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エンダービーランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南極地図(上が本初子午線)。Enderby Landは図の右上方に記されている。

エンダービーランド英語: Enderby Land)は、南極にある地域の名称。南極大陸東部(東南極)、インド洋西部の方向にあたる地域である。

1831年、イギリスの捕鯨船長ジョン・ビスコーが発見し、船主であるエンダービー社の名が付けられた[1]。インド洋側で最初に望見された南極大陸の陸地である。

名称

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日本語文献では「エンダービーランド」[2][3]、「エンダービー・ランド」のほか、「エンダビーランド」[4]、「エンダビー・ランド」[5]とも表記される。

地理

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位置・広がり

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エンダービーランドの衛星画像

アメリカ地質調査所(USGS)の地名情報システム(GNIS)では、東経44度38分から東経59度34分にかけての地域が地理的な「エンダービーランド」と定義されている[1]。すなわち、西は新南氷河英語版末端から、東はWilliam Scoresby Bay に至る範囲である[1][6]。西はドロンニング・モード・ランド、東はマックロバートソンランドに接続する。上記の定義のエンダービーランドの最東部、Edward VIII Bay(東経56度25分)以東、東経59度34分までをケンプ海岸 (Kemp Coastと呼ぶ[7]

別の定義によれば、東経45度から東経55度にかけての範囲が「エンダービーランド」[8]、東経55度から東経60度にかけての範囲が「ケンプランド」と呼ばれる[9]。この区分は、この地域の領有を主張するオーストラリアが用いている[10][11]

エンダービーランドの北部は南極圏の外にある。エンダービーランドの最北端にあたる Cape Batterbee南緯65度51分 東経53度48分 / 南緯65.850度 東経53.800度 / -65.850; 53.800)は、東南極で最も北に位置する点でもある。

地勢・地形

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USGSの定義による地理的なエンダービーランドには、以下の地形がある。

エンダービーランドが面する南極海の海域(東経35度から東経65度にかけて)がコスモノート海 (Cosmonauts Seaの名称で呼ばれることがある[12][注釈 1]

領有権主張

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オーストラリアは東経45度以東を「オーストラリア南極領土」として領有を主張している。また、東経45度以西はノルウェーが「ドロンニング・モード・ランド」として領有を主張している。

観測基地

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歴史・名称

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1855年の南極地図。エンダービーランドとケンプが発見した土地が右下に示されている。

発見

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この土地は、1831年2月25日[8]、イギリスの捕鯨船長ジョン・ビスコーが、ブリッグ船「トゥーラ号」Tulaによる南極海探検 (Southern Ocean Expeditionの途中に発見した[1]。ビスコーはこの陸地を、トゥーラ号の船主であるロンドンのエンダービー社 (Samuel Enderby & Sonsにちなみ、エンダービーランドと命名した[1]。3月16日には、南緯66度10分 東経51度22分 / 南緯66.167度 東経51.367度 / -66.167; 51.367にあるアン岬 (Cape Ann (Enderby Land)を発見している[13]。アン岬の名は、おそらくビスコーの妻の名に因む[13]

1833年12月26日[9]、アザラシ猟船長ピーター・ケンプが、ケンプランド(ケンプ海岸)と呼ばれることになる陸地を発見している[7]

エンダービーランドは南極大陸探検の初期に発見された土地であったが、(ケンプランドを含め)その後約100年にわたって訪れる人はいなかった[8]

20世紀前半

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エンダービーランドのノルウェー国旗と、ノルウェー隊のフィン・リュツォー=ホルム
Proclamation Island

1929年から1930年にかけて、エンダービーランドはノルウェーと大英帝国の探検競争の舞台となる。ノルウェー隊を率いたのはヒャルマー・リーセル=ラルセン (Hjalmar Riiser-Larsen、イギリス・オーストラリア・ニュージーランド隊(British Australian and New Zealand Antarctic Research Expedition、BANZARE)を率いたのはダグラス・モーソンであった[8]

リーセル=ラルセンは、1929年12月にエンダービーランド西部から飛行機による探検を始め、12月22日にはアン岬沖合の海氷上にノルウェーの国旗を立てた[8]。しかし、ノルウェー政府はエンダービーランドの領有に関する大英帝国の主張をすでに承認しており、リーセル=ラルセンの主張は退けられることとなった[8]。1930年1月30日、モーソンは Cape Batterbee 沖 の Proclamation Island南緯65度50分 東経53度30分 / 南緯65.833度 東経53.500度 / -65.833; 53.500) に上陸してユニオンジャックを立て、この地が大英帝国領であることを宣言する文書を読み上げた[8]。翌1月31日、モーソンとリーセル=ラルセンは会同し、東経45度をノルウェーと大英帝国の境界とすることを確認した[8]

モーソンが率いたBANZAREによる探検で、1930年にエンダービーランドからマックロバートソンランドにかけての海岸が明らかにされた[11]。この時、アムンゼン湾やスコット山脈、トゥーラ山脈が発見された。

1933年、大英帝国が領有を宣言する地域のうち、東経45度から東経160度までの地域(アデリーランドを除く)が自治領オーストラリアに属するものとされた。これがオーストラリアの領有権主張の基礎となっている。

第二次世界大戦後

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第二次世界大戦後の1947年2月に行われたハイジャンプ作戦により、この地域の空からの観測が行われた[8]。1959年以降、オーストラリアによる調査が進められた[8]

1962年1月、ソビエト連邦はエンダービーランドにマラジョージナヤ基地を建設し、南極調査の拠点を置いた[8]

脚注

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注釈

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  1. ^ アメリカ地質調査所(USGS)の地名情報システム(GNIS)では用いられていない。

出典

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  1. ^ a b c d e "Enderby Land". Geographic Names Information System. U.S. Geological Survey. 2013年5月6日閲覧
  2. ^ 『現代地図帳 2006-2007』二宮書店、2006年、96頁。 
  3. ^ 学術論文での使用の一例として、金尾政紀. “「エンダービーランドの地学調査の展望」に関する研究小集会報告”. CiNii. 国立情報学研究所. 2013年5月11日閲覧。
  4. ^ 学術論文での使用の一例として、富田克利・上野孝幸・河野元治ほか. “南極大陸、東南極エンダビーランド、リーセルラルセン山地域の粘土鉱物”. CiNii. 国立情報学研究所. 2013年5月11日閲覧。
  5. ^ エンダビー・ランド”. マイペディア. コトバンク. 2013年5月11日閲覧。
  6. ^ Enderby Land (USA)”. SCAR Composite Gazetteer. Australian Antarctic Division. 2013年5月11日閲覧。
  7. ^ a b "Kemp Coast". Geographic Names Information System. U.S. Geological Survey. 2013年5月6日閲覧
  8. ^ a b c d e f g h i j k William J. Mills (2003). Exploring Polar Frontiers: A Historical Encyclopedia. ABC-Clio Inc. p. 218. ISBN 1576074226. https://books.google.co.jp/books?id=PYdBH4dOOM4C&pg=PA218&dq=Enderby+Land&hl=ja&sa=X&ei=icOIUey4K4nikAXRjICADg&ved=0CEoQ6AEwBQ#v=onepage&q=Enderby%20Land&f=false 2013年5月6日閲覧。 
  9. ^ a b William J. Mills (2003). Exploring Polar Frontiers: A Historical Encyclopedia. ABC-Clio Inc. p. 342. ISBN 1576074226. https://books.google.co.jp/books?id=PYdBH4dOOM4C&pg=PA342&dq=Kemp+Land&hl=ja&sa=X&ei=s9CIUcaIL8WjkgX21oCACw&ved=0CDMQ6AEwAA#v=onepage&q=Kemp%20Land&f=false 2013年5月6日閲覧。 
  10. ^ Enderby Land (AUS)”. SCAR Composite Gazetteer. Australian Antarctic Division. 2013年5月11日閲覧。
  11. ^ a b Kemp Land (AUS)”. SCAR Composite Gazetteer. Australian Antarctic Division. 2013年5月11日閲覧。
  12. ^ 滝沢隆俊; 大島慶一郎; 牛尾収輝; 河村俊行; 榎本浩之「コスモノート・ポリニヤ水域の水温構造とSSM/I画像から見たポリニヤの特徴」『南極資料 Vol.41 No.1 (Mar. 1997)』、国立極地研究所NAID 110000206090NCID AN00181831https://cir.nii.ac.jp/crid/13905721746361112322018年1月4日閲覧 
  13. ^ a b "Cape Ann". Geographic Names Information System. U.S. Geological Survey. 2013年5月6日閲覧

外部リンク

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座標: 南緯67度30分 東経53度00分 / 南緯67.500度 東経53.000度 / -67.500; 53.000