2003年イラク攻撃
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2003年イラク攻撃(2003ねんイラクこうげき)は、2003年にアメリカ合衆国やイギリスなどの有志連合軍がイラクの大統領であるサッダーム・フセインの排除を目的としてイラクを攻撃し、フセイン政権を崩壊させた事件である。
前史・概要
[編集]1991年、イラクは湾岸戦争に敗戦したが、フセイン政権は倒されなかった。しかし、その10年後の2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生すると、アメリカ大統領のジョージ・W・ブッシュはテロとの戦いを宣言し、アフガニスタンを攻撃。瞬く間に同国のタリバン政権を崩壊させた[4]。
翌2002年、ブッシュはイラク、イラン、北朝鮮を悪の枢軸と呼んで名指しで批判。アメリカは兼ねてから敵視していたイラクに様々な圧力をかけていき、イラクが大量破壊兵器を開発しているという疑惑も上がった[5]。
その後イラクは国際連合の核査察を受け入れ、結果的に大量破壊兵器は発見されなかった。しかしアメリカはこの結果を受け入れる事ができないとし、イギリスなどと協力してイラク攻撃の準備を進めていった。またオーストラリアやポーランドも参戦すると発表した[6]。
そして3月17日、アメリカはイラクに最後通牒を突きつけた。ブッシュはフセインらに48時間以内の国外退去を要求し、従わなければイラクを攻撃すると明言[7]。フセインは徹底抗戦を宣言した[8]。
攻撃・戦闘
[編集]2003年3月20日、米英豪波連合軍はついにイラク攻撃を開始。特別共和国防衛隊を中心とするイラク軍がこれを迎え撃った。
ウンム・カスルの戦い
[編集]イラク南部に上陸した連合軍は、まずウンム・カスルなどを攻略した。しかしそれは本格的な上陸作戦というよりは特殊作戦による占領という性格の戦闘であった[9]。
バスラの戦い
[編集]ウンム・カスルやルメイラ油田など、イラク南部を攻略した連合軍は北上して要衝バスラを攻略した。この時イギリス軍は大規模な攻撃を行ったが、イラク軍の組織的抵抗は無かったという[10]。
バグダッドの戦い
[編集]3月20日からイラクを攻撃していた連合軍は4月3日、ついに首都バグダッドを包囲、攻撃を開始した。連合軍はイラクの大統領府や情報機関を占拠し[11]、開戦から21日後の4月9日、バグダッドは陥落した[12]。
大規模戦闘終結宣言
[編集]バグダッド陥落後、フセインらは既に逃亡し行方不明になっていたが、5月1日、ブッシュは空母エイブラハム・リンカーン上で大規模戦闘終結宣言を出した[13]。
フセイン拘束・殺害
[編集]フセインはバグダッド陥落以降行方不明になっていたが、2003年12月14日、米軍に拘束された。フセインはティクリートの南東約15kmにあるダウルの民家に潜伏していたという[14]。
その後フセインはイラク高等法廷で裁判を受け、2006年12月30日に処刑された[15]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “イラク戦争”. コトバンク. 2023年9月3日閲覧。
- ^ “3米国などによるイラクに対する軍事作戦”. 防衛省 (2003年). 2023年9月3日閲覧。
- ^ “イラク共和国”. 外務省 (2002年9月). 2023年9月3日閲覧。
- ^ “9・11から20年 テロ根絶へ気を緩めるな 米国は対中シフトを強めよ”. 産経新聞 (2021年9月11日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “日本人が目を背けるイラク戦争の総括”. 小林よしのり (2013年3月26日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “イラク派兵は世界の少数派”. しんぶん赤旗 (2003年10月9日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “米大統領、48時間以内の亡命要求 イラクに最後通告”. 朝日新聞 (2003年3月18日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “フセイン大統領「偉大なる抗戦」を言明”. 朝日新聞 (2003年3月17日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “水陸両用作戦はもう古い? 新たな存在理由を模索する米海兵隊”. 朝日新聞グローブ (2019年10月17日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “米軍が首都完全包囲と報道/バスラ陥落も間近か”. 四国新聞 (2003年4月6日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “バグダッド陥落近づく米軍 大統領主要宮殿を占拠”. 韓国放送公社 (2003年4月7日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “バグダッド 陥落”. 韓国放送公社 (2003年4月9日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “最近の内外情勢 2003年3月”. 公安調査庁. 2022年2月7日閲覧。
- ^ “フセイン元大統領拘束 米、大量破壊兵器を追及”. 朝日新聞 (2003年12月15日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “フセイン処刑の意味”. 朝日新聞 (2007年1月9日). 2022年2月7日閲覧。