イグナチオ・グロッパー
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イグナチオ・グロッパー | |
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生誕 |
1889年12月2日 ドイツ |
死没 |
1968年11月17日(78歳没) 東京都 |
国籍 | ドイツ |
職業 | 修道士、建築家 |
イグナチオ・グロッパー(独: Ignatius Gropper、1889年12月2日 - 1968年11月17日)は、ドイツのカトリック教会イエズス会修道士、建築家[1]。名はイグナチウスとも、姓はグロッパあるいはグロッペルとも言われる。
関東大震災で倒壊した上智学園(上智大学)を再建するため1930年来日、上智大学のみならず日本各地の教会建築に携わる[1][2]。1968年上智大学教授館にて死去[1]。
主な作品
[編集]- 上智大学1号館(1932年) - 監督。設計はマックス・ヒンデル[3]。
- 聖アロイジオ塾(1932年) - 監督。設計はヒンデル。現存せず[4]。
- イエズス会長束修練院(1938年) - 設計に関与したと言われる。被爆建物。
- 聖イグナチオ教会(1949年) - 初代。建替により現存せず[3]。
- 六甲カトリック教会(1952年)‐設計・管理者、施工業者‐㈱松浦工務店
- 上智大学校舎
- 旧図書館・大学院校舎(1952年) - 現存せず[3]。
- 世界平和記念聖堂(1954年) - コンペ審査員、監督。設計は村野・森建築事務所(村野藤吾)、構造設計は内藤多仲。
- 徳山カトリック教会聖堂(1957年) - [5]
- マリアの御心会明泉寮(1961年) - 現存せず[6]
また当時一般的な日本家屋より頑丈な骨組みで設計したという。広島市への原子爆弾投下ではグロッパー設計の建物が倒壊を免れたため、結果中にいた人は延命することができた[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c 杉森彰「<上智とともに>グロッパーさんのこと」『ソフィア : 西洋文化ならびに東西文化交流の研究』第25巻第4号、上智大学、1976年12月、145-146頁、ISSN 04896432、NAID 120005869853。
- ^ 石丸紀興『世界平和記念聖堂』相模書房 1988年 p.17
- ^ a b c 角幸博『マックス・ヒンデルと田上義也 : 大正・昭和前期の北海道建築界と建築家に関する研究』 北海道大学〈工学博士 乙第4828号〉、1995年、260頁。doi:10.11501/3083793。 NAID 500000127096 。2022年5月10日閲覧。
- ^ “聖アロイジオ塾” (PDF). 上智大学. 2019年12月28日閲覧。
- ^ “徳山教会「聖堂献堂50周年」”. カトリック広島司教区. 2019年12月28日閲覧。
- ^ “日本の創立”. マリアの御心会. 2019年12月28日閲覧。
- ^ “The Atomic Bombing of Hiroshima by Father Johannes Siemes” (英語). the War Time Journal. 2019年2月7日閲覧。