エドガー・プラード
エドガー・プラード | |
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基本情報 | |
国籍 | ペルー |
出身地 | リマ |
生年月日 | 1967年6月12日(57歳) |
騎手情報 | |
初免許年 | 1983年 |
エドガー・プラード(Edgar S. Prado、1967年6月12日 - )はペルー・リマ出身のアメリカ合衆国で活躍していた騎手である。香港における名前の中文表記は「白艾嘉」。
来歴
[編集]1983年ペルーでデビュー。1986年アメリカに渡り、フロリダ州・ハリウッドに在住しながら、東海岸を中心に騎乗していた。2004年には史上19人目の5000勝を達成した、北アメリカを代表するジョッキーである。
2006年5月6日の第132回ケンタッキーダービーでは、バーバロに騎乗し2着のBluegrass Catに6馬身1/2差をつけ勝利。1946年の三冠馬アソールトの8馬身差に次ぐ圧勝劇だった。しかし2週間後のプリークネスステークスでバーバロは故障により競走中止。懸命な治療が行われたが2007年にペンシルベニア大学で安楽死の処置がとられる(詳細はバーバロを参照)。
その他の大レースでは、2002年と2004年にベルモントステークスで勝利しているが、いずれもアメリカ三冠を阻止している。2002年に騎乗したサラヴァはベルモントステークス史上最大の穴馬となり、単勝は71.25倍であった。2004年もバードストーンで、三冠を狙った人気馬スマーティージョーンズの勝利を阻んでいる。その後、プラードとバードストーンは、同年8月にサラトガ競馬場で行われたトラヴァーズステークスでも1着となっている。
2005年、プラードは初めてブリーダーズカップで勝利を収めた。フォークロアでブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズに勝ち、シルヴァートレインでブリーダーズカップ・スプリントに勝利している。
2006年、ニューヨーク競馬協会からマイク・ヴェネツィア記念賞を受賞し、9月24日にベルモントパーク競馬場のパドックでセレモニーが行われた。2008年2月10日、ガルフストリームパーク競馬場で全米で16人目となる通算6,000勝を達成した。同年4月21日、プラードはアメリカ競馬名誉の殿堂博物館の候補となり、8月4日に正式に殿堂入りとなった。
2023年1月6日ガルフストリームパーク競馬場でのレースが最後の騎乗となり、同年6月18日に「愛する家族と過ごす時間を大切にしたい」との理由で騎手生活からの引退を表明した[1]。
日本での騎乗
[編集]何度も来日をしており、日本の関係者にも知られている[2]。1993年、ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップのために来日し、日本での初騎乗を果たす。この時は5着が最高で11位に終わったが、翌1994年にも出場すると2勝を挙げて優勝を果たした。
ワールドスーパージョッキーズシリーズには2001年に初出場。2003年から2008年までは6年連続で出場している。最高成績は2008年の8位。
- JRA通算54戦2勝
主な勝鞍
[編集]- アッシュランドステークス(2005年シスシティ)
- アメリカンオークスインビテーショナルステークス(2007年パンティーレイド)
- ウッドワードステークス(2000年レモンドロップキッド)
- エイコーンステークス(2003年バードタウン)
- ガーデンシティハンデキャップ(2002年ワンダーアゲイン)
- クイーンエリザベス2世チャレンジカップステークス(2003年フィルムメーカー)
- ケンタッキーオークス(2003年バードタウン)
- ケンタッキーダービー(2006年バーバロ)
- コーチングクラブアメリカンオークス(2005年スマグラー、2006年ワンダーレディアンエル)
- サバーバンハンデキャップ(2000年レモンドロップキッド、2005年オフリーワイルド)
- サンタアニタハンデキャップ(2003年ミルウォーキーブルー)
- サンシャインミリオンズダッシュステークス(2003年ヴァリッドヴィデオ、2009年ディスワンズフォーフィル)
- シャドウェルターフマイルステークス(2002年ランドシーア、2003年パーフェクトソウル)
- ドバイゴールデンシャヒーン(2008年ベニーザブル)
- トラヴァーズステークス(2004年バードストーン)
- ハスケルインビテーショナルハンデキャップ(2003年ピースルールズ)
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ(2005年フォークロア)
- ブリーダーズカップ・ディスタフ(2006年ラウンドポンド)
- ブリーダーズカップ・スプリント(2005年シルヴァートレイン、2015年ランハッピー)
- フリゼットステークス(2001年ユー)
- ブルーグラスステークス(2002年ハーランズホリデー、2003年モンバ)
- フロリダダービー(2002年ハーランズホリデー、2006年バーバロ、2007年スキャットダディ)
- ベルモントステークス(2002年サラヴァ、2004年バードストーン)
- フューチュリティステークス(2002年ワイワイワイ)
- ホープフルステークス(2002年スカイメサ)
- マザーグースステークス(2005年スマグラー)
- マンノウォーステークス(2004年マジストレッティ、2006年カシーク)
- マンハッタンハンデキャップ(2006年カシーク)
- メートリアークステークス(2006年プライスタグ)
- メトロポリタンハンデキャップ(2006年シルヴァートレイン)
- ユナイテッドネイションズステークス(2004年リクエストフォーパロール)
- ワシントンDCインターナショナル(1991年リアリヴァ)
脚注
[編集]- ^ 米の殿堂入り名手エドガー・プラードが現役引退「家族と過ごす時間を大切したい」父の日に決断JRA-VAN world、2023年6月21日配信・閲覧
- ^ “米の殿堂入り名手エドガー・プラードが現役引退「家族と過ごす時間を大切したい」父の日に決断”. 日刊スポーツ (2023年6月21日). 2023年9月25日閲覧。