カネコ
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒102-0093 東京都千代田区麹町3-12-3 |
設立 | 1980年6月25日 |
法人番号 | 7010001124419 |
事業内容 |
オンラインゲーム配信サービス ソフトウェア販売 システムソリューションの開発及び設計など |
代表者 | 松元哲(代表取締役社長、2015年7月-) |
資本金 | 4億8050万円 |
関係する人物 | 金子浩(創業者・前社長) |
外部リンク | http://www.kacat.co.jp/ (公式サイト) |
特記事項:2018年4月時点のデータ。 登記面本店は東京都三鷹市下連雀3丁目34番4号(旧本社所在地) 会社法人等番号:0124-01-012341 |
カネコ(KANEKO Co.,Ltd.)は、日本のIT企業およびコンピューターゲーム製作会社。1980年6月25日練馬区において設立。旧社名は金子製作所。1983年に本社を東京都三鷹市に移転。1996年12月に現社名へと社名変更した。
2000年4月、営業拠点を渋谷区に移している。2018年4月現在、本社は千代田区麹町にあるとされている。
概要
[編集]創業当初は応用電子機器の開発・製造・販売・輸出入や家庭用医療機器の製造を行っていたが、1982年頃より主にタイトーの下請けでコンピュータゲーム開発を始める。1990年から自社ブランド「KANEKO」でアーケード・家庭用でのゲーム発売に乗り出すが、2000年以降は新作を出していない。
かつてアーケードゲーム基板「スーパーカネコノバシステム」の特許権を巡り、日立製作所・日立ソフトウェアエンジニアリング(現・日立ソリューションズ)と係争していて、自社のサイト上で訴訟に関連する書類を公開していたが、2004年8月を最後に更新が止まり、現在はサイトに接続することができない。また、1999年3月期決算において資金難に陥ると、2000年4月には債権債務を整理、修理部門を除いたゲーム部門から全面撤退している。また営業拠点を移すことになる。
なお、以前までは三鷹市下連雀の本社ビル1・2階にゲームセンター「FRONT ROW」を営業しており、店内にあったサテライトスタジオからエフエムむさしのの番組を毎日夕方に公開生放送していた。同ビルには2020年現在、ビッグエコーなどが入居している。
2016年にサイトがドメインを変えた上で突如復活し、「オンラインゲーム配信サービス」、「システムソリューションの開発及び設計」「製造、販売及び輸出入」「ソフトウエアの販売」「リース」を業務内容としていた[1]。このサイトには、かつて係争していた日立との経緯については一切記載されていない。
創業者で代表取締役であった金子浩(かねこ ひろし)は2005年6月に退任し、同時にすべての取締役(金子含め3人)が退任したことから、休眠会社となっていた。2014年3月に、従前の取締役全員と現代表取締役が取締役(計4人)として選任され、金子は再度代表取締役となった[注 1]。11月の金子の死去に伴い、翌年7月に代表取締役として松元哲が選任され、同時に取締役が1名退任、1名選任された。なお、現在この会社が使用しているとされるファクス番号[2]は、かつて「株式会社アトミック」[注 2]なる企業[3]が使用していたものであり、アトミック社はカネコ代表取締役の松元と同名の人物が代表を務めている企業である。
2017年2月、代表取締役の松元が詐欺の疑いで逮捕。松元は地面師グループの1人だった[2]。その後サイトは閉鎖され、会社の動向が不明な状態となっている。なお、麹町3丁目に移転するまでは平河町のふじビルに本社があった[注 3]。
沿革
[編集]- 1980年6月 東京都練馬区で株式会社金子製作所を創業。
- 1994年12月 三鷹市下連雀に本社移転、同時にゲームセンター「FRONT ROW」オープン。
- 1996年12月 株式会社カネコに社名変更
- 2000年4月 東京都渋谷区に移転。ゲーム部門から全面撤退。
- 2005年6月 全取締役が退任し、休眠会社に
- 2014年3月 2005年に退任した取締役3名と新取締役が1名就任。
- 2014年11月 創業者で代表取締役の金子浩が死去。
- 2015年7月 代表に松元哲が就任。
- 2017年2月 代表の松元が詐欺の疑いで逮捕。
主な製作作品
[編集]アーケード
[編集]- 1982年
- 1983年
- ジャンプコースター(販売はタイトー)
- ファイティングローラー(販売はタイトー)
- ボギー'84
- 1984年
- リングファイター(販売はタイトー)
- 1985年
- 侍日本一(販売はタイトー)
- 決死の探検サバイバル ゆけゆけ!山口君(販売はタイトー)
- テレビ番組の「水曜スペシャル」・川口浩探検シリーズが元とされている。タイトルも当初は「~川口君」だった。
- レディーマスター(販売はタイトー)
- 1986年
- 1987年
- VS.ホットスマッシュ(販売はタイトー)
- Dr.トッペル探検隊(販売はタイトー)
- スーパークイックス(販売はタイトー)
- 1988年
- 1989年
- 1990年
- 1991年
- ベルリンの壁
- 1992年
- 1993年
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- ジャンジャンパラダイス (エレクトロ・デザイン名義)
- 1997年
- さるかにハムぞう
- ジャンジャンパラダイス2 (エレクトロ・デザイン名義)
- 閃激ストライカー(開発は童)
- 1998年
- 1999年
- TEL雀 (エレクトロ・デザイン名義)
- 2000年
- ガツン(事実上の最終作)
家庭用
[編集]1990年に開発部門「カネコインターステイト」を設立。下記のソフト以外にも、東亜プラン作品である「飛翔鮫」と「究極タイガー」のX68000版への移植も手掛けていた。
- エアバスターの移植版。HAL研究所から発売されたファミコンソフト『エア・フォートレス』が雑誌の事前告知では『エアバスター』の名前で載っていた事から、それが先に商標申請されていた関係で『エアロブラスターズ』に改題されたという説がある。メガドライブ版は自社から、PCエンジン版はハドソンから発売。
- 海外版のタイトルはGENESIS(欧米版メガドライブ)版が『DEADLY MOVES』、SNES版が『POWER MOVES』。当初はSNES版も『DEADLY MOVES』だったが、「DEADLY」という単語がNintendo of Americaの規定に引っ掛かったのではないかといわれている。
関連項目
[編集]- Tony - 1998年頃に在籍。「サイヴァーン」のプランナー担当。
- エフエムむさしの - 開局時から1年間、夕方の生番組「KANEKO INTERACTIVE WORLD」を提供していたほか、サテライトスタジオから公開生放送を行っていた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- カネコ 初代公式サイト - ウェイバックマシン(2000年5月2日アーカイブ分)
- カネコ 2代目式サイト - ウェイバックマシン(2007年12月6日アーカイブ分)
- カネコ 3代目公式サイト - ウェイバックマシン(2018年10月29日アーカイブ分)
- カネコ - メディア芸術データベース