コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

イラン料理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イラン料理が並べられた食卓

イラン料理あるいはペルシア料理は、イランを起源とする、または、イランで伝統的に食べられている料理の総称。

イラン料理の特色

[編集]

料理の味付けは薄めで、ふんだんに使われた香草香辛料で風味が付けられている[1]。果物と香草がふんだんに使用され、食材として用いるほかに保存のために乾燥、瓶詰め、ペースト状に加工されることもある[2]。香辛料ではサフランシナモンが、香草ではイノンドコリアンダーの実が多く使われる[1]。食材は温・冷・乾・湿の4種類に分類され、分類に基づいた食材の組み合わせがされている[2]。また、それぞれの性質は気候や体調に応じて使い分けられている[2]。甘酸っぱい味付けが特徴で[3]デザートではない一つの料理に甘味のある食材と甘味の無い食材を使用する点に特徴がある[1]。このため、ホウレンソウプルーンを使った仔羊のシチュー、酸味のあるサクランボ(あるいはザクロ)のソースとアヒルの肉を合わせた料理が作られる[1]。イランでは酸味が好まれるため、卓上にはライムのしぼり汁が調味料として置かれることもある[3]。甘味と酸味を組み合わせた料理は、サーサーン朝時代にまで遡ることができる[1]

歴史

[編集]

古代のペルシア(イラン)に存在していた国家の食文化はマケドニアギリシャローマ帝国パルティアなどの影響を受けて発展した[1]。多数の廷臣や客人が同席する王や高官の食事には大量の料理が出され、多くの料理人や職人が動員された。食材や飲料はエジプトメソポタミアなどの近辺の地域から取り寄せられ、貴金属製の食器が使われた[1]

サーサーン朝の時代に食文化が発達し、ペルシア語に由来する料理用語が西アジアに広まった[1]。サーサーン朝では、熱い肉料理、冷製の肉料理、ブドウの葉でつつんだ料理などが作られていた。マルメロジャムアーモンドクルミを詰めたナツメヤシの実がデザートとして食べられていた。

11世紀にズィヤール朝で書かれた随筆『カーブースの書』には、当時の食事マナーが記されている[4]

肉と魚

[編集]
アーブグーシュト
ジュージェ・キャバーブと野菜の串焼き

イランにおいてはの肉が好まれている[5]。素焼きの小さな壺に羊のすね肉、ジャガイモヒヨコマメなどを入れて弱火で煮込むアーブグーシュト(ābgūsht、「肉汁」の意)は、ナーンと共に食べる庶民の料理である[6]。アーブグーシュトは、器ごと加熱する調理方法からディーズィー(dizi、「土鍋」の意)とも呼ばれるが、イランのレストランでは大釜で煮込んだスープを素焼きの壺に移し替えて供することが一般的になっている[6]。串焼肉屋(キャバービー)では新鮮な羊の肉や内臓がキャバーブ(串焼きの羊肉)にされて売られており、焼いた肉と香草をナーン(ナン)で巻いて食べる[7]。羊の頭と足を煮込んだキャッレパーチェ(kale-pāche)、羊の胃袋を煮込んだスィーラービーは伝統的な庶民の料理であり、キャッレパーチェは朝食として食べられる[8]テヘランの富裕層はキャッレパーチェを下町の労働者の食べ物だと見下し[8]、田舎ではキャッレパーチェは縁起が悪い食べ物だと敬遠されることもある[9]

また、鶏肉を使ったジュージェ・キャバーブも食される。ジュージェ・キャバーブに使う鶏肉はライム汁にすりおろしたタマネギやニンニクを混ぜたマリネ液に漬け、その後で串焼きにされる。

沿岸地方を除いて魚料理はあまり食べられないが、ノウルーズ(イランの正月)には魚料理は欠かせないものとなっている[3]カスピ海で獲れるイラン産のキャビアは国外に大量に流通しており、品質も高く評価されている[10]。鱗の無い魚とその卵を食べてはならないシーア派の戒律と高い価格のため、過去のイランではキャビアを食べる習慣は存在していなかった[11]1983年ルーホッラー・ホメイニーが「チョウザメには鱗がある」というファトワーを出してキャビアの食用が合法化されて以降、イラン内でのキャビアの消費量は増えつつある[11]ギーラーン州などのキャビアの産地であるカスピ海沿岸地域では、キャビアよりも白魚の卵の塩漬けが好まれている[12]

野菜、果物

[編集]

イラン料理において香草(ハーブ)は野菜に分類される[13]ハツカダイコンハッカの葉、ニラバジリコはサブジー(sabzī、青物)と呼ばれ、生のまま塩を振りかけ、ナーンで巻いて食べる[4]

ラブー(ビーツ、テンサイ)はサラダに使われ、串を刺して茹でたラブーは冬のイランの名物になっている[14]ジャガイモは、イラン風ハンバーグ(kotlet)などのひき肉料理のつなぎにも使われる。ホウレンソウやナスなどの野菜は、クークー(kūkū)というイラン風オムレツの具に使われる。クークーは卵を強くかき混ぜ、場合によっては少量のベーキングパウダーを入れて焼き上げるため、厚いスフレ状のオムレツになる[1]

イランでよく食べられる果物にはブドウ、メロンスイカ、アンズなどが挙げられる。また、キュウリはイラン料理においては果物に含まれる[4][15]。夏季にはコンプート(コンポート)やメロンの果肉と氷水を混ぜ合わせたものなど、フルーツに若干の調理を加えた菓子が好まれる[15]。イラン南部ではナツメヤシが主要な栄養源になっている[16]

主食

[編集]
チェロウキャバーブ
皿に乗せられて出されたタフ・ディーグ

イラン料理の主食はナーン(nān)であり、一般家庭でナーンが焼かれることはあまり無く、専門の店舗やスーパーマーケットでナーンが購入されている[17]。ナーンには様々な種類があり、細長い三角形のサンギャク、紙のように薄いラヴァーシュ、堅く厚みがあるバルバリーなどがある。家庭でピザを作る場合、バルバリーなどのナーンがピザの生地に代用されることもある[18]菓子パンもナーンに分類されるが、「ナーネ・ファーンテズィー」と呼ばれて他のナーンとは区別される[17]

イランではも食べられており、主に長粒種が栽培されている[19][17][20]。イランの国土の大部分を占める乾燥地帯では小麦粉から作られるナーンが主食とされていたが、20世紀末からイランでの米の消費量が増加している[21]。イランの経済発展に伴って米食の消費は増加し、ギーラーン州とマーザンダラーン州が主要な米の産地となっている[20]

イラン料理での米の調理法は湯取りによるābkeshと、炊き干しによるカテ(kate)の2種類があり、「チェロウ(chelo)」はābkeshで調理された白米、あるいは調理された白飯全般を指して使われる[22]。米はチェロウとカテ以外に、もてなしの料理である炊き込みご飯のポロウ(polo、ピラフ)などに調理して供される。キャバーブ(串焼きの羊肉)にチェロウを添えたチェロウキャバーブはイランの代表的なファーストフードとして知られ、専門の店(チェロウキャバービー)で出される[23]。チェロウを作る際にできたお焦げタフ・ディーグ、tahdig、「鍋の底」の意)は、来客者をもてなす時に出される[3][19][17]。より美味しいタフ・ディーグを作るため、チェロウを炊き上げる時にラヴァーシュなどの薄いナーンを鍋底に敷くなどの工夫がされている[19]

イランではハーブとライムで風味を付けたのシュルバも食される。また、サフランライスのプディング(sholezard)などの米を使ったデザートも作られている。

イランのサンドイッチ(サンドゥヴィーチ)は、コッペパンフランスパンの中身をくりぬいて具を詰めるスタイルが採られている。具にはソーセージハムスパゲッティ、羊の脳、野菜などが用いられ、店でサンドゥヴィーチを頼む時には自分の好みの具を注文する[17]

シチュー、スープ

[編集]
アーシュ

イランの家庭では肉を柔らかく調理するため、長時間煮込む料理法が行われる[24]。煮込み時間の目安として「羊肉は3時間、牛肉は5-6時間煮込むのが望ましい」という言葉がある[24]。前述のアーブグーシュトのほか、イランの代表的な家庭料理であるホレシュト(khoresh、ホレシュ、シチュー)がイラン料理における煮込み料理として挙げられる。ホレシュトの食材には肉、ナスセロリなどが使われ、料理にはメインとなる食材の名前が付けられる[19]。ホレシュトはチェロウの副菜とされ[3]、ナスと羊肉を使ったホレシュテ・バーデンジャーン[3]と肉とレンズマメを使ったホレシュテ・ゲイメは[25]一般的な家庭料理となっている。ニワトリ、シチメンチョウ、野ガモなどの肉をすり潰したクルミとペースト状のザクロと一緒に煮込んだフェセンジャーン(Fesenjān)は、宴席やパーティーで出されるご馳走である。

イラン料理のスープ(スーペ)の種類は少ない[26]。スープの一種アーシュ(āsh)は家庭で作られるほか、町中の屋台でも販売されている。

これらの料理の中には干しレモンを使うものもある。

間食、菓子類

[編集]

午前の間食はチャシト、午後の間食はアスラネ、夕食後から就寝前の間にとる間食はシャブチェレという。チャシトでは主に果物、ビスケット、牛乳が食される[15]。アスラネでは紅茶、牛乳、ジュースケーキ、ビスケットなどが食されるが、下町ではチーズやジュージェキャバーブなどの軽食をとることもある[15]

乾燥させたカボチャヒマワリの種に軽く塩を振って煎ったトフメ、ドライフルーツとナッツ類の詰め合わせであるアジル(ajiel)は、手軽な軽食として好まれる[15]小麦デンプンから作るイラン独自の冷菓ファールーデ(パールーデ、pālūde)は、ライム汁やバラの香りを付けたシロップをかけて食べる。ヨーグルト(マースト、māstもしくはmaast)は多くの場合料理の添え物として供され、甘味は付けないことが多い[17]。ヨーグルトにチーズやハーブを合わせたディップ(māst-o panir-o sabzi)は、ナーンや野菜に付けて食される[27]

飲料

[編集]
ボトルに詰められたドゥーグ

イランでは一般的に紅茶が飲まれ、イラン人は2-3歳のころから紅茶を飲み始める[15]。茶葉をヤカンに入れて煮出す方法が取られ[28]、サモヴァル(サモワール)で沸かされる[15]。紅茶を入れるカップとして、ガラス製のグラスが使われることが多い[29]。最初にガンドという固い砂糖の塊を口に含み、その後で茶を口に入れるのがイランの伝統的な紅茶の飲み方である[28][29]ハーブティーも愛飲されており、香料の一種であるバラ水はガムシロップと氷水で割って飲まれている[30]

紅茶のほかに、コーヒーも飲まれている。飲食店で出されるコーヒーは多くの場合ネスカフェであり、価格も紅茶に比べて2倍近く高い[31]。レストランでは注文した料理と共に飲料(ヌーシャーベ)が出され、甘味が強く炭酸の弱いイラン製のコーラが添えられることが多い[5]。イラン独特の飲料であるドゥーグ(dūgh)はヨーグルトを水や炭酸で割った飲料であり、塩とミントで味付けされている。

過去のイランは良質のワインの産地として知られ、シーラーズのワインが特に有名だった[1]。宗教的戒律(ハラール)による飲食物の制限が比較的緩かったイラン革命前は、マシュハドコムなどの宗教都市を除いた町で酒類が販売されていた[28]。革命後はイランへのアルコール類の持ち込みは禁止されたが、それでも陰で酒類は出回っており、密造酒も作られている[11]

地方料理

[編集]

イラン各地には多種多様の食文化が存在する[16]

ギーラーン地方の人間は自分たちの食文化に強い誇りを持ち、イランの他地域の人間もギーラーンの食文化を特別視している[16]。ギーラーン地方では米が主食とされ、魚類、牛肉、ニンニク、乳製品、野菜などが調理される[16]。かつてのギーラーン地方ではナーンは主食と見なされていなかったが、価格の低さとナーン屋の増加のため、ギーラーンでもナーンが普及した[32]。ギーラーンのジョークの定型句ではテヘランなどの内陸部の人間を「ナーンを食べる奴ら」と呼び、逆に内陸部の人間はギーラーンの人間を「魚の頭食い」などの文句で呼び返していた[33]

イラン北西部のアーザルバーイジャーン地方は、アーブグーシュトの本場だと言われている[16]

主な料理

[編集]
シーリーン・ポロウ
フェセンジャーン
クーフテ
ドルメ
  • ナーン
  • ポロウ
    • バーゲラー・ポロウ - ソラマメと香草を使ったポロウ
    • ルービヤー・ポロウ - 肉とインゲンマメのポロウ
    • シーリーン・ポロウ - オレンジの皮などが入った甘いポロウ
  • キャバーブ
  • イラン風ハンバーグ(kotlet) - 羊や牛のひき肉を使い、パン粉の代わりに茹でたジャガイモが使われる
  • rolete gusht - 刻んだゆで卵と香草をひき肉で包んで棒状に整形し、焼いた料理
  • タス・キャバーブ(tass kabab) - プルーンと野菜とラム肉の重ね煮
  • クーフテ
  • ドルメ(dolmeh)
    • ドルメ・エ・カラム(dolmeh ye kalam) - イラン風ロールキャベツ。米、豆類、タマネギなどが具にされる。
  • ホレシュト(ホレシュ、コレシュ)(en)
    • ホレシュテ・バーデンジャーン - ナスと羊肉のシチュー
    • ホレシュテ・ゲイメ - 肉とレンズマメのシチュー
    • ホレシュテ・ゴルメ・サブズィー - 肉と香味野菜のシチュー
    • ホレシュ・エ・マースト(khoresh-e māst) - ヨーグルトとミートボールのホレシュ。元々はエスファハーン(イスファハーン)の郷土料理だった。
  • マヒイェ・トゥポル(mahi-ye tupor) - 白身魚のハーブとベリーの挟み焼
  • マヒバ・ポルトガル(mahi ba Porteghal) - 白身魚のオレンジサフランソース添え
  • アーブグーシュト
  • アーシュ(英語版)
  • ダル(dal) - トマトを使った豆のカレー
  • ミルザ・ガセミ(mirza ghasemi) - カスピ海沿岸部の郷土料理である、焼きナスとトマトの卵とじ。
  • メイグピヤズ(maygu piyaz) - ペルシア湾沿岸部の郷土料理である、小タマネギとエビのタマリンドソース煮。エビにはスパイスで下味が付けられる。
  • サラーデ・オリヴィエ - パーティーで供されることが多いポテトサラダ。型に入れて成型される[34]
  • サラーデ・アンジル - イチジクのサラダ
  • ハルワ(halwā) - バターで溶いた小麦粉を砂糖水で煮詰めて作る伝統的な菓子
  • ラヴァシャキ - ザクロやアンズなどの果実を煮詰めて引き延ばしたものを乾燥させた菓子
  • ナーン・ブレンチ(nān berenji) - ライスクッキー
  • シー・ブレンチ(shir berenji) - ライスプディング
  • ソハン・アサリ(sohan asali) - サフラン入りのタフィー(キャンディ
  • サマヌー
  • トールシ (en) - 野菜の漬物

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典』1、116-118頁
  2. ^ a b c ラハバ、長谷川『家庭で楽しむペルシャ料理』、5頁
  3. ^ a b c d e f 『世界の食べもの』合本5巻、64頁
  4. ^ a b c 『世界の食べもの』合本5巻、69頁
  5. ^ a b 上岡『イラン』、53頁
  6. ^ a b 上岡『イラン』、51頁
  7. ^ 上岡『イラン』、55頁
  8. ^ a b 上岡『イラン』、57頁
  9. ^ 『世界の食べもの』合本5巻、67頁
  10. ^ 上岡『イラン』、74頁
  11. ^ a b c 上岡『イラン』、76頁
  12. ^ 上岡『イラン』、77頁
  13. ^ ラハバ、長谷川『家庭で楽しむペルシャ料理』、19頁
  14. ^ ラハバ、長谷川『家庭で楽しむペルシャ料理』、53頁
  15. ^ a b c d e f g 川本「自然の恵み、イランのおやつ」『vesta』56号、30-32頁
  16. ^ a b c d e 佐藤「地方料理文化と現代の食生活」『地域文化研究』3、86頁
  17. ^ a b c d e f 岡田、北原、鈴木『イランを知るための65章』、357-360頁
  18. ^ 上岡『イラン』、63-64頁
  19. ^ a b c d 上岡『イラン』、61頁
  20. ^ a b 中濱基博, 「現代イランの食生活の変化 : 動物性タンパク源と米食の事例から」『大東アジア学論集』 6巻 p.19-22 2006年, 大東文化大学, ISSN 21859760
  21. ^ 佐藤「地方料理文化と現代の食生活」『地域文化研究』3、85頁
  22. ^ 佐藤「地方料理文化と現代の食生活」『地域文化研究』3、87,92頁
  23. ^ 上岡『イラン』、50頁
  24. ^ a b 森島聡「イラン料理 -実は豊富な地下資源の賜物?」『フィールドプラス』1号収録(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編, 2009年1月)、30-31頁
  25. ^ 上岡『イラン』、62-63頁
  26. ^ 上岡『イラン』、62頁
  27. ^ ラハバ、長谷川『家庭で楽しむペルシャ料理』、52頁
  28. ^ a b c 黒柳『イラン 栄光の過去と現在』、147-150頁
  29. ^ a b 『世界の食べもの』合本5巻、72頁
  30. ^ ラハバ、長谷川『家庭で楽しむペルシャ料理』、81頁
  31. ^ 上岡『イラン』、56頁
  32. ^ 佐藤「地方料理文化と現代の食生活」『地域文化研究』3、87-89頁
  33. ^ 佐藤「地方料理文化と現代の食生活」『地域文化研究』3、92頁
  34. ^ ラハバ、長谷川『家庭で楽しむペルシャ料理』、90頁

関連項目

[編集]
  • タジキスタン料理 - 歴史・文化的な接点が存在し、イラン国内においても一般的なものとして広まっている

参考文献

[編集]
  • 岡田恵美子、北原圭一、鈴木珠里編著『イランを知るための65章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2004年9月)
  • 上岡弘二編『イラン』(暮らしがわかるアジア読本, 河出書房新社, 1999年9月)
  • 黒柳恒男『イラン 栄光の過去と現在』(泰流社, 1975年6月)
  • 佐藤秀信「地方料理文化と現代の食生活」『地域文化研究』3収録(東京外国語大学地域文化研究科, 2000年)
  • モアゼニ・川本・純子「自然の恵み、イランのおやつ」『vesta』56号収録(味の素食の文化センター, 2004年)
  • レザ・ラハバ、長谷川朝子『家庭で楽しむペルシャ料理』(河出書房新社, 2009年9月)
  • 『世界の食べもの』合本5巻(週刊朝日百科, 朝日新聞社, 1984年3月)
  • 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典』1(石毛直道他監訳, 朝倉書店, 2004年9月)