インドネシアのファーストレディ・ファーストジェントルマン

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インドネシア
ファーストレディ・ファーストジェントルマン
現職者
イリアナ英語版

就任日 2014年10月20日
呼称Mrs. Widodo
庁舎ムルデカ宮殿 (公式)
イスタナ・ネガラ英語版
ボゴール宮殿
タンパクシリン宮殿英語版
ゲドゥン・アグン英語版
チナパス宮殿英語版
所在地ジャカルタ
任期5年
初代就任ファトマワティ英語版 (ファーストレディ)
タウフィック・キマス英語版 (ファーストジェントルマン)
創設1945年8月18日
ウェブサイトwww.presidenri.go.id

インドネシアファーストレディ: Ibu Negara)またはファーストジェントルマン: Bapak Negara)は、大統領の配偶者(妻または夫)を指す。インドネシアの憲法英語版においては大統領の配偶者について何ら言及がないものの、インドネシアの社会において多大な影響力を持ち続けている。

現任者はジョコ・ウィドド大統領の夫人イリアナである。また、メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ大統領の夫タウフィック・キマスが現在までで唯一のファーストジェントルマンとなっている[1]

歴史[編集]

インドネシアの慣習において、ファーストレディ(: Ibu Negara)の役割が最初に制定された時期については不明である。初代大統領スカルノは、1945年8月に就任した時点で3人目の妻ファトマワティ英語版と結婚しており、その後、1953年7月にハルティニインドネシア語版とも結婚した。ハルティニはボゴール宮殿に居住し、スカルノの国内の公務と外遊に同行した[2]。大統領の在任中、スカルノは別の5人の女性と結婚したが、ファトマワティがファーストレディとして扱われていた。

スハルトの妻シティ・ハルティナ英語版は、1996年4月に死去するまでファーストレディを務め、彼女の長女シティ・ハルディヤンティ・ルクマナ英語版(トゥトゥット)が、1998年まで母の代理人を務めた。また、彼女は1998年3月から5月まで社会問題省の大臣を務めた。

存命の元ファーストレディ・ファーストジェントルマン[編集]

歴代のファーストレディ・ファーストジェントルマン[編集]

代数 画像 在任期間 大統領
1 Portrait of Fatmawati ファトマワティ英語版 1945年8月18日

1967年3月12日
スカルノ
2 Portrait of Siti Hartinah シティ・ハルティナ英語版 1967年3月12日

1996年4月28日
スハルト
3 ハスリ・アイヌン・ベサリ英語版 1998年5月21日

1999年10月20日
ユスフ・ハビビ
4 シンタ・ヌリヤ英語版 1999年10月20日

2001年7月23日
アブドゥルラフマン・ワヒド
5 タウフィック・キマス英語版 2001年7月23日

2004年10月20日
メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ
6 アニ・ユドヨノ英語版 2004年10月20日

2014年10月20日
スシロ・バンバン・ユドヨノ
7 イリアナ英語版 2014年10月20日

在任
ジョコ・ウィドド

脚注[編集]

  1. ^ Sepeninggal Taufiq Kiemas ("After Taufiq Kiemas"), tokohindonesia.com, 19 June 2013. Accessed 1 June 2019.
  2. ^ Sitompul, Martin. Hartini, First Lady yang Tak Diakui ("Hartini, the Unrecognized First Lady"). Historia.id, 20 April 2018. Accessed 1 June 2019.

関連項目[編集]