国民信託党
国民信託党 Partai Amanat Nasional | |
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総議長 | ズルキフリ・ハッサン |
事務総長 | エコ・パトリオ |
下院グループリーダー | プトゥリ・ズルキフリ・ハッサン |
成立年月日 | 1998年8月23日(26年前) |
本部所在地 | インドネシア ジャカルタ |
国民議会 |
48 / 580 (8%) |
地方代表議会第一院 |
160 / 2,372 (7%) |
地方代表議会第二院 |
1,236 / 17,510 (7%) |
党員・党友数 |
56万7415人 (2022年) |
政治的思想・立場 |
中道右派 - 右派 宗教ナショナリズム パンチャシラ イスラム民主主義 |
公式サイト | Website Resmi Partai Amanat Nasional |
国民信託党(こくみんしんたくとう、インドネシア語: Partai Amanat Nasional)は、インドネシアの政党。公式の略称は、PAN。
ムハマディヤ組織の議長であった、アミン・ライスをはじめとするインドネシアのムスリム社会の近代主義者層によって、インドネシア革命の最中に設立された。2009年の選挙では、ストリスノ・バヒールが議長の下で出馬した。民族主義的なイスラム政党とされており、パンチャシラ教義を支持している。
歴史
[編集]1998年5月14日、グナワン・モハマッド、ファイサル・バスリ、アミン・ライスら約50人の政治家が、意見を聞き、表明したい人なら誰でも参加できる「人民信託評議会」という組織を設立した。当時、ライスは、人民信託評議会が今後6ヶ月間にわたってスハルト大統領の内閣の業績を評価すると述べた。ライスはまた、国民は権力者から尊敬される強力なフォーラムを必要としており、スハルト政権下の権力機構は傲慢になっていたため、人々の意見に耳を傾けることが得意ではなかったと述べた。
スハルト政権が崩壊した1998年当時は多くの新政党が設立され、その中にはライスや人民信託評議会の他のメンバーに参加を求めるものもあった。そのひとつが月星党で、最終的な党首はユスリル・イザ・マヘンドラであり、その申し出を断ると党は独自の道を歩むことになった。1998年7月27日、ライスは新党の設立を発表し、党名を「人民信託党」とした。これは長い投票プロセスを経て現在の党名に変更された。新党は、宗教的道徳、人道、繁栄の原則をルーツとしていた[1]。
1999年の選挙では、PANは7.4%の得票率と34議席を獲得した。同党はその後、国民協議会でイスラム政党の中心軸をまとめる上で重要な役割を果たし、国民協議会が大統領を選出する際、アブドゥルラフマン・ワヒドがメガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリを破った。しかし、PANのアブドゥルラフマン支持は長くは続かなかった。2000年2月に、ジョグジャカルタ市で開かれた第1回党大会で正式に支持を表明してから1年も経たないうちに、同党はインドネシアの国家と州の状況を憂慮して支持を撤回した。それから間もなく、アブドゥルラフマンは選挙で失脚し、メガワティが後任となった。
2004年の選挙では、得票率15%を目標に掲げた。ライスは大統領候補を宣伝するため、全国を訪問した。また、退役軍人が副大統領に就くべきだと確信していると述べた。しかし、立法院選挙で同党は一般投票の6.4%、550議席中52議席を獲得した。大統領選挙で、ライスはシスウォノ・ユド・フソドを伴走者として立候補したが、得票率は15%にとどまった[2]。2009年の議会選挙では6%の得票率で5位となり、国民議会で43議席を獲得した。影響力と人気が低下しているにもかかわらず、同党は2014年に少なくとも10%の得票率獲得を目指していた。
しかし、2014年インドネシア議会選挙でPANは7.49%の得票率にとどまった。議会選挙の数週間後、PANは党首のハッタ・ラジャサを副大統領候補として発表し、プラボウォ・スビアントとともに出馬することを表明した[3]。
2020年2月11日、南東スラウェシ州のケンダリで開催されたPAN党全国大会は、党首候補をめぐる争いの中で党員同士が椅子を投げ合い、暴力沙汰に発展した。この乱闘でPAN党員の1人が足を骨折した。報道によると、党首選に立候補したムルファフリ・ハラハップを支援するために暴漢が大会に投入されたという[4]。PAN党首ズルキフリ・ハッサンは331票を獲得して再選され、ムルファフリは225票を獲得した。
脚注
[編集]- ^ Kazhaim & Hamzah (1999) pp. 34-37
- ^ Dhakidae pp. 229-2
- ^ “PAN to announce Hatta's vice president nomination” (英語). The Jakarta Post. 2020年10月3日閲覧。
- ^ Ucu, Karta Raharja (13 February 2020). “Kongres PAN Rusuh, Mulfachri Dituduh Bawa Preman”. Republika 13 February 2020閲覧。