アニ・ユドヨノ
アニ・ユドヨノ Ani Yudhoyono | |
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2009年のアニ | |
任期 | 2004年10月20日 - 2014年10月20日 |
元首 | スシロ・バンバン・ユドヨノ |
先代 | タウフィック・キマス |
次代 | イリアナ |
個人情報 | |
生年月日 | 1952年7月6日 |
出生地 |
インドネシア ジョグジャカルタ市 |
没年月日 | 2019年6月1日(66歳没) |
死没地 |
シンガポール ケントリッジ |
配偶者 |
スシロ・バンバン・ユドヨノ(結婚 1976年) |
子女 |
アグス・ハリムルティ・ユドヨノ エディ・ユドヨノ |
政党 | 民主党 |
クリスティアニ・へラワティ・ユドヨノ(インドネシア語: Kristiani Herrawati Yudhoyono, 1952年7月6日 - 2019年6月1日)は、インドネシアの政治活動家、女性活動家。第6代インドネシア大統領スシロ・バンバン・ユドヨノの妻である。
経歴
[編集]インドネシア・ジョグジャカルタ市でサルウォ・エディ・ウィボウォとスナルティ・スリ・ハディヤの間に、7人兄弟の3番目として誕生する[1]。1973年、アニは私立クリスチャン大学の医学生になったが、3年目に父が駐韓国大使に任命されたため従った。
その後、1976年にスシロ・バンバン・ユドヨノと結婚した。その後、アニはテルブカ大学で学び続け、1998年に政治学の学士号を取得して卒業した。アニの政治活動には、民主党の副議長就任が含まれ、2001年の民主党創設時には、指導的立場にあった。2004年、夫のインドネシア共和国大統領選挙当選のために選挙運動を展開した。それ以前は、アブドゥルラフマン・ワヒドとメガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリの下で夫が大臣を務めていた間、さまざまな女性社会団体で活動していた。
夫が大統領に選出された後、アニはポリオ予防接種キャンペーンや[2]、子どもたちに本を読んでもらうためにバンに本を満載するモビル・ピンタールを組織した。2007年、ニューギニア島の希少な蝶に彼女の名前が付けられ、アニが博物館に寄贈したチョウ「Delias kristianiae」の標本が贈られた[3]。
2013年、インドネシアとオーストラリアの間で起きた騒動の一環として、オーストラリアの諜報機関がアニの携帯電話を盗聴していたことが発覚し[4]、同年12月にはアメリカ外交公電ウィキリークス流出事件の中でアニが言及され、政治問題に関して夫に積極的に影響を与えていると非難された。
アニは2019年6月1日朝、シンガポールの国立大学病院で約4ケ月間治療を受けた後、白血病のため66歳で死去した[5]。
遺骨は同日夜、シンガポールのパヤレバー空軍基地から東ジャカルタ市のハリム・ペルダナクスマ国際空港に空輸された。翌日、西ジャワ州チケアスの自宅で葬儀が執り行われ、同日午後には南ジャカルタ市のカリバタ英雄墓地に埋葬された。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Garda Maeswara (2009) (インドネシア語). Biografi politik Susilo Bambang Yudhoyono. Penerbit Narasi. p. 205. ISBN 9789791681759
- ^ “Ibu Negara Beri Vaksin Polio Pertama” (インドネシア語). Tempo. (28 June 2005) 1 June 2019閲覧。
- ^ Rare butterfly species named after Indonesian first lady Archived 27 July 2014 at the Wayback Machine.. The Daily Star. 14 November 2007
- ^ Wright, Jessica (21 November 2013). “Phone tapping SBY's wife 'the last straw'” (英語). The Sydney Morning Herald 1 June 2019閲覧。
- ^ Dyaning Pangestika (1 June 2019). “Former first lady Ani Yudhoyono passes away at 67”. The Jakarta Post 1 June 2019閲覧。