オハイオ州選出のアメリカ合衆国上院議員
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オハイオ州は、第1部および第3部の上院議員を各1名選出してきた。 現在の上院議員は、シェロッド・ブラウンとJ・D・ヴァンスである。
上院議員一覧
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第1部 第1部は西暦年を6で除算したときの剰余が1と等しい年が任期末である。最近では2000年, 2006年,2012年に改選されている。次の選挙は2018年を予定している。 |
議会 |
第3部 第3部の上院議員は西暦年を6で除算したときの剰余が5と等しい年が任期末である。最近では2004年,2010年,2016年に改選されている。次の選挙は2022年を予定している。 | ||||||||||
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# | 氏名 | 所属政党 | 在職期間 | 選挙歴 | 任期 | 任期 | 選挙歴 | 在職期間 | 所属政党 | 氏名 | # | |
1 | ジョン・スミス |
民主 共和党 |
1803年4月1日 – 1808年4月25日 |
1803年選出 辞職 |
1 | 第8 議会 |
1 | 1803年選出 引退 |
1803年4月1日 – 1807年3月3日 |
民主 共和党 |
トーマス・ワージントン |
1 |
第9 議会
| ||||||||||||
第10 議会 |
2 | 1806年選出 辞職 |
1807年3月4日 – 1809年3月3日 |
民主 共和党 |
エドワード・ティフィン |
2 | ||||||
空席 | 1808年4月25日 – 1808年12月12日 |
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2 | リターン・ジョナサン・メグス |
民主 共和党 |
1808年12月12日 – 1810年12月8日 |
スミスの任期を満了するため選出 | ||||||||
1809年再選 オハイオ州知事就任のため辞職 |
2 | 第11 議会 |
1809年3月4日 – 1809年3月18日 |
空席 | ||||||||
ティフィンの任期を満了するため任命 後継選出時に引退 |
1809年5月18日 – 1809年12月11日 |
民主 共和党 |
スタンリー・グリズウォルド |
3 | ||||||||
空席 | 1810年12月8日 – 1810年12月15日 |
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ティフィンの任期を満了するため選出 引退 |
1809年12月11日 – 1813年3月3日 |
民主 共和党 |
アレクサンダー・キャンベル |
4 | ||||||||
3 | トーマス・ワージントン |
民主 共和党 |
1810年12月15日 – 1814年12月1日 |
メグスの任期を満了するため選出 オハイオ州知事就任のため辞職 | ||||||||
第12 議会 | ||||||||||||
第13 議会 |
3 | 1813年選出 引退 |
1813年3月4日 – 1819年3月3日 |
民主 共和党 |
ジェレマイア・モロー |
5 | ||||||
空席 | 1814年12月1日 – 1814年12月10日 |
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4 | ジョーゼフ・カー |
民主 共和党 |
1814年12月10日 – 1815年3月3日 |
ワージントンの任期を満了するため選出 引退 | ||||||||
5 | ベンジャミン・ラグルズ |
民主 共和党 |
1815年3月4日 – 1833年3月3日 |
1815年選出 | 3 | 第14 議会 | ||||||
第15 議会 | ||||||||||||
第16 議会 |
4 | 1819年選出 死去 |
1819年3月4日 – 1821年12月13日 |
民主 共和党 |
ウィリアム・A・トリンブル |
6 | ||||||
1821年再選 | 4 | 第17 議会 | ||||||||||
1821年12月13日 – 1822年1月3日 |
空席 | |||||||||||
トリンブルの任期を満了するため選出 再選に失敗 |
1822年1月3日 – 1825年3月3日 |
民主 共和党 |
イーサン・ブラウン |
7 | ||||||||
クロウフォード 共和党 |
第18 議会 |
アダムス・クレイ 共和党 | ||||||||||
反 ジャクソン党 |
第19 議会 |
5 | 1824年選出 駐コロンビア公使就任のため辞職 |
1825年3月4日 – 1828年5月20日 |
反 ジャクソン党 |
ウィリアム・ハリソン |
8 | |||||
アダムス党 | 1827年再選 引退 |
5 | 第20 議会 |
アダムス党 | ||||||||
1828年5月20日 – 1828年12月10日 |
空席 | |||||||||||
ハリソンの任期を満了するため選出 引退 |
1828年12月10日 – 1831年3月3日 |
アダムス党 | ジェイコブ・バーネット |
9 | ||||||||
反 ジャクソン党 |
第21 議会 |
反 ジャクソン党 | ||||||||||
第22 議会 |
6 | 1830年選出 再選に失敗 |
1831年3月4日 – 1837年3月3日 |
反 ジャクソン党 |
トマス・ユーイング |
10 | ||||||
6 | トマス・モリス |
ジャクソン党 | 1833年3月4日 – 1839年3月3日 |
1833年選出 引退 |
6 | 第23 議会 | ||||||
第24 議会 | ||||||||||||
民主党 | 第25 議会 |
7 | 1837年選出 | 1837年3月4日 – 1849年3月3日 |
民主党 | ウィリアム・アレン |
11 | |||||
7 | ベンジャミン・タッパン |
民主党 | 1839年3月4日 – 1845年3月3日 |
1838年選出 引退 |
7 | 第26 議会 | ||||||
第27 議会 | ||||||||||||
第28 議会 |
8 | 1842年再選 再選に失敗 | ||||||||||
8 | トマス・コーウィン |
ホイッグ党 | 1845年3月4日 – 1850年7月20日 |
1844年12月5日選出[1] 財務長官就任のため辞職 |
8 | 第29 議会 | ||||||
第30 議会 | ||||||||||||
第31 議会 |
9 | 1849年選出 引退 |
1849年3月4日 – 1855年3月3日 |
自由土地党 | サーモン・チェイス |
12 | ||||||
9 | トマス・ユーイング |
ホイッグ党 | 1850年7月20日 – 1851年3月3日 |
コーインの任期を満了するため任命 再選に失敗 | ||||||||
空席 | 1851年3月4日 – 1851年3月15日 |
9 | 第32 議会 | |||||||||
10 | ベンジャミン・ウェイド |
ホイッグ党 | 1851年3月15日 – 1869年3月3日 |
1851年3月15日選出[2] | ||||||||
第33 議会 | ||||||||||||
共和党 | 第34 議会 |
10 | 1854年選出[3] 再選に失敗 |
1855年3月4日 – 1861年3月3日 |
民主党 | ジョージ・E・ピュー |
13 | |||||
1856年再選 | 10 | 第35 議会 | ||||||||||
第36 議会 | ||||||||||||
第37 議会 |
11 | 1860年選出 財務長官就任のため辞職 |
1861年3月4日 – 1861年3月6日 |
共和党 | サーモン・チェイス |
14 | ||||||
1861年3月6日 – 1861年3月21日 |
空席 | |||||||||||
チェイスの任期を満了するため選出 | 1861年3月21日 – 1877年3月8日 |
共和党 | ジョン・シャーマン |
15 | ||||||||
1863年再選 再指名に失敗 |
11 | 第38 議会 | ||||||||||
第39 議会 | ||||||||||||
第40 議会 |
12 | 1866年再選 | ||||||||||
11 | アレン・G・サーマン |
民主党 | 1869年3月4日 – 1881年3月3日 |
1868年選出 | 12 | 第41 議会 | ||||||
第42 議会 | ||||||||||||
第43 議会 |
13 | 1872年再選 財務長官就任のため辞職 | ||||||||||
1874年再選 再選に失敗 |
13 | 第44 議会 | ||||||||||
第45 議会 | ||||||||||||
1877年3月8日 – 1877年3月21日 |
空席 | |||||||||||
シャーマンの任期を満了するため選出 引退 |
1877年3月21日 – 1879年3月3日 |
共和党 | スタンリー・マシューズ |
16 | ||||||||
第46 議会 |
14 | 選出年不明 再指名に失敗 |
1879年3月4日 – 1885年3月3日 |
民主党 | ジョージ・H・ペンドルトン |
17 | ||||||
12 | ジョン・シャーマン |
共和党 | 1881年3月4日 – 1897年3月3日 |
1881年選出 | 14 | 第47 議会 | ||||||
第48 議会 | ||||||||||||
第49 議会 |
15 | 1884年1月15日選出.[4][5] 引退 |
1885年3月4日 – 1891年3月3日 |
民主党 | ヘンリー・B・ペイン |
18 | ||||||
1886年再選 | 15 | 第50 議会 | ||||||||||
第51 議会 | ||||||||||||
第52 議会 |
16 | 1890年選出 再選に失敗[6] |
1891年3月4日 – 1897年3月3日 |
民主党 | カルヴァン・S・ブライス |
19 | ||||||
1892年再選 辞職 |
16 | 第53 議会 | ||||||||||
第54 議会 | ||||||||||||
第55 議会 |
17 | 1896年選出 | 1897年3月4日 – 1909年3月3日 |
共和党 | ジョセフ・ベンソン・フォラカー |
20 | ||||||
13 | マーク・ハンナ |
共和党 | 1897年3月5日 – 1904年2月15日 |
シャーマンの任期を引き継ぐため任命 1898年1月12日シャーマンの任期を満了するため選出[7] | ||||||||
1898年1月12日次の任期に選出 死去 |
17 | 第56 議会 | ||||||||||
第57 議会 | ||||||||||||
第58 議会 |
18 | 1902年1月15日再選[8] 引退[9] | ||||||||||
空席 | 1904年2月15日 – 1904年3月23日 |
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14 | チャールズ・W・F・ディック |
共和党 | 1904年3月23日 – 1911年3月3日 |
1904年3月2日ハンナの任期を引き継ぐため任命 | ||||||||
1904年3月2日次の任期に選出 再選に失敗 |
18 | 第59 議会 | ||||||||||
第60 議会 | ||||||||||||
第61 議会 |
19 | 1909年1月12日選出[9] 引退 |
1909年3月4日 – 1915年3月3日 |
共和党 | セオドア・E・バートン |
21 | ||||||
15 | アトリー・ポメリーン |
民主党 | 1911年3月4日 – 1923年3月3日 |
1911年1月10日選出 | 19 | 第62 議会 | ||||||
第63 議会 | ||||||||||||
第64 議会 |
20 | 1914年選出 大統領選出馬のため引退 大統領就任のため辞職 |
1915年3月4日 – 1921年1月13日 |
共和党 | ウォレン・ハーディング |
22 | ||||||
1916年再選 再選 |
20 | 第65 議会 | ||||||||||
第66 議会 | ||||||||||||
ハーディングの任期を引き継ぐため任命。任命時、次の任期に選出済。 | 1921年1月14日 – 1928年3月30日 |
共和党 | フランク・バートレット・ウィリス |
23 | ||||||||
第67 議会 |
21 | 1920年選出 | ||||||||||
16 | シミオン・D・フェス |
民主党 | 1923年3月4日 – 1935年1月3日 |
1922年選出 | 21 | 第68 議会 | ||||||
第69 議会 | ||||||||||||
第70 議会 |
22 | 1926年再選 死去 | ||||||||||
1928年3月30日 – 1928年4月5日 |
空席 | |||||||||||
ウィリスの任期を引き継ぐため任命 補欠選挙で再指名に失敗 |
1928年4月5日 – 1928年12月14日 |
民主党 | サイラス・ロッチャー |
24 | ||||||||
ウィリスの任期を満了するため選出 死去 |
1928年12月15日 – 1929年10月28日 |
共和党 | セオドア・E・バートン |
25 | ||||||||
1928年再選 再選に失敗 |
22 | 第71 議会 | ||||||||||
1929年10月28日 – 1929年11月5日 |
空席 | |||||||||||
バートンの任期を引き継ぐため任命 補欠選挙で敗北 |
1929年11月5日 – 1930年11月30日 |
共和党 | ロスコウ・C・マカロック |
26 | ||||||||
1930年11月4日バートンの任期を満了するため選出 | 1930年12月1日 – 1939年1月3日 |
民主党 | ロバート・J・バークリー |
27 | ||||||||
第72 議会 | ||||||||||||
第73 議会 |
23 | 1932年再選 再選に失敗 | ||||||||||
17 | A・ヴィクター・ダナヒー |
民主党 | 1935年1月3日 – 1941年1月3日 |
1934年選出 引退 |
23 | 第74 議会 | ||||||
第75 議会 | ||||||||||||
第76 議会 |
24 | 1938年選出 | 1939年1月3日 – 1953年7月31日 |
共和党 | ロバート・タフト |
28 | ||||||
18 | ハロルド・H・バートン |
共和党 | 1941年1月3日 – 1945年9月30日 |
1940年選出 合衆国最高裁判所判事に任命され辞職 |
24 | 第77 議会 | ||||||
第78 議会 | ||||||||||||
第79 議会 |
25 | 1944年再選 | ||||||||||
空席 | 1945年9月30日 – 1945年10月8日 |
|||||||||||
19 | ジェイムズ・W・ハフマン |
民主党 | 1945年10月8日 – 1946年11月5日 |
バートンの任期を引き継ぐため任命 後継選出時に引退 | ||||||||
20 | キングズリー・A・タフト |
共和党 | 1946年11月5日 – 1947年1月3日 |
バートンの任期を満了するため選出 引退 | ||||||||
21 | ジョン・W・ブリッカー |
共和党 | 1947年1月3日 – 1959年1月3日 |
1946年選出 | 25 | 第80 議会 | ||||||
第81 議会 | ||||||||||||
第82 議会 |
26 | 1950年再選 死去 | ||||||||||
1952年再選 再選に失敗 |
26 | 第83 議会 | ||||||||||
1953年7月31日 – 1953年11月10日 |
空席 | |||||||||||
タフトの任期を引き継ぐため任命 補欠選挙で敗北 |
1953年11月10日 – 1954年12月2日 |
民主党 | トマス・A・バーク |
29 | ||||||||
1954年12月2日 – 1954年12月16日 |
空席 | |||||||||||
タフトの任期を満了するため選出 再選に失敗 |
1954年12月16日 – 1957年1月3日 |
共和党 | ジョージ・H・ベンダー |
30 | ||||||||
第84 議会 | ||||||||||||
第85 議会 |
27 | 1956年選出 | 1957年1月3日 – 1969年1月3日 |
民主党 | フランク・J・ローシュ |
31 | ||||||
22 | スティーヴン・M・ヤング |
民主党 | 1959年1月3日 – 1971年1月3日 |
1958年選出 | 27 | 第86 議会 | ||||||
第87 議会 | ||||||||||||
第88 議会 |
28 | 1962年再選 再指名に失敗 | ||||||||||
1964年再選 引退 |
28 | 第89 議会 | ||||||||||
第90 議会 | ||||||||||||
第91 議会 |
29 | 1968年選出 司法長官就任のため辞職 |
1969年1月3日 – 1974年1月3日 |
共和党 | ウィリアム・B・サクスビー |
32 | ||||||
23 | ロバート・タフト・ジュニア |
共和党 | 1971年1月3日 – 1976年12月28日 |
1970年選出 再選に失敗後、辞職 |
29 | 第92 議会 | ||||||
第93 議会 | ||||||||||||
サクスビーの任期を満了するため任命 再指名に失敗後、辞職 |
1974年1月4日 – 1974年12月23日 |
民主党 | ハワード・メッツェンバウム |
33 | ||||||||
メッツェンバウムの任期を満了するため任命。任命時、次の任期に選出済。 | 1974年12月24日 – 1999年1月3日 |
民主党 | ジョン・ハーシェル・グレン |
34 | ||||||||
第94 議会 |
30 | 1974年選出 | ||||||||||
24 | ハワード・メッツェンバウム |
民主党 | 1976年12月29日 – 1995年1月3日 |
タフトの任期を満了するため任命。任命時、次の任期にも選出済。 | ||||||||
1976年選出 | 30 | 第95 議会 | ||||||||||
第96 議会 | ||||||||||||
第97 議会 |
31 | 1980年再選 | ||||||||||
1982年再選 | 31 | 第98 議会 | ||||||||||
第99 議会 | ||||||||||||
第100 議会 |
32 | 1986年再選 | ||||||||||
1988年再選 引退 |
32 | 第101 議会 | ||||||||||
第102 議会 | ||||||||||||
第103 議会 |
33 | 1992年再選 引退 | ||||||||||
25 | マイク・デウィン |
共和党 | 1995年1月3日 – 2007年1月3日 |
1994年選出 | 33 | 第104 議会 | ||||||
第105 議会 | ||||||||||||
第106 議会 |
34 | 1998年選出 | 1999年1月3日 – 2011年1月3日 |
共和党 | ジョージ・ヴォイノヴィッチ |
35 | ||||||
2000年再選 再選に失敗 |
34 | 第107 議会 | ||||||||||
第108 議会 | ||||||||||||
第109 議会 |
35 | 2004年再選 引退 | ||||||||||
26 | シェロッド・ブラウン |
民主党 | 2007年1月3日 – 現職 |
2006年選出 | 35 | 第110 議会 | ||||||
第111 議会 | ||||||||||||
第112 議会 |
36 | 2010年選出 | 2011年1月3日 – 2023年1月3日 |
共和党 | ロブ・ポートマン |
36 | ||||||
2012年再選 | 36 | 第113 議会 | ||||||||||
第114 議会 | ||||||||||||
第115 議会 |
37 | 2016年再選 引退 | ||||||||||
2018年再選 | 37 | 第116 議会 | ||||||||||
第117 議会 | ||||||||||||
第118 議会 |
38 | 2022年選出 | 2023年1月3日 – 現職 |
共和党 | J・D・ヴァンス |
37 | ||||||
2024年改選予定 | 39 | 第119 議会 | ||||||||||
第120 議会 | ||||||||||||
第121 議会 |
39 | 2028年改選予定 | ||||||||||
# | 氏名 | 所属政党 | 在職期間 | 選挙歴 | 任 期 |
任 期 |
選挙歴 | 在職期間 | 所属政党 | 氏名 | # | |
第1部 | 第3部 |
註
[編集]- ^ Taylor & Taylor, p. 215, vol. I.
- ^ Taylor & Taylor, p. 240.
- ^ Taylor & Taylor, p. 30, vol II.
- ^ Burke, p. 28.
- ^ Taylor & Taylor, p. 94.
- ^ “Foraker will succeed Brice: Ohio's Republican Legislators Vote Solidly for the Ex-Governor” (PDF). The New York Times (January 14, 1896). 2018年2月19日閲覧。
- ^ Byrd, p. 153.
- ^ “SENATOR FORAKER CHOSEN”. The New York Times: p. 3. (January 15, 1902)
- ^ a b Walters, Everett (1948). Joseph Benson Foraker: An Uncompromising Republican. Columbus, Ohio: The Ohio History Press. pp. 283–284