アーゼンドルフ (ディープホルツ郡)
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ニーダーザクセン州 |
郡: | ディープホルツ郡 |
ザムトゲマインデ: | ザムトゲマインデ・ブルーフハウゼン=フィルゼン |
緯度経度: | 北緯52度46分22秒 東経09度00分21秒 / 北緯52.77278度 東経9.00583度座標: 北緯52度46分22秒 東経09度00分21秒 / 北緯52.77278度 東経9.00583度 |
標高: | 海抜 48 m |
面積: | 58.24 km2 |
人口: |
2,903人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 50 人/km2 |
郵便番号: | 27330 |
市外局番: | 04253 |
ナンバープレート: | DH, SY |
自治体コード: |
03 2 51 002 |
行政庁舎の住所: | Lange Straße 11 27305 Bruchhausen-Vilsen |
ウェブサイト: | www.asendorf.info |
首長: | ハインフリート・カッベルト (Heinfried Kabbert) |
郡内の位置 | |
地図 | |
アーゼンドルフ (ドイツ語: Asendorf, 低地ドイツ語: Asendörp) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ディープホルツ郡のザムトゲマインデ・ブルーフハウゼン=フィルゼンに属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。
地理
[編集]位置
[編集]この町はブレーメンの南 36 km に位置する、ザムトゲマインデ・ブルーフハウゼン=フィルゼンで2番目に大きな町である。
自治体の構成
[編集]アーゼンドルフは以下の地区で構成されている。
- アーゼンドルフ(中核地区)
- ブレッバー
- エッセン
- グラウエ
- ヘンドルフ
- ホーエンモール
- クーレンカンプ
- ユプゼン
歴史
[編集]地名
[編集]この集落は1252年に Asenthorpe、1330年に Asendorpe という表記で記録されている。Aso は、ゲルマン語の Ans、すなわちゲルマンの異教の神であるアース神族 (ドイツ語: Asen) に由来する可能性がある。8世紀以降の文書には、Anso、Aso、Aaso、Asso、Oso、Ossoといった表記がなされている。一方、ランゴバルト族の人名 Aso あるいは Anso に由来する可能性もある[2]。
略史
[編集]この集落は1091年に初めて文献に記述されている。この文書には、この年に起こった以下の様な事件が記されている。シュトゥンペンフーゼン家のゲルハルト2世はかつて、アーゼンドルフに7つの農場と8戸の農奴、ユプゼンの4つの農場を教会に譲渡することになっていた。しかし彼はアーゼンドルフの4つの農場とユプゼンの2つの農場を譲渡しただけであったため教会領主から破門され、非難された。教会は彼を詐欺および農場と農奴の借金について裁判に訴えた。この地域の教会の最高位者であるブレーメン大司教リーマーと、王権の保持者として家臣であるマグヌス公が議長を務めた。この裁判には300人以上が参加した。
アーゼンドルフは当時すでに、ランベルトゥスを長老とする教区を形成しており、教会堂があったことは間違いない。村落の形成はそれよりもかなり以前であるが、1991年に公式に900年祭を祝った。
1250年頃に教区教会がはっきりと記述され („parochia in Asenthorpe“)、16世紀の教会台帳にさらなる記載が見られる。
アーゼンドルフの教会が属したブレーメンの聖パウル修道院は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公のホーヤ伯領占領によって生じた損害の弁済を拒否した。これを承けてホーヤ伯ヨプスト2世はアーゼンドルフの修道院領を差し押さえた。
1524年に聖マルケルス教会の塔が建設され、教会堂が拡張された。1778年に教会堂が新築され、1909年に翼廊とアプスが増築された。1950年から1964年までの間に、教会内部の絵画を含む全体の修復が行われた。
1898年に軽便鉄道ホーヤ - ジーケ - アーゼンドルフ線が開通した。この路線は1900年にブルーフハウゼン=フィルゼン - アーゼンドルフ間が延長された。アーゼンドルフ駅は現在、ドイツ初の保存鉄道の終点駅となっている。現在の連邦道 B6号線は、1771年にはすでにジーケからヴィーツェンまでのルートが設定されていたが、舗装されていなかった。1810年から1826年になってやっと完成した。
2001年から2013年までこの町は、ニーダーザクセン村落刷新プログラムの支援を受けていた。
町村合併
[編集]ザムトゲマインデ・アーゼンドルフは1974年3月1日に地域再編によって廃止され、ブレッバー、エッセン、グラウエ、ヘンドルフ、ホーエンモール、クーレンカンプ、ユプゼンとともに町村アーゼンドルフとして統合された[3]。
住民
[編集]人口推移
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¹ 6月6日(現在の町域にあたる範囲の人口)
² 5月27日(現在の町域にあたる範囲の人口)
³ 12月31日
行政
[編集]議会
[編集]アーゼンドルフの議会は、13議席からなる[8]。人口2001人から3000人のザムトゲマインデに対する議員定数12議席[9]に、調整議席が加わったためである。議員は5年ごとの直接選挙で選出される。
議会では、議員の他に首長も投票権を有している。
首長
[編集]アーゼンドルフの町長はハインフリート・カッペルト (UWG) である。
紋章
[編集]図柄: 金地。2本の金色の細い線が入った黒の逆斜め帯(向かって左下から向かって右上)で2分割。上部は、直立し下部が胸板でつながった、赤い爪を持つ2本の黒いクマの腕。下部は、1:2:2:2:1に配置された8枚の丸く刻印のない赤い硬貨[10]。
解説: 新旧市民向けのパンフレットには以下の記述がなされている[11]。
アーゼンドルフの町の紋章は、B6号線を表す対角線上の帯が上部の2本のクマの腕と下部の刻印のない赤い硬貨とを分割している。後者はアーゼンドルフで発見された硬貨を表すが、同時にそれぞれの地区を示してもいる。
文化と見所
[編集]建築
[編集]アーゼンドルフの建築文化財リストには40件の建築文化財が記述されている。たとえば、以下のものがある。
- 中心部は中世に建造された聖マルケルス教会。レンガ造りのザールキルヒェである。
芸術展示
[編集]クンスト=シュッペン・アーゼンドルフ(直訳: アーゼンドルフ芸術倉庫)は2010年に、アーゼンドルフ駅前、保存鉄道の路線に直接面した旧倉庫でオープンした。木組み倉庫の田舎の雰囲気の中、約 220 m2 のスペースで様々な芸術家が作品を創作している。この施設はクンスト=シーネ(直訳: 芸術軌道)が運営している[12]。
博物館
[編集]- アーゼンドルフ自動車博物館は1980年に開館した。小型車を中心に約 60 台の車両が展示されている[13]。
- ニーダーザクセン軽便鉄道博物館(鉄道ブルーフハウゼン=フィルゼン - アーゼンドルフ博物館)は、ドイツ初の保存鉄道であり、メートル軌の狭軌鉄道である。ドイツ鉄道協会が運営している。
経済と社会資本
[編集]交通
[編集]連邦道 B6号線 ハノーファー - ブレーメン線がこの町を通っている。さらにアーゼンドルフは、保存鉄道が運行されるブルーフハウゼン=フィルゼン - アーゼンドルフ線沿いに位置している。
人物
[編集]ゆかりの人物
[編集]- ダーフィット・ハインリヒ・ホッペ(1760年 - 1846年)薬剤師、植物学者、昆虫学者。ブルーフハウゼン=フィルゼンからアーゼンドルフに通じる道は彼にちなんで名付けられている(ダーフィット=ホッペ=ヴェーク)。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Landesamt für Statistik Niedersachsen, LSN-Online Regionaldatenbank, Tabelle A100001G: Fortschreibung des Bevölkerungsstandes, Stand 31. Dezember 2023
- ^ “Ortsnamen - Übersicht für den Buchstaben A”. NDR.de. 2015年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月22日閲覧。
- ^ a b c Statistisches Bundesamt, ed (1983). Historisches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland. Namens-, Grenz- und Schlüsselnummernänderungen bei Gemeinden, Kreisen und Regierungsbezirken vom 27.5.1970 bis 31.12.1982. Stuttgart/Mainz: W. Kohlhammer. p. 191. ISBN 978-3-17-003263-7
- ^ a b c d Michael Rademacher. “Deutsche Verwaltungsgeschichte von der Reichseinigung 1871 bis zur Wiedervereinigung 1990. Landkreis Grafschaft Hoya”. 2021年11月23日閲覧。
- ^ “Gemeindeverzeichnis Deutschland 1900 – Landkreis Hoya”. 2021年11月23日閲覧。
- ^ a b Statistisches Bundesamt Wiesbaden, ed (1958). Amtliches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland – Ausgabe 1957 (Bevölkerungs- und Gebietsstand 25. September 1956, für das Saarland 31. Dezember 1956). Stuttgart: W. Kohlhammer. p. 156
- ^ a b c d e f g h i j “Gemeindeverzeichnis-Informationssystem GV-ISys”. 2021年11月23日閲覧。(Excelファイルへのリンクページ)
- ^ “Wahl des Gemeinderates Samtgemeinde Bruchhausen-Vilsen - Gemeinde Asendorf am 12.09.2021”. 2021-1123閲覧。
- ^ “Niedersächsisches Kommunalverfassungsgesetz (NKomVG); § 46 – Zahl der Abgeordneten”. 2021年11月23日閲覧。
- ^ “Hauptsatzung der Gemeinde Asendorf, § 2 Wappen, Flagge, Dienstsiegel” (PDF). 2021年11月23日閲覧。
- ^ “Broschüre für Neu und Altbürger der Gemeinde Asendorf”. 2021年11月23日閲覧。
- ^ “Kunst-Schuppen Asendorf”. 2021年11月23日閲覧。
- ^ “Museum - Asendorf”. 2021年11月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- “Homepage Asendorf アーゼンドルフのウェブサイト”. 2021年11月24日閲覧。
- “ブルーフハウゼン=フィルゼン - アーゼンドルフ間の保存鉄道”. 2021年11月24日閲覧。
- “クンスト=シュッペン・アーゼンドルフのウェブサイト”. 2021年11月24日閲覧。
- “Historische Ansichtskarten aus der Samtgemeinde Bruchhausen-Vilsen - Gemeinde Asendorf”. 2021年11月24日閲覧。