ダン・カールソン
アリゾナ・ダイヤモンドバックス コーチ #76 | |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オレゴン州ポートランド |
生年月日 | 1970年1月26日(54歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト33巡目 |
初出場 |
MLB / 1996年9月13日 NPB / 2000年3月31日 |
最終出場 |
MLB / 1999年6月23日 NPB / 2000年4月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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ダニエル・スティーブン・カールソン(Daniel Steven Carlson , 1970年1月26日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴
[編集]現役時代
[編集]1989年のMLBドラフトでサンフランシスコ・ジャイアンツから33巡目(全体856位)で指名され入団。
1992年にAA級シュリーブポート・キャプテンズで15勝、1993年はAAシュリーブポートとAAA級フェニックス・ファイヤーバーズの2球団合計で12勝、1994年はAAA級フェニックスで13勝と、先発投手として順調に結果を残していった[1]。1996年にAAA級フェニックスで13勝を挙げ、9月13日にメジャー初登板[2]。同月28日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャー初勝利[2]。
1997年11月のエクスパンジョンドラフトでタンパベイ・デビルレイズから指名され移籍[3]。1998年オフにFAとなった。
1999年はアリゾナ・ダイヤモンドバックスで2試合に登板した。
2000年に星野仙一率いる中日ドラゴンズに入団した。入団のきっかけは、同年に鳴り物入りで入団した捕手のディンゴが紹介し、彼の母国オーストラリアで入団テストを受けたためであった。開幕戦でいきなり初登板を果たしたが、その後はメルビン・バンチやエディ・ギャラードの活躍により外国人選手枠から外れ、二軍暮らしが続いた。その後、父が病気で倒れた事を理由に帰国。そのまま日本に戻る事無く、8月1日に奇しくもディンゴと同時に解雇された。中日退団後はダイヤモンドバックスに復帰した。
2001年にAA級エルパソ・ディアブロス、カージナルス傘下AAA級メンフィス・レッドバーズでプレーしたのを最後に現役を引退した。
現役引退後
[編集]2002年にダイヤモンドバックス傘下ルーキー+級ミズーラ・オスプレイで投手コーチとしてのキャリアをスタートさせ、その後も2013年までダイヤモンドバックス傘下でコーチを続けた[4]。その最初の教え子の中には後に読売ジャイアンツで活躍することになる山口鉄也や、当時アドリアーノ・ロサリオと名乗っていたトニー・ペーニャもいた。
2014年にダイヤモンドバックスのマイナー巡回のピッチングコーディネーターに就任[5]。2021年まで8年間務めた。
2022年にダイヤモンドバックスの投手コーチ補佐に就任した[6]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1996 | SF | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 46 | 10.0 | 13 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 6 | 3 | 2.70 | 1.50 |
1997 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 72 | 15.1 | 20 | 5 | 8 | 1 | 0 | 14 | 0 | 0 | 14 | 13 | 7.63 | 1.83 | |
1998 | TB | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 86 | 17.2 | 25 | 3 | 8 | 0 | 3 | 16 | 0 | 0 | 15 | 15 | 7.64 | 1.87 |
1999 | ARI | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 18 | 4.0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 9.00 | 1.25 |
2000 | 中日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 8 | 2.1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.86 |
MLB:4年 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 222 | 47.0 | 63 | 10 | 18 | 1 | 3 | 37 | 0 | 0 | 39 | 35 | 6.70 | 1.72 | |
NPB:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 8 | 2.1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.86 |
記録
[編集]- MLB
- 初登板:1996年9月13日、対ピッツバーグ・パイレーツ9回戦(3Comパーク)、8回表に3番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、9回表にジェイ・ベルから空振り三振
- 初勝利:1996年9月28日、対コロラド・ロッキーズ12回戦(クアーズ・フィールド)、5回裏に2番手で救援登板、3回2/3無失点
- NPB
- 初登板:2000年3月31日、対ヤクルトスワローズ1回戦(ナゴヤドーム)、9回表に3番手で救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:2000年4月4日、対読売ジャイアンツ1回戦(ナゴヤドーム)、8回表に村田善則から
背番号
[編集]- 29 (1996年 - 1997年)
- 46 (1998年、2000年)
- 43 (1999年)
- 76 (2022年 - )
脚注
[編集]- ^ MLB公式プロフィール参照。2023年4月12日閲覧。
- ^ a b “Dan Carlson 1996 Pitching Game Logs”. Baseball-Reference.com. 2023年4月12日閲覧。
- ^ “1997 Expansion Draft”. Tampa Bay Rays. MLB.com. 2023年4月12日閲覧。
- ^ [1]Dan Carlson - BR Bullpen
- ^ “Mobile BayBears pitching coach Dan Carlson promoted by Arizona Diamondbacks”. al.com (2013年12月12日). 2023年4月12日閲覧。
- ^ Steve Gilbert (2021年11月30日). “D-backs adopt new model for coaching”. MLB.com. 2023年4月12日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ダン・カールソン - NPB.jp 日本野球機構