エドワード・ハム
獲得メダル | ||
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エドワード・ハム | ||
アメリカ合衆国 | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
金 | 1928 アムステルダム | 走幅跳 |
エドワード・ハム (Edward ("Ed" または "Eddie") Barton Hamm、1906年4月13日- 1982年6月25日)は、アメリカ合衆国・アーカンソー州出身の男子陸上競技選手。走幅跳の元世界記録保持者(7.90m、1928年)で、1928年アムステルダムオリンピックの金メダリスト。
経歴
[編集]高校時代
[編集]ハムは1906年にアーカンソー州ロノーク郡で、6人兄弟の長男として誕生した。子供のころからスポーツに秀で、特に陸上競技にその才能を発揮していた。高校時代(1923年から1925年)は、州大会の走幅跳で3連覇。2年生の時には7.06mの州記録を樹立している。さらに、220ヤード走も3連覇。また、100ヤード走も2度制している。ハムは、1年のときにマラリアに感染していながらこれだけの成績を残している。もし、感染していなかったらもっとよい記録を残していたのは間違いはなかった。
1925年には、アーカンソー大学で行われた高校選抜陸上大会に出場。この大会にロノーク郡からハムを含め2人しか参加しなかったが、ハムは4種目に優勝、440ヤードで3位という成績を残し、リレーに出場できなかったにもかかわらず、リトルロック高校をおさえ総合優勝を果たした。
大学時代
[編集]1924年にハムは7.38mの世界高校記録を樹立した。これにより、ボストンで行われる1924年パリオリンピックのアメリカ代表選考会への出場権を得た。ハムは大会に出場するため、リトルロックのコーチから100ドルを借り、ボストンに出発した。しかし、アメリカ代表になることはできなかった。ハムは、翌年からコーチの元に返済し終わるまで2ドルから5ドルずつ持参し続けた。
ハムはジョージア工科大学入学後も才能を発揮する。サウスイースタン・カンファレンス(SEC)で、100ヤード、220ヤード、走幅跳の3種目とも3連覇を達成する。1928年には走幅跳でSEC記録となる7.79mを達成したあと、アムステルダムオリンピックの代表選考会で、ついに7.90mの世界新記録を達成した。
アムステルダムオリンピックに出場したハムは、7.73mのオリンピック新記録で2位のハイチのシルヴィオ・カトールに15cmの差をつけ金メダルを獲得した。オリンピック後、陸上チームでイギリスとドイツを転戦、ハムもすべての競技会で勝利した。
その後
[編集]ハムは1928年、大学を卒業後数年間は学校の陸上のコーチを務めたがその後、アメリカ西海岸とアラスカでコカ・コーラの販売する会社の役員となる。1982年にオレゴン州にて死去した。享年76歳。ハムの遺灰は、ハムが何度も釣りに訪れたオレゴンの湖に撒かれた。
先代 ウィリアム・デハート・ハバード |
男子走幅跳世界記録保持者 1928/7/7-1928/9/9 |
次代 シルヴィオ・カトール |