コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲッティンゲン大学から転送)
ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン
大学設置/創立 1737年
学校種別 公立
設置者 ハノーファー選帝侯ゲオルク・アウグスト
本部所在地 ドイツニーダーザクセン州ゲッティンゲン
学生数 31,619
ウェブサイト https://www.uni-goettingen.de/en/1.html ウィキデータを編集
テンプレートを表示

ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン(ゲオルク・アウグストだいがくゲッティンゲン、英語: Georg August University of Göttingen、公用語表記: Georg-August-Universität Göttingen)は、ドイツニーダーザクセン州ゲッティンゲンに本部を置くドイツ公立大学1737年創立、1737年大学設置。大学の略称はGAUGあるいはゲッティンゲン大学(ドイツ語Universität Göttingen; 英語University of Göttingen)。

沿革

[編集]

1737年ハノーファー選帝侯ゲオルク・アウグスト(英国王ジョージ2世)によって設立。創設者のゲオルク2世は、ハレ大学を見本とする科学尊重の大学として、この大学を設立した。法学哲学数学物理学において伝統的に実績を有し、特に数学に関しては19世紀の中頃から20世紀の前半にかけて、フェリックス・クラインダフィット・ヒルベルト、さらにはヘルマン・ミンコフスキーをはじめとする多くの有能な数学者が集まり、世界の研究の中心としての役割を果たした。

その後もヨーロッパにおける学術拠点としての機能を持ち続けたので、第二次世界大戦中はイギリスとドイツはケンブリッジとゲッティンゲンをお互いに爆撃しないという紳士協定を結んでいた。

現在では北ドイツ最大の州であるニーダーザクセン州を代表する大学で、南ドイツの大学がやや保守色が強いのに対して、地理的にもドイツ中央部に位置するためか、進歩色から中道寄りの校風である。1980年代には緑の党の拠点の一つでもあった。

大学組織・教育体制

[編集]

キャンパス・施設

[編集]
ニーダーザクセン州立兼大学図書館ゲッティンゲン
大学内の風景

行事・関連事項

[編集]
ガチョウ娘リーゼルの像。花は博士号取得者が贈ったもの

本大学で博士号を取得した人物は(男性も女性も)ゲッティンゲン市庁舎前にあるガチョウ娘リーゼルの銅像にキスを贈るという風習がある。この風習は1926年にこれを禁止する条例が制定されたが、現在では伝統的行事として取り締まりは行われていない。2004年の放火事件によりリーゼル像は大きく破損したが、現在は元の姿に戻っている。

大学自治とゲッティンゲン七教授事件

[編集]

1837年にハノーファー王エルンスト・アウグストの政策に異議を唱えた7人の教授が追放ないし免職となった事件は「ゲッティンゲン七教授事件」(ゲッティンガー・ジーベン)として知られ、大学の自治権の歴史の中で特記すべきものである。7人の教授の中にはグリム兄弟や物理学者ヴィルヘルム・ヴェーバーも含まれ、その後、兄弟はベルリン大学に、ヴェーバーはライプツィヒ大学に移ることになる。その後ヴェーバーは1849年に復職した。(後にこれにちなんで、1960年代末アメリカ合衆国の大学でベトナム反戦運動の中でリーダー的存在となったトム・ヘイドンアビー・ホフマンジェリー・ルービンらが「シカゴ・セブン」と呼ばれた。)

出身者

[編集]

現在まで45名のノーベル賞受賞者を輩出している。 上述のヴェーバー、グリム兄弟の他にも、数学ではガウス、ベルンハルト・リーマンクラインの壺で知られるクライン、ヒルベルト、ゲルハルト・ゲンツェンヘルムート・ハッセヘルマン・ワイル、哲学ではエドムント・フッサール、社会学ではヘルムート・プレスナー、物理学ではヴェルナー・ハイゼンベルクマックス・プランク、法学ではルドルフ・フォン・イェーリング、神学ではカール・バルトといった著名な学者がここで教鞭を執った。

また、ロベルト・コッホフリードリヒ・フレーベルアルトゥル・ショーペンハウアーハインリヒ・ハイネ、アメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーアレクサンダー・フォン・フンボルトユルゲン・ハーバーマスなどもこの地で学んだ。数学者のクラインが同大学の教授時代、ヒルベルトを招聘したことでも知られる。

ドイツの有力政治家も数多く輩出している。鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルク、第7代連邦首相ゲアハルト・シュレーダー、第6代連邦大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーも本大学で学問を修めた。

日本人では齋藤恭司(数学者)、仁科芳雄(物理学者)、本多光太郎(金属工学者)、高木貞治(数学者)などが在籍していた。

札幌農学校初代教頭ウィリアム・スミス・クラークもここに留学しており、明治時代の日本人留学生はゲッティンゲンに「月沈原」という漢字を当てた。

主な出身者、教職員一覧

[編集]

主な出身者および教鞭を執った人物をアルファベット順に並べる。

A

B

C

D

E

F

G

H

I

J

K

L

M

N

O

P

Q

R

S

T

W

Y

Z

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

座標: 北緯51度32分2.3274秒 東経9度56分16.5120秒 / 北緯51.533979833度 東経9.937920000度 / 51.533979833; 9.937920000