イリソ電子工業
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒222-0033 神奈川県横浜市港北区新横浜二丁目13番地8 |
設立 | 1966年12月16日 |
業種 | 電気機器 |
法人番号 | 1020001053696 |
事業内容 | 多極コネクタの製造、販売 |
代表者 | 鈴木 仁(代表取締役社長) |
資本金 | 56億40百万円 |
売上高 |
連結:422億48百万円 (2018年3月期) |
純資産 |
連結:492億83百万円 (2018年3月) |
総資産 |
連結:600億83百万円 (2018年3月) |
従業員数 |
連結:3,137名 単独:493名 (2022年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
日本トラスティ・サービス信託銀行 11.13% (有)エス・エフ・シー 10.05% 佐藤 定雄 8.50% (2018年3月31日現在) |
外部リンク | https://www.irisoele.com/ |
イリソ電子工業株式会社(イリソでんしこうぎょう、英: IRISO Electronics Co.,Ltd.)は、神奈川県横浜市港北区に本社を置くコネクタ、ソケットなどを製造、販売する日本の企業である。東京証券取引所第一部上場[1]。
国内に加えて中国やベトナム、フィリピンに生産拠点を構える[2][1]。
沿革
[編集]創業に至るまで
[編集]創業者である佐藤定雄は、1937年(昭和12年)12月5日に秋田県平鹿郡浅舞町(後の平鹿町、現・横手市)で出生[3]。三人兄弟の末っ子として誕生し、父・松四郎は農家の次男であり、平鹿郡睦合村(後の十文字町、現・横手市)出身の母・チヨと結婚してからは、佐藤家の田んぼで農業を営んでいたが、病気により早世した[3]。
定雄は睦合小学校[4]、睦合中学校[5]を経て、雄物川高等学校に進学[6]。高校卒業後は東京都墨田区の皮革工場に住み込みで勤めた[7]。昭和30年代前半になるとテレビが普及し始め、電機業界に将来性を感じた定雄は[8]、1957年(昭和32年)にテレビのチューナーを製造する電機会社に入社[9]。定雄が24歳の頃、勤めていた電機会社が倒産したため、日本酒用のホーロータンクを製造・販売する会社に入社[10]。
定雄が以前勤めていた電機会社は倒産しているが、埼玉県狭山市にある子会社が存続しており、1963年(昭和38年)に現在の会社の前身となる[11]「佐藤製作所」を起業すると、狭山市の元子会社にテレビのチューナーの組み立てを受注した[12]。
その後事業は拡大し、1966年(昭和41年)12月に現在の会社に当たる「イリソ電子工業株式会社」が設立された[13]。社名の「イリソ」とは、初めて仕事を受注した会社が埼玉県狭山市の入曽(いりそ)にあったことに由来する[11][14]。
下請け工場からの脱却
[編集]創業当時から、テレビのチューナーステレオ用の基板を組み立てる下請け工場として操業を続けていたが、下請け工場では発注元メーカーの影響を強く受け、過酷な労働を強いられることもあれば、突然仕事が途絶えることもあった[11]。そこで、自らで製造を行うメーカーになることを目指し、基板実装の業務をする中で、基盤の部品を組み立てたコネクタの作業性の良さに気づき、コネクタのメーカーを目指すことになった[14][11]。ただ、すぐにコネクタを製造することはできなかっため、1975年(昭和50年)にはコネクタの骨格となるピンヘッダーの製造に漕ぎ着け、1977年(昭和52年)に本社と工場を神奈川県神奈川県川崎市高津区へ移転した[15]。簡易的なコネクタを製造できるようになったのは昭和50年代半ばで[16]、その後は徐々にコネクタメーカーとして技術力を高めていった。
年表
[編集]以下、注釈の無い項目は学校の公式サイトの情報によるもの[17]。
- 1966年12月 - 神奈川県川崎市にイリソ電子工業株式会社を設立。
- 1977年5月 - 神奈川県川崎市高津区に本社移転。
- 1978年12月 - シンガポールに現地法人(IRS(S)PTE. LTD.)を設立。
- 1993年6月 - 中国・上海市に現地法人(上海意力速電子工業有限公司)を設立。
- 1994年
- 1996年1月 - フィリピン・カヴィテ州に現地法人(IRISO ELECTRONICS PHILIPPINES, INC.)を設立。
- 1998年6月 - 神奈川県川崎市高津区に株式会社イリソコンポーネントを設立。
- 1999年
- 10月 - シンガポール・トゥアスに現地法人(IRISO ELECTRONICS SINGAPORE PTE., LTD.)を設立。
- 11月 - 香港に現地法人(IRISO ELECTRONICS (HONG KONG) LIMITED.)を設立。
- 2000年
- 2002年1月 - シンガポールの現地法人であるIRS(S)PTE., LTD. にIRISO ELECTRONICS SINGAPORE PTE., LTD. を統合。
- 2003年3月 - タイ・バンコクに現地法人(IRISO ELECTRONICS (THAILAND) LTD.)を設立。
- 2004年8月 - アメリカ現地法人(IRISO U.S.A., INC.)をミシガン州デトロイトに移転。
- 2006年11月 - ベトナム・ハノイに現地法人(IRISO ELECTRONICS VIETNAM CO.,LTD)を設立。
- 2007年5月 - イリソテクノロジーパークが竣工し、現在地に本社移転。
- 2008年8月 - 中国・上海市に意力速(上海)電子技術研発有限公司を設立。
- 2016年6月 - 東京証券取引所第一部に市場変更。
- 2018年4月 - 中国・南通市に現地法人(南通意力速電子工業有限公司)を設立。
- 2025年4月 - 国内2箇所目の生産拠点として、秋田県横手市の横手第二工業団地に秋田工場を開設[1][18][2]。〈予定〉
脚注
[編集]- ^ a b c 「横浜のコネクター製造会社、横手に工場 雇用200人目指す」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2022年3月3日。オリジナルの2022年3月3日時点におけるアーカイブ。2024年9月28日閲覧。
- ^ a b "新工場用地取得に伴う立地協定書の締結に関するお知らせ" (PDF) (Press release). イリソ電子工業株式会社. 2 March 2022. 2024年9月28日閲覧。
- ^ a b 「時代を語る・佐藤定雄(2)父早世、必死に働く母」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月2日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(5)初めて見る海に感動」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月5日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(6)兄のおかげで高校へ」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月6日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(7)養われた開拓の精神」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月7日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(10)理想の職場を求めて」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月10日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(11)先輩の厚意に救われ」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月11日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(12)労組の過激化で暗転」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月12日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(13)チャンス訪れ起業へ」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月13日。2024年9月28日閲覧。
- ^ a b c d 「時代を語る・佐藤定雄(1)仲間と死に物狂いで」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月1日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(14)起業、甘かった見通し」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月14日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(18)部品が光って見えた」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月19日。2024年9月28日閲覧。
- ^ a b “コネクタを通して、人間の創造性を一段と発揮できる社会づくりを――イリソ電子工業株式会社”. ZUU online (2021年10月13日). 2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(22)勝負の一手、海外進出」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月23日。2024年9月28日閲覧。
- ^ 「時代を語る・佐藤定雄(23)茨城に国内生産拠点」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年3月24日。2024年9月28日閲覧。
- ^ “会社沿革”. 企業情報. イリソ電子工業株式会社. 2024年9月28日閲覧。
- ^ 「イリソ電子工業、秋田に新工場 25年春操業開始」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2022年3月2日。2024年9月28日閲覧。