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イエス・ウィ・キャン・キャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「イエス・ウィ・キャン・キャン」
ポインター・シスターズシングル
初出アルバム『The Pointer Sisters
B面 ジェイダ
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 1972年
ジャンル ソウル
時間
レーベル ブルー・サム・レコード
作詞・作曲 アラン・トゥーサン
プロデュース デヴィッド・ルービンソン
チャート最高順位
ポインター・シスターズ シングル 年表
Destination No More Heartaches
(1972年)
イエス・ウィ・キャン・キャン
(1973年)
Wang Dang Doodle
(1973年)
ミュージックビデオ
「Yes We Can Can」 - YouTube
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イエス・ウィ・キャン・キャン」(Yes We Can Can)は、アラン・トゥーサンが作詞作曲した楽曲。ポインター・シスターズ1973年にカバーしてヒットした。

概要

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リー・ドーシー1970年に発表したアルバム『イエス・ウィ・キャン』に収録され、またシングル・カットもされている。オリジナル・タイトルは「イエス・ウィ・キャン」。ドーシーのバージョンはビルボードのソウル・チャートで46位を記録した。

ポインター・シスターズがカバーした経緯は次のとおりである。1972年、長女のルース・ポインターが加入したことによりグループはルース、アニタ、ボニー、ジューンの4人組となった。同時に彼女らはレーベルをアトランティック・レコードから別の会社に移すことを考え、いくつかのデモを録音した。その中のひとつに本作品が含まれていた。「アラン・トゥーサンの書いたものならどんなものでも好きだった」というプロデューサーのデヴィッド・ルービンソンの意向により「イエス・ウィ・キャン・キャン」が選ばれた[2]

1973年5月発売のアルバム『The Pointer Sisters』に収録された。同年8月にシングルカットされた[1]

ポインター・シスターズのバージョンは、同年10月13日から10月20日にかけてビルボード・Hot 100の11位を記録した[3][4]。ソウル・チャートでも12位を記録した。そして1973年のビルボード年間チャートにおいては95位を記録している。

メル&ティム、ホセ・フェリシアーノハリー・コニック・ジュニアスライ&ロビーヤング・ホルト・アンリミテッドテイラー・ヒックスヤング@ハートマリア・マルダー[5]ジョス・ストーンらのカバー・バージョンがある。

作者のアラン・トゥーサン自身のバージョンは2005年に発表された。同年8月末、アメリカ合衆国南東部を大型の台風「ハリケーン・カトリーナ」が直撃するが、特にニューオリンズは甚大な被害を受けた。その直後の9月から10月にかけて、同市に縁の深いアーティストによってベネフィット・アルバムが制作される。同年12月に発売されたコンピレーション・アルバム『Our New Orleans: A Benefit Album for the Gulf Coast』の冒頭でトゥーサンは本作品を歌っている。

パーソネル

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  • アニタ・ポインター - リード・ボーカル、バッキング・ボーカル
  • ルース、ボニー、ジューン - バッキング・ボーカル
  • デクスター・C・プレイツ - ベース
  • ウィリー・フルトン - ギター
  • ゲイロード・バーチ -ドラムス

脚注

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