オット=ギヨーム (ブルゴーニュ伯)
オット=ギヨーム Otte-Guillaume | |
---|---|
ブルゴーニュ伯 | |
在位 | 982年 - 1026年 |
出生 |
955/62年 |
死去 |
1026年9月21日 |
配偶者 | エルマントルド・ド・ルシー |
アデライード・ダンジュー | |
子女 |
ギー1世 マティルド ジェルベルジュ ルノー1世 アニェス |
家名 | アンスカリ家 |
父親 | イタリア王アダルベルト2世 |
母親 | ジェルベルジュ・ド・マコン |
オット=ギヨーム(Otte-Guillaume, 955/962年 - 1026年9月21日)は、マコン伯、ヌヴェール伯、およびブルゴーニュ伯。
生涯
[編集]オット=ギヨームは、祖父ベレンガーリオ2世と父アダルベルト2世が共にイタリア王として共同統治をしていた時期に生まれた。母はジェルベルジュ・ド・マコンである[1]。母ジェルベルジュは982年に後のブルゴーニュ自由伯領となるドル付近の地をオット=ギヨームに与えた。オット=ギヨームはまた、1002年に母の再婚相手であったブルゴーニュ公アンリ1世からソーヌ川対岸のブルゴーニュ公領も相続した[2]。この公領は後の神聖ローマ帝国のブザンソン教区に当たる。990年までに、オット=ギヨームはヌヴェール伯となった[2]。また、フランスのマコン伯にもなった[1]。
オット=ギヨームはイタリア王子であった間に王家出身の女性との結婚をせず[3]、975年から980年頃にエルマントルド・ド・ルシーと結婚した。エルマントルドの母方の祖母ゲルベルガは神聖ローマ皇帝オットー1世の妹であり、この結婚により、後のフランス、ドイツ、ブルゴーニュおよびカロリング家の君主の間で血縁関係が結ばれた[3]。また、子供たちは、フランスの諸地域の貴族と結婚した[3]。
ブルゴーニュは1004年にフランス王ロベール2世によりフランス王領とされた。自身の領地の統治者となるため、オット=ギヨームは1016年に皇帝ハインリヒ2世に叛旗を翻した。これは最後のブルグント王ルドルフ3世がストラスブールでハインリヒ2世を自身の後継者とし、臣下の礼を捧げた後のことであった。オット=ギヨームの死後、ブルゴーニュ自由伯領は神聖ローマ皇帝の宗主権の下に置かれることとなった。オット=ギヨームは1026年9月21日に64歳で死去したとされる[4]。
子女
[編集]最初に、ルシー伯ルノーの娘エルマントルド(マコン伯オーブリー2世寡婦)と結婚し[1]、息子2人と娘3人をもうけた。
- ギー1世(約975年 - 1006年) - 995年以降マコン伯[1]、シャロン伯ランベールの娘アエリーと結婚。
- マティルド - ヌヴェール伯ランドリーと結婚[1][5]
- ジェルベルジュ - プロヴァンス伯ギヨーム2世と結婚[1]
- ルノー1世(約990年 - 1057年) - ブルゴーニュ伯、ノルマンディー公リシャール2世の娘アデライードと結婚[1]。
- アニェス(約1000年 - 1068年) - 最初にアキテーヌ公ギヨーム5世と結婚、次にアンジュー伯ジョフロワ2世と再婚[1]。
後にアデライード=ブランシュ・ダンジューと再婚したが、子供はいなかった[6][7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II (Marburg, Germany: Verlag von J. A. Stargardt, 1984), Tafel 59
- ^ a b W. Scott Jessee, Robert the Burgundian and the Counts of Anjou, Ca. 1025-1098 (USA: The Catholic University of America Press. 2000), p. 15
- ^ a b c Constance Brittain Bouchard, Those of My Blood: Creating Noble Families in Medieval Francia (Philadelphia: The University of Pennsylvania Press, 2001), p. 50
- ^ David Douglas, 'Some Problems of Early Norman Chronology', The English Historical Review, Vol. 65, No. 256, (Jul., 1950), p. 298
- ^ Constance Brittain Bourchard, Sword, Miter, and Cloister: Nobility and the Church in Burgundy, 980-1188, (Cornell University Press, 1987), 33.
- ^ Constance B. Bouchard, 'The Origins of the French Nobility: A Reassessment', The American Historical Review, Vol. 86, No. 3 (Jun., 1981), pp. 515-16.
- ^ Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band III Teilband 1 (Marburg, Germany: Verlag von J. A. Stargardt, 1984), Tafel 116
関連項目
[編集]
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|