コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

エルマントルド・ド・ルシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルマントルド・ド・ルシー
Ermentrude de Roucy

称号 ガティネ伯夫人
シャトー=ランドン伯夫人
ブルゴーニュ伯妃
出生 958年
死去 1005年5月5日
配偶者 マコン伯オーブリー2世
  ブルゴーニュ伯オット=ギヨーム
子女 オーブリー2世の子
リエトー
オーブリー
名前不明の娘
オット=ギヨームの子
ギー1世
マティルド
ジェルベルジュ
ルノー
アニェス
家名 ルシー家
父親 ルシー伯ルノー
母親 アルベラード・ド・ロタリンジーwikidata
テンプレートを表示

エルマントルド・ド・ルシー(Ermentrude de Roucy, 958年 - 1005年5月5日)あるいはイルムトルド(Irmtrude)は、マコンオーブリー2世妃、のちブルゴーニュ伯オット=ギヨーム妃。

ルシー伯ルノーとその妻アルベラード・ド・ロタリンジー(アルベラード・ド・ロレーヌとも、ロートリンゲン公ギゼルベルト娘)の間に生まれ[1]、母アルベラードは西フランク王ロテールの異父姉であり、エルマントルドはロテール王の姪にあたる。

マコンオーブリー2世(アルベリク2世とも)と結婚しマコン伯夫人となった[2]。オーブリー2世との間に以下3人の子をもうけた。

オーブリー2世との死別後にマコン伯領を相続し、ブルゴーニュ伯オット=ギヨームと再婚した[2]。オット=ギヨームとの間に以下5人の子をもうけた。

参考文献

[編集]
  • Bouchard, Constance Brittain (1987). Sword, Miter, and Cloister: Nobility and the Church in Burgundy, 980-1198. Cornell University Press 
  • Commire, ed (2000). Women in World History: Ead-Fur. Yorkin Publications 

脚注

[編集]
  1. ^ Commire & Klezmer 2000, p. 249.
  2. ^ a b Bouchard 1987, p. 263.
  3. ^ Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln|EuropäischeStammtafeln: Stamtafeln zurGächichtederEuropäischenStaaten, Neue Folge, Band II (Marburg, Germany: Verlag von JA Stargardt, 1984), Tafeln 59, 187
  4. ^ Jean-Pierre Poly, La Provence et lasociétéféodale 879-1166 (Paris: Bordas, 1976)