ウェストミンスター公爵
ウェストミンスター公爵 Duke of Westminster | |
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創設時期 | 1874年2月27日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | ヒュー・グローヴナー(3代ウェストミンスター侯) |
現所有者 | ヒュー・グローヴナー(7代ウェストミンスター公) |
相続人 | なし |
相続資格 | 初代公の直系の嫡出の男系男子 |
付随称号 | ウェストミンスター侯爵 グローヴナー伯爵(GB) ベルグレイヴ子爵(GB) グローヴナー男爵(GB) (イートンの)準男爵 |
ウェストミンスター公爵 (英語: Duke of Westminster) は、連合王国貴族の公爵位の一つ。1874年に第3代ウェストミンスター侯爵ヒュー・グローヴナーが叙されたのに始まる。爵位名はロンドン中心部の地区名ウェストミンスターに由来する。ロンドン・メイフェアを中心に莫大な土地を所有しており、全ての英国貴族の中でも最も富裕な貴族である。現在の当主は第7代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナーである。
歴史
[編集]チェシャー・ヒューム(Hulme)のラルフ・グローヴナー(Ralph Grosvenor)は、1440年代に婚姻によってチェシャーにあるカントリー・ハウスイートン・ホールを獲得した。以来グローヴナー家は現在までここを本拠としている。15世紀以降グローヴナー家は着実に土地を増やしていき、地元社会の名士としての地位を高めた。1580年代以降特に利益を上げたのが北ウェールズの鉱山の賃料や使用料だった[1]
チェシャー選挙区選出の庶民院議員、またチェシャーとデンビーシャーのハイシェリフを務めたリチャード・グローヴナー(1584-1645)は、1622年2月23日にイングランド準男爵位の(チェシャー州におけるイートンのグローヴナー)準男爵(Baronet "Grosvenor, of Eaton, co. Chester")に叙せられている[2]。彼は1640年代のイングランド内戦中には王党派に金銭支援した。この影響でグローヴナー家の家計は一時的に困窮したが、1677年までには回復させることに成功している[1]。
3代準男爵サー・トマス・グローヴナー(1656-1700)は1677年に当時のロンドン郊外に存在した数百エーカーの土地を所有するメアリ・デイヴィスと結婚した。ロンドンの市街地が広がるにつれ、ウェストミンスター宮殿に近いこの土地は高級地区として開発され、現在のメイフェア周辺へと変貌した。そのためウェストミンスター公爵家は現在でもメイフェア一帯に1400軒を超える不動産を所有している[3]。グローヴナー・スクエア、ベルグレイヴ・スクエア、ノース・オードリー・ストリートなど公爵家に因んだ名称も多い。
7代準男爵サー・リチャード・グローヴナー (1731-1802)は、チェスター市選挙区から選出されてホイッグ党所属の庶民院議員を務め、1761年4月8日にグレートブリテン貴族チェスター州におけるイートンのグローヴナー男爵(Baron Grosvenor, of Eaton in the County of Chester)に叙されて貴族院議員に転じた。さらに1784年7月5日にはグレートブリテン貴族のグローヴナー伯爵(Earl Grosvenor)とチェスター州におけるベルグレイヴのベルグレイヴ子爵(Viscount Belgrave, of Belgrave in the County of Chester)に叙せられた[4][5]。
その息子である2代グローヴナー伯爵ロバート・グローヴナー(1767-1845)も襲爵前にトーリー党の庶民院議員を務め、海軍省政務官(Lord of the Admiralty)やインド問題弁務官(Commissioner for Indian Affairs)などの政府役職を務めた。1802年に父の爵位を継承し、ついで1831年9月13日に連合王国貴族ウェストミンスター侯爵(Marquess of Westminster)に叙せられている[6][7]。
2代侯爵リチャード・グローヴナー(1795-1869)は王室家政長官やチェシャー統監を務めた政治家で 、彼の三男リチャードはストールブリッジ男爵(Baron Stalbridge)に叙されている。[8][9]
3代侯爵ヒュー・ルーパス・グローヴナー(1825-1899)は、襲爵前に自由党の庶民院議員を務めた後、1869年に襲爵し、1874年2月27日に連合王国貴族爵位ウェストミンスター公爵(Duke of Westminster)に叙せられた。1880年から1885年にかけては第二次グラッドストン内閣で主馬頭を務めた[10][11]。
2019年現在の当主は初代公の曽々孫にあたる7代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナー(1991-)である[10][12]。
ロンドンの他にもイングランドやスコットランド内に10万エーカーを超える土地を有しており、相続税・財産税対策でアメリカのカルフォルニアやオーストラリアにも多数の不動産を所有している[3]。公爵家が所有する不動産はグローヴナー・グループによって管理されている。
ウェストミンスター公爵家最盛期の第一次世界大戦直後の頃には同家は世界第三位の富豪だった(一位はアメリカのヘンリー・フォード、二位はアメリカのロックフェラー)[13]。現在でも英国貴族の中ではトップの、平民や外国人を含めても英国有数の資産家である。2015年のサンデー・タイムズ・リッチ・リストは、ウェストミンスター公爵の総資産額を約85億6,000万ポンド(約1兆5,408億円)と試算し、英国内で経済活動する者の中で第9位の資産家としている[14]。
本邸はイートン・ホール[10]。紋章に刻まれるモットーは「家柄ではなく美徳を(Virtus Non Stemma)」[10]。
現当主の保有爵位/準男爵位
[編集]現当主ヒュー・グローヴナーは以下の爵位・準男爵位を保有している[10][12]
- 第7代ウェストミンスター公爵 (7th Duke of Westminster)
- 第9代ウェストミンスター侯爵 (9th Marquess of Westminster)
- 第10代グローヴナー伯爵 (10th Earl Grosvenor)
- (1784年7月5日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- チェスター州におけるベルグレイヴの第10代ベルグレイヴ子爵 (10th Viscount Belgrave, of Belgrave in the County of Chester)
- (1784年7月5日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- チェスター州におけるイートンの第10代グローヴナー男爵 (10th Baron Grosvenor, of Eaton in the County of Chester)
- (チェスター州におけるイートンの)第16代準男爵 (16th Baronet, styled "of Eaton in the County of Chester")
歴代当主一覧
[編集](イートンのグローヴナー)準男爵 (1622年)
[編集]肖像 | 称号の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
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初代準男爵 サー・リチャード・グローヴナー (Richard Grosvenor) (1584年-1645年) |
1622年2月23日 -1645年9月14日 |
無し | ||
第2代準男爵 サー・リチャード・グローヴナー (Richard Grosvenor) (1604年頃-1665年) |
1645年9月14日 -1665年1月31日 |
先代の息子 | ||
第3代準男爵 サー・トマス・グローヴナー (Thomas Grosvenor) (1656年-1700年) |
1665年1月31日 -1700年6月30日 |
先代の孫 | ||
第4代準男爵 サー・リチャード・グローヴナー (Richard Grosvenor) (1689年-1732年) |
1700年6月30日 -1732年7月13日 |
先代の息子 | ||
第5代準男爵 サー・トマス・グローヴナー (Thomas Grosvenor) (1693年-1733年) |
1732年7月13日 -1733年2月4日 |
先代の弟 | ||
第6代準男爵 サー・ロバート・グローヴナー (Robert Grosvenor) (1695年-1755年) |
1733年2月4日 -1755年8月1日 |
先代の弟 | ||
第7代準男爵 リチャード・グローヴナー (Richard Grosvenor) (1731年-1802年) |
1755年8月1日 -1802年8月5日 |
先代の息子 | ||
1761年4月8日にグローヴナー男爵に叙される。以降グローヴナー男爵位と継承者が同じ。下記のグローヴナー男爵の欄参照。 |
グローヴナー男爵 (1761年)
[編集]肖像 | 称号の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
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初代グローヴナー男爵 リチャード・グローヴナー (Richard Grosvenor) (1731年-1802年) |
1761年4月8日 -1802年8月5日 |
(グローヴナーの)準男爵(1622年) | ||
1784年7月5日にグローヴナー伯爵に叙される。以降グローヴナー伯爵位と継承者が同じ。下記のグローヴナー伯爵の欄参照。 |
グローヴナー伯爵 (1784年)
[編集]肖像 | 称号の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
---|---|---|---|---|
初代グローヴナー伯爵 リチャード・グローヴナー (Richard Grosvenor) (1731年-1802年) |
1784年7月5日 -1802年8月5日 |
ベルグレイヴ子爵(1784年) グローヴナー男爵(1761年) (グローヴナーの)準男爵(1622年) | ||
2代グローヴナー伯爵 ロバート・グローヴナー (Robert Grosvenor) (1767年-1845年) |
1802年8月5日 -1845年2月17日 |
先代の息子 | ||
1831年9月13日にウェストミンスター侯爵に叙される。以降ウェストミンスター侯爵位と継承者が同じ。下記のウェストミンスター侯爵の欄参照。 |
ウェストミンスター侯爵 (1831年)
[編集]肖像 | 称号の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
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初代ウェストミンスター侯爵 ロバート・グローヴナー (Robert Grosvenor) (1767年-1845年) |
1831年9月13日 -1845年2月17日 |
グローヴナー伯爵(1784年) ベルグレイヴ子爵(1784年) グローヴナー男爵(1761年) (グローヴナーの)準男爵(1622年) | ||
第2代ウェストミンスター侯爵 リチャード・グローヴナー (Richard Grosvenor) (1795年-1869年) |
1845年2月17日 -1869年10月31日 |
先代の息子 | ||
第3代ウェストミンスター侯爵 ヒュー・ルーパス・グローヴナー (Hugh Lupus Grosvenor) (1825年-1899年) |
1869年10月31日 -1899年12月22日 |
先代の息子 | ||
1874年2月27日にウェストミンスター公爵に叙される。以降ウェストミンスター公爵位と継承者が同じ。下記のウェストミンスター公爵の欄参照。 |
ウェストミンスター公爵 (1874年)
[編集]肖像 | 称号の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
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初代ウェストミンスター公爵 ヒュー・ルーパス・グローヴナー (Hugh Lupus Grosvenor) (1825年-1899年) |
1874年2月27日 -1899年12月22日 |
ウェストミンスター侯爵(1831年) グローヴナー伯爵(1784年) ベルグレイヴ子爵(1784年) グローヴナー男爵(1761年) (グローヴナーの)準男爵(1622年) | ||
第2代ウェストミンスター公爵 ヒュー・リチャード・アーサー・グローヴナー (Hugh Richard Arthur Grosvenor) (1879年-1953年) |
1899年12月22日 -1953年7月19日 |
先代の孫 | ||
第3代ウェストミンスター公爵 ウィリアム・グローヴナー (William Grosvenor) (1894年-1963年) |
1953年7月19日 -1963年2月22日 |
先代の従兄弟 | ||
第4代ウェストミンスター公爵 ジェラルド・ヒュー・グローヴナー (Gerald Hugh Grosvenor) (1907年-1967年) |
1963年2月22日 -1967年2月25日 |
先代の従兄弟 | ||
第5代ウェストミンスター公爵 ロバート・ジョージ・グローヴナー (Robert George Grosvenor) (1910年-1979年) |
1967年2月25日 -1979年2月19日 |
先代の弟 | ||
第6代ウェストミンスター公爵 ジェラルド・キャヴェンディッシュ・グローヴナー (Gerald Cavendish Grosvenor) (1951年-2016年) |
1979年2月19日 -2016年8月9日 |
先代の息子 | ||
第7代ウェストミンスター公爵 ヒュー・リチャード・ルイス・グローヴナー (Hugh Richard Louis Grosvenor) (1991年-) |
2016年8月9日 -受爵中 |
先代の息子 |
法定推定相続人・推定相続人
[編集]2019年現在、ウェストミンスター公爵位には法定推定相続人も推定相続人もいない。現当主の7代公は結婚していないため子供がなく、また7代公の他には初代公の直系の男子は残っていないためである。一方ウェストミンスター侯爵、グローヴナー伯爵、ベルグレイヴ子爵、イートンのグローヴナー男爵、イートンの準男爵については第8代ウィルトン伯爵フランシス・グローヴナー(1934-)が推定相続人である。ウィルトン伯爵グローヴナー家は初代ウェストミンスター侯爵のヤンガーサンの血統だからである。
系図
[編集]1622年(イートンの)準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||
初代準男爵 リチャード・グローヴナー (1584-1645) | |||||||||||||||||||||||||||||
2代準男爵 リチャード・グローヴナー (1604頃-1665) | |||||||||||||||||||||||||||||
ロジャー・グローヴナー (1628-1661) | |||||||||||||||||||||||||||||
3代準男爵 トマス・グローヴナー (1656-1700) | |||||||||||||||||||||||||||||
4代準男爵 リチャード・グローヴナー (1689-1732) | 5代準男爵 トマス・グローヴナー (1693-1733) | 6代準男爵 ロバート・グローヴナー (1695–1755) | |||||||||||||||||||||||||||
1784年グローヴナー伯 | 1801年ウィルトン伯 | ||||||||||||||||||||||||||||
初代グローヴナー伯 7代準男爵 リチャード・グローヴナー (1731–1802) | 初代ウィルトン伯 トマス・エジャートン (1749-1814) | ||||||||||||||||||||||||||||
1831年ウェストミンスター侯 | |||||||||||||||||||||||||||||
初代ウェストミンスター侯 2代グローヴナー伯 8代準男爵 ロバート・グローヴナー (1767–1845) | エレノア・エジャートン (1770-1846) | ||||||||||||||||||||||||||||
1857年エブリー男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||
2代ウェストミンスター侯 3代グローヴナー伯 9代準男爵 リチャード・グローヴナー (1795–1869) | 2代ウィルトン伯 トマス・グローヴナー (後にエジャートンと改姓) (1799–1882) | 初代エブリー男爵 ロバート・グローヴナー (1801–1893) | |||||||||||||||||||||||||||
ウィルトン伯爵家へ | エブリー男爵・ウィルトン伯爵家へ | ||||||||||||||||||||||||||||
1874年ウェストミンスター公 | 1886年スタルブリッジ男爵 | ||||||||||||||||||||||||||||
初代ウェストミンスター公 3代ウェストミンスター侯 4代グローヴナー伯 10代準男爵 ヒュー・グローヴナー (1825–1899) | 初代スタルブリッジ男爵 リチャード・グローヴナー (1837–1912) | ||||||||||||||||||||||||||||
スタルブリッジ男爵家へ | |||||||||||||||||||||||||||||
グローヴナー伯(儀礼称号) ヴィクター・グローヴナー (1853–1884) | ヘンリー・グローヴナー (1861–1914) | ヒュー・グローヴナー (1884–1914) | |||||||||||||||||||||||||||
2代ウェストミンスター公 4代ウェストミンスター侯 5代グローヴナー伯 11代準男爵 ヒュー・グローヴナー (1879–1953) | 3代ウェストミンスター公 5代ウェストミンスター侯 6代グローヴナー伯 12代準男爵 ウィリアム・グローヴナー (1894–1963) | 4代ウェストミンスター公 6代ウェストミンスター侯 7代グローヴナー伯 13代準男爵 ジェラルド・グローヴナー (1907–1967) | 5代ウェストミンスター公 7代ウェストミンスター侯 8代グローヴナー伯 14代準男爵 ロバート・グローヴナー (1910–1979) | ||||||||||||||||||||||||||
6代ウェストミンスター公 8代ウェストミンスター侯 9代グローヴナー伯 15代準男爵 ジェラルド・グローヴナー (1951-2016) | |||||||||||||||||||||||||||||
7代ウェストミンスター公 9代ウェストミンスター侯 10代グローヴナー伯 16代準男爵 ヒュー・グローヴナー (1991-) | |||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “Grosvenors of Eaton” (英語). Welcome to the Eaton Estate. 2019年8月30日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Richard Grosvenor, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2016年4月21日閲覧。
- ^ a b 小林章夫 1991, p. 165.
- ^ Heraldic Media Limited. “Grosvenor, Earl (GB, 1784)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年4月21日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Richard Grosvenor, 1st Earl Grosvenor” (英語). thepeerage.com. 2016年4月21日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Westminster, Marquess of (UK, 1831)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年4月21日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Robert Grosvenor, 1st Marquess of Westminster” (英語). thepeerage.com. 2016年4月21日閲覧。
- ^ Tedder, H. R., rev. K. D. Reynolds (2004) 'Grosvenor, Richard, second marquess of Westminster (1795–1869)', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, Retrieved on 18 April 2010. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入)
- ^ “No.25570”. The Gazette 19 March 1886. 2019年12月3日閲覧。
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Westminster, Duke of (UK, 1874)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年4月21日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Hugh Lupus Grosvenor, 1st Duke of Westminster” (英語). thepeerage.com. 2016年4月21日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Gerald Cavendish Grosvenor, 6th Duke of Westminster” (英語). thepeerage.com. 2016年4月21日閲覧。
- ^ 小林章夫 1991, p. 164-165.
- ^ 英エリザベス女王長者番付TOP300から転落__連続入り25年で終了(2015年12月3日閲覧)
参考文献
[編集]- 小林章夫『イギリス貴族』講談社〈講談社現代新書1078〉、1991年。ISBN 978-4061490789。
関連項目
[編集]- ウィルトン伯爵
- 1801年にトマス・エジャートンが叙された連合王国貴族爵位。トマス・エジャートンの娘のヤンガーサンに継承される特別継承者の規定により2代ウェストミンスター侯の長弟トマスが継承。1999年以降はエブリー男爵家に継承されて現存
- エブリー男爵
- 1857年に2代ウェストミンスター侯の次弟ロバートが叙された連合王国貴族爵位。1999年以降ウィルトン伯爵位も継承して現存
- ストールブリッジ男爵
- 1886年に初代ウェストミンスター公の弟リチャードが叙された連合王国貴族爵位。1949年に廃絶