クルージーン・カサド・ヒャン
クルージーン・カザド・ヒャン[要出典](Cruadín cotut-chend[1], Cruaidin Coiditcheann[2], crúadín[3])は、『アルスター伝説』の登場人物でもあるクー・フーリンの光の剣。 後世のソフド(スフト)の剣がこれであるとされる[4]。
概説
[編集]「クアルンゲの牛捕り」の後に再勃発した「ロスナリーの戦い」において、クー・フーリンは借り物の武具だったため、カルブレ・ニア・フェルと戦っても膠着状態が続いた。だがついに勇士の御者ロイグが、クー・フーリン自身の武具を持ってやってきた。 クー・フーリンは剣クルージンをふりあげ、恐槍ドゥヴシェフ(再話ではドゥバッハ)を投げ、カルブレの心臓を貫通させたのち、屍が地に落ちる間髪も与えず、飛びかかってこの剣で首を刈り取った[5]。「ウラドの武者たちの酩酊」では、アルスターの一団が鉄の館に閉じこめられ火責めにされたとき、クー・フーリンはその剣クルージーンを柄まで深く鉄の館に突き立て、それは隣接する二軒の木板の館も貫通した[6]。
ソフドの剣とはソフドの重代の家宝で、その切っ先は夜になると蝋燭のように輝いたという。その刃の撓いようは、たとえ刃を折り返しくっつけても、投槍のようにぴんとまっすぐ元通りになった。水に浮かべて流した毛髪を触れただけでこれを斬り、人を両断してもいずれの半身もしばし気づかぬほどだった。言い伝えによれば、それはかつてのクー・フーリンの剣クルージーン・カサド・ヒャンだった[7]。家令大臣はそれを自分のものと主張した(ひそかにその柄に自分の名を刻銘させていた)。 ソフドは剣を差し出すも、それは祖父を殺した凶器であるから、大臣が自分のものと仰せなら、償ってほしい、と反論した。裁断を下した名君コルマク・マク・アルト王は、賠償を命じたが、 この剣は見覚えがあり、クー・フーリンの剣をアルスターの王が使って祖父コン百戦王を殺したものだと断定し、王室がとりあげた。以降、マナナーンの杯と枝とともに、エリンの三至宝に数えられる[8]。
英語では "the Hard-headed Steeling,"、すなわち「固い頭の鋼」[7]や"hard-headed Cruadín"「固い頭のクルージーン」[9]のように訳される。cruadínは古アイルランド語crúaid「固い」に由来し、cotutは「固い」、chenn > cennは「頭」を意味する。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Hogan, Edmund, The Battle of Ross na Ríg, p. 52
- ^ Stokes, Whiteley, Echtra Cormaic i Tir Tairngiri ocus Ceart Claidib Cormaic, section 59
- ^ Hennessy, William M., Mesca Ulad, or The intoxication of the Ultonians, pp. 44
- ^ Stokes, section 59
- ^ Hogan, p. 51
- ^ Hennesy, pp. 44-45
- ^ a b Stokes, section 59
- ^ Stokes, section 59 78
- ^ Hennesy, p. 45
参考文献
[編集]一次資料
- 12世紀の写本『レンスターの書』に残る物語「ロスナリーの戦い」の現代英語訳。
- Stokes, Whitley. The Irish ordeals, Cormac's adventure in the Land of Promise, and the decision as to Cormac's sword .
- 15世紀の写本に残る物語の現代英語訳。