オットー・フランケ
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人物情報 | |
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生誕 |
1863年9月27日 ドイツ ザクセン=アンハルト州 |
死没 | 1946年8月5日 (82歳没) |
出身校 | フライブルク大学・ゲッティンゲン大学 |
子供 | ヴォルフガング・フランケ(言語学者) |
学問 | |
研究機関 | ベルリン大学 |
学位 | 博士 |
オットー・フランケ(Otto Franke、1863年9月27日 - 1946年8月5日)は、ドイツの東洋学者。とくに中国史の研究で知られる。主著に『中華帝国史』(5巻)がある。
経歴
[編集]フランケはゲルンローデ(今のザクセン=アンハルト州ハルツ郡クヴェードリンブルクの一部)に生まれ、フライブルク大学で歴史学と比較言語学を専攻して卒業した後、ゲッティンゲン大学でサンスクリットを学び、インド学の研究で博士の学位を得た[1]。その後、中国語を学び、1888年から1901年まで中国駐在ドイツ大使館の通訳として北京に赴任した。任期中フランケは中国各地およびモンゴル、朝鮮半島、日本を旅行した[1]。1902年に帰国して、アジア関係のジャーナリストとして働いた。
1910年、ハンブルク植民地研究所(1919年からハンブルク大学)に新設された東アジア言語文化教授に就任した[2](後任はアルフレッド・フォルケ)。1923年にはベルリン大学に移った。同年、プロイセン科学アカデミーの会員に選ばれた[2]。1931年に退官し、その後は『中華帝国史』の執筆に集中した。1937年に巻3を出した後に第二次世界大戦のために執筆は中断したが、それでも1944年に巻4を出版することができた[1]。巻5(巻4の追補)は没後に出版された。
『Asia Major』誌は1933年にオットー・フランケの70歳記念特集号を刊行した。1933年までの著作一覧を含む[3]。
家族・親族
[編集]- 息子:ヴォルフガング・フランケ(ドイツ語版、1912-2007)も中国学者。
主な著書
[編集]- Kêng tschi t'u: Ackerbau und seidengewinnung in China. Hamburg: L. Friederichsen & co. (1913)(『耕織図』)
- Studien zur Geschichte des konfuzianischen Dogmas und der chinesischen Staatsreligion: das Problem des Tsch'un-ts'iu und Tung Tschung-schu's Tsch'un-ts'iu fan lu. Hamburg: L. Friederichsen & co. (1920)(『春秋』と董仲舒『春秋繁露』の研究)
主著の『中華帝国史』は1938年に『支那正史』の題で日本語訳されている。
- Geschichte des Chinesischen Reiches. Leipzig: Walter de Gruyter. (1930-1952)(5巻)
- 高山洋吉 訳『支那正史』東学社、1938年。(3巻)
外交官時代の日記と写真は2009年に出版された。
- Renata Fu-sheng Franke; Wolfgang Franke, ed (2009). „Sagt an, ihr fremden Lande …“ Ostasienreisen: Tagebücher und Fotografien (1888–1901). Steyler. ISBN 3805005628
脚注
[編集]- ^ a b c E Bruce Brooks (2010), Sinological Profiles: Otto Franke, University of Massachusetts at Amherst: Warring States Project
- ^ a b NDB
- ^ Asia Major, 9, (1933)
参考文献
[編集]- Herbert Franke: Franke, Alwin Wilhelm Otto. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 5, Duncker & Humblot, Berlin 1961, ISBN 3-428-00186-9, S. 346 f. (電子テキスト版).