国際関係大学を卒業、同年ソ連外務省入省。1992年、外交専門高等教育機関である「ロシア外務省外交アカデミー(Diplomatic Academy of the Ministry of Foreign Affairs of the Russian Federation)」を卒業。2001年から2006年にかけて駐北朝鮮大使を務めた。2007年から2009年にかけてはロシア外務省領事副局長を務め、2009年からはロシア外務省領事局長、外務省会のメンバーでもあった[1]。
2013年に駐トルコ大使に任命され、アンカラに赴任[2]。妻が1人、息子が1人いる[2]。
暗殺
[編集]→詳細は「アンドレイ・カルロフ暗殺事件」を参照
駐トルコ大使在任中の2016年12月19日、アンカラでの「トルコ人が見たロシア」という写真展覧会会場でスピーチを行っている際に、トルコ人警察官に銃撃され死亡した[4][5][6]。
実行犯の警察官はトルコの警察の機動隊に所属する22歳のメブリュト・メルト・アルトゥンタシュであり、メブリュトはカルロフを射殺した直後「アレッポを忘れるな、シリアを忘れるな」「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と叫び、[7]その後警官隊に包囲され射殺された[8]。
脚注
[編集]- ^ 銃撃により、駐アンカラ露大使アンドレイ・カルロフ氏死亡 露外務省
- ^ a b 駐トルコ・ロシア大使アンドレイ・カルロフ。事件記録 | 論拠と事実 (Посол России в Турции Андрей Карлов. Досье | Аргументы и Факты) - 2016年12月19日
- ^ アンドレイ・カルロフにロシア連邦英雄称号が授与された | ロシア大統領府 (Андрею Карлову присвоено звание Героя Российской Федерации | Президент России) - 2016年12月11日
- ^ Russian ambassador to Turkey shot dead in Ankara art gallery | World news | The Guardian - 2016年12月19日
- ^ タス通信: 事件 - 駐アンカラ・ロシア連邦大使の殺害。出来事の時系列 (ТАСС: Происшествия - Убийство посла РФ в Анкаре. Хроника событий) - 2016年12月19日
- ^ “トルコのロシア大使が射殺される。犯人は「アレッポを忘れるな」と叫ぶ”. ニューズウィーク日本語版. Newsweek Japan. (2016年12月20日) 2016年12月20日閲覧。
- ^ “ロシアの駐トルコ大使射殺 警官がアレッポ空爆に抗議か”. BBCニュース ジャパン. BBC Japan. (2016年12月20日) 2016年12月20日閲覧。
- ^ Umar, Farooq; King, Laura (19 December 2016), Off-duty police officer identified in fatal shooting of Russia's ambassador to Turkey 19 December 2016閲覧。
関連項目
[編集]- 在朝鮮民主主義人民共和国ロシア大使館 - アンドレイ・カルロフの殉国を讃えるレリーフがある。