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クリシュナ・プラサード・バッタライ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリシュナ・プラサード・バッタライ

クリシュナ・プラサード・バッタライネパール語: कृष्ण प्रसाद भट्टराई: Krishna Prasad Bhattarai1924年12月13日 - 2011年3月4日)は、ネパール政治家首相を2度務める。ネパール共産党毛沢東主義派バーブラーム・バッタライとは別人物。

首相の任期は次の通り。

長年、ネパール会議派党首を務める。ネパール会議派の草創期を知る数少ない長老。1990年民主化運動ジャナ・アンドラン)では自宅軟禁され、十分な活動はできなかったが、最終段階で政府と交渉し、複数政党制を勝ち取った。(ただし、パンチャーヤト制の廃止には時間がかかった。)チャンダ首相に代わり、民主化運動後、国王から首相に任命される。

ネパール会議派の党首を26年近く務めたが、党が王制廃止を方針としたのに反対して2007年9月26日に離党している。

参考文献

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  • 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目

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先代
ロケンドラ・バハドゥル・チャンダ
ネパールの首相
1990年-1991年
次代
ギリジャー・プラサード・コイララ
先代
ギリジャー・プラサード・コイララ
ネパールの首相
1999年-2000年
次代
ギリジャー・プラサード・コイララ