コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

カシュヤパ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドラプラデシュ州でカシュヤパ像

カシュヤパサンスクリット कश्यप kaśyapa)は、古代インド神話リシである。アトリ(Atri)、ヴァシシュタ(Vashistha)、ヴィシュヴァーミトラジャマダグニ(Jamadagni)、バラドヴァージャ(Bharadwaja)、ガウタマ(Gautama)の6人とともに現在のマンヴァンタラ(Manvantara、マヌに始まる暦)におけるサプタルシ(Saptarishi)のひとりに数えられる[1]

また、彼は『カーシュヤパ・サンヒター(Kāśyapa-saṃhitā)』(あるいは『ジーヴァキーヤ・タントラ(Vṛddha-Jīvakīya-Tantra)』)の著者でもある。この書は特に小児科学婦人科学産科学の分野を扱うアーユルヴェーダの参考図書である[2]

カシュヤパとされる人物が複数存在した、或いはそもそも「カシュヤパ」は個を特定するものではなくある種の役職であったのではないかと考える向きもある。

カシュヤパの配偶者

[編集]

プラジャーパティの一柱ダクシャは、アディティ(Aditi)、ディティカドゥルーダヌ、アリシュター(Ariṣṭā)、 スラサー(Surasā)、スラビーヴィナター、イラー(Ilā)、ヴィシュヴァー(Viśvā)、ムニー(Munī)[3]に代表される彼の23人の娘をカシュヤパに嫁がせた[4]

カシュヤパの子

[編集]

カシュヤパはデーヴァアスラナーガを子に持ち、そして全ての人間の父となっている。彼は妻の一人にアディティを迎えアグニの父となり、アーディティヤ神群を残した。さらにヴィシュヌは5番目のアヴァターラとしてヴァーマナの姿を借りている。ヴァーマナは7番目のマンヴァンタラにおいてアディティの息子である[5]。また、2人目の妻であるディティとの間にはダイティヤ(アスラの一族)を残した。ディティとアディティはともにプラジャーパティのダクシャの娘でありサティー、すなわちシヴァの最初の妻と姉妹である。カシュヤパは、パラシュラーマカールタヴィーリヤ・アルジュナ(Kartavirya Arjuna)との戦いで勝ち取った地上を貰い受けた。以降、地上はカシャパイ(Kashapai)として知られるようになった。

  • アディティとの子と子孫、いわゆるアーディティヤ神群の系譜は以下である。カシュヤパの息子たちより、アンサ(Ansa)、アリヤマンバガ、ダートリ(Dhatri)、ミトラプーシャン、娘としてブーミ(Bhūmi)、シャクラインドラ)、サヴィトリ、トゥヴァスタ(Tvastar)、ヴァルナヴィシュヌ、そしてスーリヤ朝(Suryavansha)を開いたスーリヤがいる。スーリヤ朝はスーリヤの偉大な孫イクシュヴァーク(Ikshvaku)の代にはイクシュヴァーク朝として知られるようになる。王朝の以降の王はククシ(Kukshi)、ヴィククシ(Vikukshi)バナ(Bana)アナラーニャ(Anaranya)、プリトゥ(Prithu)、トリシャンク(Trishanku)、そして、ラグゥ朝(Raghuvansh)の名祖として知られるラグゥ(Raghu)へと続く。さらに時代を下るとダシュラース(Dashrath)の子、ラーマへとつながる[6]
  • ディティとの子と子孫、いわゆるダイティヤは以下である。ヒラニヤカシプヒラニヤークシャ、娘としてシンヒカー、彼女は後にヴィプラチッティの妻となる。そして先述したヒラニヤカシプの4人の息子、アヌフラーダ(Anuhlada)、フラーダ(Hlada)、プラフラーダ、そしてダイティヤの系譜を伸ばすことになるサンラーダ(Sanhlada)へつながる[3]
  • ガルダとアルナ(Aruna)はカシュヤパとヴィナターとの間の子である[7]
  • ナーガはカドゥルーとの間の子等、あるいは子孫である。
  • ダーナヴァはダヌとの間の子等、あるいは子孫である。
  • 『バーガヴァタ・プラーナ』によれば、アプサラスはカシュヤパとムニ(Muni)の子である。
  • 『ウッタル・ラーマーヤナ』によれば、ディティにはダイティヤの王となるマヤという息子がいたとされている[8]

カシュヤパの息子、アヴァトサーラ(Avatsara)とアーシタ(Asita)、そしてアヴァトサーラの2人の息子ニドフルヴァ(Nidhruva)とレバ(Rebha)もカシュヤパと同様にマントラを預言している。スヴァロチシャ(Svarochisha)と呼ばれるマンヴァンタラでカシュヤパは7賢人(saptarishi)の一人であった。

インド北西部の山岳地帯、カシミールはカシュヤパの名に因んでいる。

出典

[編集]
  1. ^ Inhabitants of the Worlds Mahanirvana Tantra, translated by Arthur Avalon, (Sir John Woodroffe), 1913, Introduction and Preface.
  2. ^ Q7 indianmedicine.nic.in. Q 7. The main classical texts for reference of Ayurvedic principles include Charak Samhita, Susrut Samhita, Astang Hridaya, Sharangdhar Samhita, Madhav Nidan, Kashyapa Samhita, Bhavprakash, and Bhaisajya Ratnavali, etc.
  3. ^ a b Vishnu Purana: Book I, Chapter XV The Vishnu Purana, translated by Horace Hayman Wilson, 1840. p. 112. The daughters of Daksha who were married to Kaśyap were Aditi, Diti, Danu, Arisjht́á, Surasá, Surabhi, Vinatá, Támrá, Krodhavaśá, Id́á, Khasá, Kadru, and Muni 19; whose progeny I will describe to you...Vishńu, Śakra, Áryaman, Dhútí, Twáshtri, Púshan, Vivaswat, Savitri, Mitra, Varuńa, Anśa, and Bhaga
  4. ^ Saklani, Dinesh Prasad (1998). Ancient Communities of Himalayas. Indus Publishing Co, New Delhi. p. 74. ISBN 978-81-7387090-3. https://books.google.co.th/books?id=tK5y4iPArKQC&pg=PA74&lpg=PA74&dq=Kashapa+rishi&source=bl&ots=B7cMMaADaS&sig=xHTaNUZmkDxBNl9qe5t-CbQZQ94&hl=en&sa=X&ei=3rxEULiiJMHprAfbnoDAAw&ved=0CFoQ6AEwCDgK#v=onepage&q=Kashapa&f=false 
  5. ^ Account of the several Manus and Manwantaras Vishnu Purana, translated by Horace Hayman Wilson, 1840, Book III: Chapter I. 265:22, Vishńu, at the request of the deities, was born as a dwarf, Vámana, the son of Adití by Kaśyap; who, applying to Bali for alms, was promised by the prince whatever he might demand, notwithstanding Śukra, the preceptor of the Daityas, apprised him whom he had to deal with. The dwarf demanded as much space as he could step over at three steps; and upon the assent of Bali, enlarged himself to such dimensions as to stride over the three worlds. Being worshipped however by Bali and his ancestor Prahláda, he conceded to them the sovereignty of Pátála.
  6. ^ Lineage of Kashapa Valmiki Ramayana, Ayodhya Kanda in Prose Sarga 110.
  7. ^ Birth of Garuda The Mahabharata translated by Kisari Mohan Ganguli (1883-1896], Book 1: Adi Parva: Astika Parva: Section XXXI. p. 110.
  8. ^ Valmiki Ramayan 7.12

外部リンク

[編集]