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ウィンストン・ミラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Winston Miller
ウィンストン・ミラー
生誕 (1910-06-22) 1910年6月22日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 セントルイス
死没 1994年6月21日(1994-06-21)(83歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ロサンゼルス
職業 脚本家、映画プロデューサー、俳優
活動期間 1922–1974
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ウィンストン・ミラーWinston Miller1910年6月22日 - 1994年6月1日)は、アメリカ合衆国脚本家、映画プロデューサー、俳優

経歴

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ミズーリ州セントルイスの生まれ。姉は女優のパッツィ・ルース・ミラー

12歳で子役としてデビュー。1922年から1929年にかけて『アイアン・ホース』(1924年)など11本の映画に出演。

映画界から離れプリンストン大学で学んだ後、ハリウッドに戻り脚本家となる[1]。最初はリパブリック・ピクチャーズ連続活劇短編映画を担当[2]1939年デヴィッド・O・セルズニックと契約し、『風と共に去りぬ』の脚本に参加[2]。他に、ジョン・ヴァン・ドルーテン、チャールズ・マッカーサー、ジョン・L・ボルダーストン、 マイケル・フォスター、エドウィン・ジャスティス・メイヤー、F・スコット・フィッツジェラルドらもいたが[3]、クレジットされたのはシドニー・ハワードひとりだけだった。

第2次世界大戦中は海兵隊に所属。終戦後、『荒野の決闘』(1946年)、『勇魂よ永遠に』(1950年)などの脚本を執筆。

テレビに活躍の場を移し、『ガンスモーク』(1956年)、『ローハイド』(1959年-1962年)などの脚本を担当。さらに、プロデューサーとして『鬼警部アイアンサイド』(1969年-1972年)『探偵キャノン』(1973年-1974年)『大草原の小さな家』(1974年)などを作る。

モーションピクチャー&テレビジョン基金および全米脚本家組合委員、Permanent Charities Committee議長(1966年)などを歴任[2]

1994年、心臓発作でロサンゼルスで死去[2]

おもなフィルモグラフィ

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出演

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脚本

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製作

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出典

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  1. ^ “Winston Miller, 83; Produced TV Series”. The New York Times. (1994年6月25日). https://www.nytimes.com/1994/06/25/obituaries/winston-miller-83-produced-tv-series.html 2020年4月24日閲覧。 
  2. ^ a b c d “Winston Miller; Screenwriter, Producer”. Los Angeles Times. (1994年6月25日). https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1994-06-25-mn-8213-story.html 2020年4月24日閲覧。 
  3. ^ Bartel, Pauline (2014). The Complete Gone With the Wind Trivia Book: The Movie and More. Taylor Trade Pub. p. 60. ISBN 978-1589798205 

外部リンク

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