グレース・ホフマン
グレース・ホフマン Grace Hoffman | |
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グレース・ホフマン | |
生誕 |
Goldie Hoffman 1921年1月14日 アメリカ合衆国・オハイオ州 クリーブランド |
死没 |
2008年7月26日 (87歳没) ドイツ・シュトゥットガルト |
教育 | ウェスタン・リザーブ大学 |
職業 | メゾソプラノ、声楽教師 |
活動期間 |
1951年 - 1992年 (歌手としての活動期間) |
受賞 |
バーデン=ヴュルテンベルク功労勲章 シュトゥットガルト国立歌劇場名誉会員 宮廷歌手 |
グレース・ホフマン(Grace Hoffman, 1921年1月14日 - 2008年7月26日)は、アメリカ合衆国のメゾソプラノ歌手、声楽教師。
1955年から1992年まで シュトゥットガルト国立歌劇場 をはじめとするヨーロッパやアメリカの主要な歌劇場に出演した。ホフマンの代名詞的な持ち役として、リヒャルト・ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』におけるブランゲーネが挙げられる。
生涯
[編集]グレース・ホフマン、本名ゴールディ・ホフマンは、1921年1月14日、オハイオ州・クリーブランド で、ハンガリー系アメリカ人の家庭に生まれた[1]。彼女はクリーブランドのウェスタン・リザーブ大学で文学と楽理を学び、ライラ・ロベソからはじめて声楽を習い、ローマでフリードリヒ・ショールとジュゼッペ・ジェンティーレ(テノール)、マリオ・バシオラから声楽のレッスンを受けた[1]。
1951年、彼女はローザンヌの声楽コンクールで優勝し、同年ワーグナー・オペラ・カンパニーの巡回公演において、マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』のルチア役でデビューし[2]、フィレンツェ五月音楽祭にも『アイーダ』の巫女役で出演。翌年にはチューリッヒ歌劇場に『トロヴァトーレ』のアズチェーナ役で1955年まで出演し[1]、ミラノのスカラ座には「ワルキューレ」のフリッカ役で出演、1974年にも『サロメ』のヘロディアス役で登場した[1]。その後シュトゥットガルト国立歌劇場に1992年まで定期的に出演した。
アメリカではメトロポリタン歌劇場に1958年と1971年に『トリスタンとイゾルデ』のブランゲーネ役で、1964年にカーネギー・ホールで、ドニゼッティの『マリア・ストゥアルダ』のエリザベッタ役で出演、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスとウィーン国立歌劇場にも1961年から1990年にかけて定期的に出演した[1][3]。
バイロイト音楽祭には1957年から1970年にかけて、彼女の当たり役となった『トリスタンとイゾルデ』のブランゲーネ役で出演したほか、『ニーベルングの指環』のヴァルトラウテ、第二のノルン、『ローエングリン』のオルトルートなどを演じた[1][4]。音楽祭のメンバーとして来日もしており、1967年4月の大阪国際フェスティバルには、『ワルキューレ』のフリッカとシュベルトライテとして、8日、11日、14日、17日の公演に出演した。これはTV放映もされたが、商品化されていない[1]。
上記のほか、出演した歌劇場には、バイエルン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ライン・ドイツ・オペラ、サンフランシスコ・オペラ、フィラデルフィア・オペラ、テアトロ・コロン、パリ国立オペラ、ボルドー大劇場、ボローニャ市立劇場、フェニーチェ劇場、サン・カルロ劇場、モネ劇場、コペンハーゲン王立歌劇場、リセウ大劇場[1]などがある。1978年には歌手としての活動と並行して、シュトゥットガルト音楽演劇大学の教授に就任した[1][5]。
私生活での彼女はシュトゥットガルト近郊のネッカータイルフィンゲンに住んでいたが、2008年7月26日にシュトゥットガルトのマリエン病院[6]ですい臓がんのために87歳で死去した[5]。墓所はクリーブランドのザイオン記念公園墓地 (Zion Memorial Park Cemetery) にある[6]。
名誉
[編集]- シュトゥットガルト国立歌劇場名誉会員
- バーデン=ヴュルテンベルク功労勲章
- 宮廷歌手[6]
ディスコグラフィー(一部)
[編集]- ベートーヴェン:『交響曲第9番』シュターダー、クメント、ホッター、クレンペラー指揮、ケルン放送交響楽団、archiphon、1958年
- マーラー:『大地の歌』メルヒェルト、ロスバウト指揮、バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団(VOXレコード、1958年[7]
- ワーグナー:『ワルキューレ (第3幕)』フラグスタート、エーデルマン、シェヒ、ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、デッカ、1958年
- ワーグナー:『トリスタンとイゾルデ』ニルソン、ヴィントガッセン、グラインドル、サヴァリッシュ指揮、バイロイト祝祭管弦楽団、MYTO Historical、1958年
- ワーグナー:『トリスタンとイゾルデ (抜粋)』ニルソン、クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィル、デッカ、1959年
- R. シュトラウス:『サロメ』ニルソン、クメント、ウェヒター、ショルティ指揮、ウィーン・フィル、1961年
- モーツァルト『魔笛 (抜粋)』フリック、ゲッダ、リップ、カラヤン指揮、ウィーン・フィル、デッカ、1962年
- ブラームス:『アルト・ラプソディ』クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団、オルフェオ、1962年
- ヴェルディ:『アイーダ』オットリーニ、キリコ、プリッチャード指揮、コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団、デッカ、1963年
- フンパーディンク:『ヘンゼルとグレーテル』ベリー、ゼーフリート、ローテンベルガー、クリュイタンス指揮、ウィーン・フィル、EMI、1964年
- ワーグナー:『神々の黄昏』ヴィントガッセン、ニルソン、ナイトリンガー、ショルティ指揮、ウィーン・フィル、デッカ、1964年
- ヘンデル『メサイア』シュヴァルツコップ、ゲッダ、ハインズ、クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団、EMI、1965年
- ワーグナー『ローエングリン』ハーパー、キング、リーダーブッシュ、マッキンタイア、ケンペ指揮、バイロイト祝祭管弦楽団、オルフェオ、1967年
- ツィンマーマン:『兵士たち』シェイド、ヴァルガス、コクラン、コンタルスキー指揮、シュトゥットガルト州立歌劇場管弦楽団、テルデック(DVD)1989年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i Kutsch, K.-J.; Riemens, Leo (2012). “Hoffman, Grace” (ドイツ語). de:Großes Sängerlexikon (4th ed.). de:Walter de Gruyter. pp. 2108–2109. ISBN 978-3-59-844088-5
- ^ “Singer Wins Thebom Award”. Capital Journal (Salem, Oregon): p. 5. (January 1, 1951) May 28, 2020閲覧。
- ^ “Vorstellungen mit Grace Hoffman | Spielplanarchiv der Wiener Staatsoper”. archiv.wiener-staatsoper.at. 7 december 2024閲覧。
- ^ “Oper / Sopranistin Grace Hoffman gestorben” (ドイツ語). de:Der Spiegel. (July 28, 2008) May 22, 2020閲覧。.
- ^ a b “Grace Hoffman gestorben” (ドイツ語). Neue Zürcher Zeitung. dpa. (July 30, 2008) May 28, 2020閲覧。
- ^ a b c Tina Gaedt: "Opern-Diva Hoffman tot" (in German) Bild, July 29, 2008
- ^ “In memoriam / Geburtstage im Januar 2016” (ドイツ語). onlinemerker.com (January 2016). June 6, 2020閲覧。
外部リンク
[編集]- グレース・ホフマン - IMDb
- ソプラノ歌手、グレース・ホフマン死去, デア・シュピーゲル・オンライン 2008年7月28日号(ドイツ語)
- グレース・ホフマン(メゾソプラノ) - バッハ・カンタータ・ウェブサイト(英語)