コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウォルター・デイビス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウォルター・デイビス
Walter Davis
引退
ポジション SG/SF
基本情報
愛称 Greyhound
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1954-09-09) 1954年9月9日
没年月日 (2023-11-02) 2023年11月2日(69歳没)
出身地 ノースカロライナ州パインビル
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ノースカロライナ州シャーロット
身長(現役時) 198cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 87kg (192 lb)
キャリア情報
出身 ノースカロライナ大学
ドラフト 1977年 5位
永久欠番 サンズ  6 
選手経歴
1977-1988
1988-1991
1991
1991-1992
フェニックス・サンズ
デンバー・ナゲッツ
ポートランド・トレイルブレイザーズ
デンバー・ナゲッツ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1976 モントリオール バスケットボール

ウォルター・ポール・デイビス(Walter Paul Davis、1954年9月9日 - 2023年11月2日)は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長198cm、体重87kg。ポジションはシューティングガード及びスモールフォワード

NBAフェニックス・サンズなどで活躍し、オールスターに6度出場した。1976年モントリオール五輪金メダリスト。

経歴

[編集]

学生時代

[編集]

デイビスはノースカロライナ州パインビルで13人兄弟の末っ子として生れた。高校時代にはチームを3度の州タイトル獲得に導き、在学中僅か4敗しかしなかった。奨学金を得て名門ノースカロライナ大学に進学し、名将ディーン・スミスのもとでスター選手として活躍した。3年次の1976年、モントリオール五輪アメリカ代表に選ばれて金メダルを獲得した。最終学年時にはフィル・フォードとともにチームをNCAAトーナメント決勝に導いたがマーケット大学に敗れた。大学4年間の成績は平均15.7得点3.4アシストである。

プロキャリア

[編集]

1977年、デイビスはNBAドラフト全体5位でフェニックス・サンズに入団した。1年目からリーグ9位の平均24.2得点をあげる大活躍を見せ、新人王オールルーキー1stチーム選出に加えて、新人としては異例となるオールスターオールNBA2ndチームにも名を連ねた。翌1978-79シーズンにはポール・ウェストファルらとともにチームをプレーオフのカンファレンス決勝に導き、自身も平均23.6得点の好成績で2年連続のオールスター、オールNBA2ndチーム選出を果たした。デイビスはサンズに在籍した11年間でシーズン平均20得点とオールスター出場を6度ずつ達成し、球団史上1位となる通算15,666得点を記録した。この間チームは8年連続でプレーオフに進出したが、ファイナルにたどり着くことはなかった。

デイビスは1980年代後半から背中の故障と薬物依存症に苦しめられるようになり、コカイン中毒の治療のためリハビリ施設に2度入所した。1987年には自身の起訴免除と引換えに、サンズの他の選手の違法薬物使用について証言するよう要請されている。コート上では依然として安定した成績を残していたものの、これらの行状を鑑みたサンズの首脳部は、1988年の契約更改時に年俸の大幅減を提示した。このためデイビスは契約を破棄してフリーエージェントとなり、デンバー・ナゲッツと契約を結んだ。

デイビスはナゲッツで主力として2シーズン半プレーした後、1991年に3チーム間のトレードの一環としてポートランド・トレイルブレイザーズに移籍したが、出場時間は大幅に減少した。シーズン終了後再びナゲッツに戻って1シーズンプレーし、1992年に現役を引退した。

NBAでの成績は、1,033試合の出場で通算19,521得点3,878アシスト(平均18.9得点3.8アシスト)であった。

その後

[編集]

引退後、デイビスは古巣ナゲッツの実況放送やワシントン・ウィザーズのスカウトを務めた。1994年、デイビスの背番号『6』がサンズの永久欠番に指定された。

2023年11月2日早朝にシャーロットで死去。69歳没[1]

人物・エピソード

[編集]

個人成績

[編集]

レギュラーシーズン

[編集]
Season Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1977–78 PHO 81 32.0 .526 .830 6.0 3.4 1.4 0.2 24.2
1978–79 79 30.8 .561 .831 4.7 4.3 1.9 0.3 23.6
1979–80 75 30.8 .563 .000 .819 3.6 4.5 1.5 0.3 21.5
1980–81 78 28.0 .539 .412 .836 2.6 3.9 1.2 0.2 18.0
1981–82 55 12 21.5 .523 .188 .820 1.9 2.9 0.8 0.1 14.4
1982–83 80 79 31.1 .516 .304 .818 2.5 5.0 1.5 0.2 19.0
1983–84 78 70 32.6 .512 .230 .863 2.6 5.5 1.4 0.2 20.0
1984–85 23 9 24.8 .450 .300 .877 1.5 4.3 0.8 0.0 15.0
1985–86 70 62 32.0 .485 .237 .843 2.9 5.2 1.4 0.0 21.8
1986–87 79 79 33.5 .514 .259 .862 3.1 4.6 1.2 0.1 23.6
1987–88 68 48 28.7 .473 .375 .887 2.3 4.1 1.3 0.0 17.9
1988–89 DEN 81 0 22.9 .498 .290 .879 1.9 2.3 0.9 0.1 15.6
1989–90 69 0 23.7 .481 .130 .912 2.6 2.2 0.9 0.1 17.5
1990–91 39 13 26.8 .474 .303 .915 3.2 2.2 1.6 0.1 18.7
POR 32 1 13.7 .446 .333 .913 1.8 1.3 0.6 0.0 6.1
1991–92 DEN 46 0 16.1 .459 .313 .872 1.5 1.5 0.6 0.0 9.9
Career 1,033 373 27.9 .511 .272 .851 3.0 3.8 1.2 0.1 18.9
All-Star 6 1 18.2 .455 1.000 1.000 3.3 2.5 1.2 0.0 9.8

プレーオフ

[編集]
Year Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1978 PHO 2 33.0 .475 .750 8.5 4.0 1.5 0.0 25.0
1979 15 32.7 .520 .813 4.6 5.3 1.7 0.3 22.1
1980 8 30.6 .504 .000 .737 2.9 4.4 0.5 0.1 20.8
1981 7 28.4 .481 .000 .588 2.7 3.1 1.0 0.1 16.0
1982 7 24.7 .448 .333 .917 3.1 4.3 0.7 0.1 18.1
1983 3 37.7 .435 .500 .810 5.0 4.3 2.0 1.7 26.0
1984 17 36.6 .535 .273 .897 2.7 6.4 1.7 0.2 24.9
1989 DEN 3 0 31.3 .517 .000 1.000 1.7 1.3 1.0 0.0 25.7
1990 3 0 23.3 .400 .000 1.000 3.0 2.0 0.3 0.0 14.0
1991 POR 13 0 8.5 .396 .000 .833 1.2 0.5 0.3 0.0 3.3
Career 78 0 28.0 .496 .192 .830 3.1 4.0 1.1 0.2 18.6

脚注

[編集]
  1. ^ Legendary Tar Heel Walter Davis Passes Away At Age 69” (英語). University of North Carolina Athletics (2023年11月2日). 2023年11月3日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]