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エステバン・ジャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エステバン・ジャン
Esteban Yan
オリオールズ時代、マイナー春季キャンプにて
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 エル・セイボ州カンピナ
生年月日 (1975-06-22) 1975年6月22日(49歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
255 lb =約115.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 アマチュア・フリーエージェントとしてアトランタ・ブレーブスと契約
初出場 MLB / 1996年5月20日
NPB / 2007年4月3日
KBO / 2008年
最終出場 MLB / 2006年7月6日
NPB / 2007年8月21日
KBO / 2008年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

エステバン・ルイス・ジャンEsteban Luis Yan, 1975年6月22日 - )は、ドミニカ共和国エル・セイボ州カンピナ出身の元プロ野球選手投手)。

NPBでの登録名はスペイン語での発音から「ジャン」とされた[1]が、メジャー球団所属時代は英語読みの「ヤン」(発音:YAHN[2]と発音され[3]、日本のマスメディアにおいてもMLB球団所属時代にはヤンと表記されていた。

NPB時代にシーズン最多ボークの記録(12回)を持っている。

経歴

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プロ入り前

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高校時代に、ドミニカのカープアカデミー外野手として野球を始めた。

MLB時代

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1990年アトランタ・ブレーブスと契約。ボルチモア・オリオールズに移籍後の1996年にメジャーデビュー。

1998年タンパベイ・デビルレイズに移籍し、2000年は20試合に先発してチームで2位の7勝を挙げた。同年6月4日の対ニューヨーク・メッツ戦でボビー・ジョーンズからメジャー初打席初本塁打を記録。

2001年からは抑えに転向して22セーブ、翌2002年も19セーブを挙げた。2001年・2002年は、後に阪神で再会することになるアンディ・シーツとチームメイトだった。

その後、テキサス・レンジャーズセントルイス・カージナルスデトロイト・タイガースロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムシンシナティ・レッズの各球団を渡り歩いた。

阪神時代

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2007年阪神タイガースに入団。契約金も含めると約3億円の大型契約で、阪神の新外国人投手としては最高額であった。2006年までのメジャーにおける通算打撃成績が「2打数2安打、1本塁打、1打点、1犠打」であったことから、入団時はライアン・ボーグルソンとともに打撃面でも注目を集めた。オープン戦でセーフティーバントをして一塁に全力疾走するという場面もあった。

キャンプでは直球と変化球での投球フォームの癖を見抜かれ改善を余儀なくされたが、4月3日の対東京ヤクルトスワローズ戦に先発し、来日初登板初勝利をマークした。4月24日の対ヤクルト戦で、アレックス・ラミレスの打球が顔面に直撃し出血。右あご裂傷で9針縫う大怪我を負ったが、骨には異常がなく長期離脱は免れた。

一方、投球直前のセット時にグラブを止められない癖があり、ボークが非常に多かった。5月8日の対読売ジャイアンツ戦では、球団史上初となる1イニング2度のボークを記録。8月21日の対ヤクルト戦では、日本新記録となるシーズン12ボーク目を記録。この判定の直後に、武内晋一に対して内角をえぐる投球を繰り返し、3球目が武内の頭部を直撃、危険球とみなされて退場処分となった。8月3日にも広島東洋カープ梵英心に対し、同様にボーク直後に死球を与えている前例があり、ヤクルトの古田敦也監督は「アンパイアに対してやっているんだろう」と指摘した。これがきっかけで翌22日に登録抹消となり、結局その後は二度と一軍に呼ばれることなくシーズンを終えた。11月12日に退団が発表され、11月19日付で自由契約公示された。

阪神退団後

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2008年ボルチモア・オリオールズと契約したが、傘下のAAAノーフォーク・タイズでの登板だけで、メジャー復帰はならなかった。その後7月20日に、不振により解雇されたケニー・レイの代役として韓国プロ野球SKワイバーンズと契約。リリーフとして起用されていたものの、不安定な面が隠せず韓国シリーズアジアシリーズの登録メンバーからは外れた。チームが元福岡ソフトバンクホークスクリストファー・ニコースキーと契約したこともあり、同年限りでSKを退団。

2009年独立リーグアトランティックリーグに加盟するブリッジポート・ブルーフィッシュメキシカンリーグモンテレイ・サルタンズでプレーした[4]

2010年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズで開幕を迎え、その後再びブリッジポートに移って8月17日に登録された[5]

2011年は、再びメキシカンリーグのラグナ・カウボーイズでプレーした後、再びブリッジポートに移って7月5日に登録された[6]

2012年はメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズに所属し、この年限りで現役を引退した。

選手としての特徴・人物

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193 cmの長身から最速158 km/hの速球を投げる速球派投手で、ツーシームスライダーカットボール、スライド気味・シュート気味など4種類のフォークボールを操る。

メジャー時代は合計3打席に立ち、本塁打と犠打、バント安打を記録し、通算打率は10割となっている[7]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1996 BAL 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 42 9.1 13 3 3 1 0 7 0 0 7 6 5.79 1.71
1997 3 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 58 9.2 20 3 7 0 2 4 1 0 18 17 15.83 2.79
1998 TB 64 0 0 0 0 5 4 1 8 .556 381 88.2 78 11 41 2 5 77 6 0 41 38 3.86 1.34
1999 50 1 0 0 0 3 4 0 7 .429 286 61.0 77 8 32 4 9 46 2 0 41 40 5.90 1.79
2000 43 20 0 0 0 7 8 0 3 .467 618 137.2 158 26 42 0 11 111 7 1 98 95 6.21 1.45
2001 54 0 0 0 0 4 6 22 0 .400 264 62.1 64 7 11 1 5 64 5 0 34 27 3.90 1.20
2002 55 0 0 0 0 7 8 19 0 .467 305 69.0 70 10 29 1 3 53 5 1 35 33 4.30 1.43
2003 TEX 15 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 110 23.1 31 5 7 1 2 25 5 0 19 18 6.94 1.63
STL 39 0 0 0 0 2 0 1 3 1.000 199 43.1 53 8 16 4 5 28 4 0 29 29 6.02 1.59
'03計 54 0 0 0 0 2 1 1 4 .667 309 66.2 84 13 23 5 7 53 9 0 48 47 6.34 1.61
2004 DET 69 0 0 0 0 3 6 7 11 .333 379 87.0 92 8 32 5 4 69 7 0 43 37 3.83 1.43
2005 LAA 49 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 293 66.2 66 8 30 4 0 45 5 0 36 34 4.59 1.44
2006 13 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 98 22.1 19 4 13 2 1 16 4 0 18 17 6.85 1.43
CIN 14 0 0 0 0 1 0 1 0 1.000 63 15.0 13 4 7 2 0 8 1 0 7 6 3.60 1.33
'06計 27 0 0 0 0 1 0 1 0 1.000 161 37.1 32 8 20 4 1 24 5 0 25 23 5.54 1.39
2007 阪神 21 21 0 0 0 6 5 0 0 .545 453 104.1 110 9 31 3 8 52 4 12 56 54 4.66 1.35
2008 SK 17 1 0 0 0 1 2 6 0 .333 118 29.1 24 1 8 0 0 17 2 1 7 7 2.15 1.09
MLB:11年 472 23 0 0 0 33 39 51 34 .458 3096 695.1 754 105 270 27 47 553 52 2 426 397 5.14 1.47
NPB:1年 21 21 0 0 0 6 5 0 0 .545 453 104.1 110 9 31 3 8 52 4 12 56 54 4.66 1.35
KBO:1年 17 1 0 0 0 1 2 6 0 .333 118 29.1 24 1 8 0 0 17 2 1 7 7 2.15 1.09
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤文字はNPBにおける歴代最高。

記録

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NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号

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  • 43 (1996年)
  • 56 (1997年)
  • 43 (1998年 - 2003年)
  • 59 (2004年 - 2006年)
  • 52 (2006年)
  • 92 (2007年)
  • 53 (2008年)

登場曲

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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