グリンドラ党
大インドネシア運動党 Partai Gerakan Indonesia Raya | |
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総議長 | プラボウォ・スビアント |
事務総長 | アフマド・ムザニ |
下院グループリーダー | ブディ・ジワンドノ |
成立年月日 | 2008年2月6日(16年前) |
本部所在地 | インドネシア ジャカルタ |
国民議会 |
86 / 580 (15%) |
地方代表議会第一院 |
323 / 2,372 (14%) |
地方代表議会第二院 |
2,120 / 17,510 (12%) |
党員・党友数 |
49万8963人 (2022年) |
政治的思想・立場 |
パンチャシラ インドネシア・ナショナリズム 社会保守主義 右派ポピュリズム 右翼 |
公式サイト | Gerindra |
大インドネシア運動党(だいインドネシアうんどうとう、インドネシア語: Partai Gerakan Indonesia Raya)は、インドネシアの政党。通称グリンドラ党。
グリンドラは、2008年にゴルカルから分派した政党である。2014年以来から、国民議会で第3の政党であり、直近の選挙では86議席を獲得した。グリンドラは、元インドネシア陸軍将軍で現大統領のプラボウォ・スビアントが率いている。
歴史
[編集]プラボウォ・スビアントは、2004年4月21日のゴルカル総裁選で最下位になった後、2008年7月12日に辞任するまで、ゴルカルの諮問委員会委員を務めた。グリンドラは2008年2月6日、プラボウォの弟ハシム・ジョヨハディクスモの提案により結成され[1]、ハシムは党のゴールデンタイムのテレビ広告キャンペーンの費用を援助した。プラボウォは、党設立委員会の委員長に任命され、グリンドラの州レベルの選挙チームは2009年2月に結成された。グリンドラは、ジャワ島、スマトラ島、カリマンタン、スラウェシ島を支持基盤とする約1500万人の党員を擁立した[2]。2009年の議会選挙では4.5%の得票率を獲得し、国民議会で26議席を獲得した[3]。大統領選挙では、プラボウォは闘争民主党のメガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリの副大統領候補として出馬したが、現職大統領のスシロ・バンバン・ユドヨノに敗れた。その後、グリンドラはユドヨノ政権の野党となった。改革星党は、2011年2月にグリンドラに合併された[4]。2014年4月9日の議会選挙では、同党の得票率は11.8%に跳ね上がり、インドネシアで3番目に人気のある政党となった。グリンドラは、2009年の26議席から2014年には73議席へと、獲得議席数をほぼ3倍に伸ばした。プラボウォは、ハッタ・ラジャサを副大統領候補として、ジョコ・ウィドドとともに大統領選挙に出馬したが敗れ、グリンドラは再び政府の野党となった。2014年8月28日に、グリンドラのスハルディ議長が死去した後、9月20日にプラボウォが総議長に就任した[5]。2019年の議会選挙では、グリンドラは2番目に多い得票数を獲得した。同年の大統領選挙でも、プラボウォはサンディアガ・ウノを副大統領候補としてジョコウィと対立し、再び敗北した。2019年7月に、プラボウォがジョコウィと和解した後、ゲリンドラは連立政権に加わり、後に国防相に任命された。2024年、プラボウォはギブラン・ラカブミン・ラカを副大統領候補として大統領選挙に出馬し、第1回投票で勝利した。
脚注
[編集]- ^ “Prabowo nominated as presidential candidate by Gerindra Party”. Jakarta Post. (14 July 2008). オリジナルの3 March 2016時点におけるアーカイブ。
- ^ Demopoulos, Katherine (31 March 2009). “Indonesia's dark-horse candidate”. オリジナルの1 April 2009時点におけるアーカイブ。
- ^ “Bab V - Hasil Pemilu - KPU” (インドネシア語). Komisi Pemilihan Umum Republik Indonesia. 17 April 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。1 August 2018閲覧。
- ^ “PBR Gabung ke Gerindra” [PBR merged into Gerindra] (Indonesian). Detik (18 February 2011). 5 February 2022時点のオリジナルよりアーカイブ。30 September 2020閲覧。
- ^ “Prabowo replaces Suhardi as Gerindra chairman”. Kontan.co.id. (21 September 2014). オリジナルの1 July 2020時点におけるアーカイブ。 29 June 2020閲覧。