ケイソン・ギャバード
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オハイオ州オックスフォード |
生年月日 | 1982年4月8日(42歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 MLBドラフト29巡目 |
初出場 | 2006年7月22日 |
最終出場 | 2008年6月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ケイソン・ギャバード(Kason Ronald Gabbard、1982年4月8日 - )は、アメリカ合衆国のオハイオ州出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
[編集]プロ入りとレッドソックス時代
[編集]2000年6月5日、ドラフト29巡目でボストン・レッドソックスから指名され、約1年後の2001年5月27日に契約を結んだ[1]。入団後、マイナーリーグ・ルーキー級のGCL・レッドソックスに所属となり、6試合に先発登板。防御率5.65・0勝1敗・WHIP1.40という成績を記録。また、投球イニングを超える三振を奪い、奪三振率10.7をマークした。
2002年は、A級のオーガスタ・グリーンジャケッツに昇格。全7試合に先発登板して、防御率1.89・0勝4敗・WHIP1.00という成績を残した。
2003年は、A+級のサラソタ・レッドソックスに昇格。2試合に先発登板したが、防御率10.29・0勝1敗・WHIP2.29という成績に終わった。
2004年は、AA級のポートランド・シードッグスとサラソタの2球団でプレー。ポートランドでは14試合全てに先発登板し、防御率6.28・3勝6敗・WHIP1.64という成績を記録。また、サラソタでは7試合に先発登板、3試合にリリーフ登板し、防御率2.70・3勝2敗1セーブ・WHIP1.36という成績だった。2チーム計では、24試合の登板 (うち21試合が先発登板) 防御率4.67・WHIP1.52だった。
2005年は、ポートランドのみでプレー。27試合に登板 (25試合が先発) して防御率4.61・9勝11敗・WHIP1.46という成績を残した。
2006年7月22日のシアトル・マリナーズ戦で、先発投手としてメジャーデビューを果たした[2]。この試合では6回途中まで投げたが、8安打3失点という投球内容で敗戦投手となった[2]。レッドソックスでは、4試合に先発登板と3試合にリリーフ登板して、防御率3.51・1勝3敗・WHIP1.56という成績を残した。なお、同年はマイナーでは、ポータケット・レッドソックス (AAA級) とポートランドの2チームで計22試合に登板。2チーム計で、防御率3.66・10勝9敗・WHIP1.22という成績を記録、メジャー及びマイナーで年間2ケタ勝利を挙げた最初のシーズンだった。
2007年7月16日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では、メジャー初完封を記録[3]。7試合の先発登板で防御率3.73・4勝0敗・WHIP1.12という成績を残していた。また、ポータケットでも14試合に先発登板し、防御率3.24・7勝2敗・WHIP1.21だった。
レンジャーズ時代
[編集]2007年7月31日に、エリック・ガニエとのトレードで、金銭+エンヘル・ベルトレ、デービッド・マーフィーと共にテキサス・レンジャーズへ移籍した[1]。レンジャーズ加入後は、まずまずのピッチングを見せていたが、9月に前腕筋を痛めてDL入りした (DLは当時の呼称) [4]。移籍後はマイナーでの試合出場はなく、メジャーでの成績は、8試合の先発登板で防御率5.58・2勝1敗・防御率1.56だった。なお、レッドソックス時代との通算では、15試合の先発登板で防御率4.65・6勝1敗・WHIP1.34という成績だった。
2008年は、5月に入って肘痛の影響で調子を崩し、6月にDL入りして遊離軟骨の除去手術を受けた[5]。最終的には、12試合に先発登板して防御率4.82・2勝3敗・WHIP1.84という成績を残した。また、マイナーではAAA級のオクラホマ・レッドホークスとAA級のフリスコ・ラフライダーズで計3試合に先発登板し、防御率4.32・0勝1敗・WHIP1.50という成績だった。
2度目のレッドソックス時代
[編集]2009年4月23日、レッドソックスに復帰した。同年は、AAA級オクラホマシティ・レッドホークス (先述のオクラホマと同一) 、AA級ポートランド、A級ローウェル・スピナーズの3階級でプレー。通算では10試合の先発登板、5試合のリリーフ登板で、防御率9.60・2勝6敗・WHIP2.70という成績を残した。
2010年は、ポータケットで11試合に登板したが、先発登板は1試合のみだった。同年は、防御率5.65・0勝2敗・WHIP2.23という成績を残したが、7月23日にFAとなった[1]。
2011年以降はメジャー及びマイナーでの登板機会はなく、2012年に現役引退した[6]。
現役引退後
[編集]引退後は、母校であるロイヤル・パーム・ビーチ高等学校でコーチも務める[6]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2006 | BOS | 7 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 111 | 25.2 | 24 | 0 | 16 | 0 | 0 | 15 | 1 | 1 | 11 | 10 | 3.51 | 1.56 |
2007 | 7 | 7 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 165 | 41.0 | 28 | 3 | 18 | 0 | 4 | 29 | 0 | 0 | 17 | 17 | 3.73 | 1.12 | |
TEX | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 179 | 40.1 | 40 | 5 | 23 | 1 | 3 | 26 | 5 | 0 | 25 | 25 | 5.58 | 1.56 | |
'07計 | 15 | 15 | 1 | 1 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | .857 | 344 | 81.3 | 68 | 8 | 41 | 1 | 7 | 55 | 5 | 0 | 42 | 42 | 4.65 | 1.34 | |
2008 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | .400 | 263 | 56.0 | 64 | 5 | 39 | 4 | 1 | 33 | 4 | 0 | 36 | 30 | 4.82 | 1.84 | |
通算:3年 | 34 | 31 | 1 | 1 | 0 | 9 | 7 | 0 | 0 | .563 | 718 | 163.0 | 156 | 13 | 96 | 5 | 8 | 103 | 10 | 1 | 89 | 82 | 4.53 | 1.55 |
脚注
[編集]- ^ a b c Kason Gabbard - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月4日閲覧。
- ^ a b Kason Gabbard 2006 Pitching Game Logs - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月4日閲覧。
- ^ Kason Gabbard 2007 Pitching Game Logs - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月4日閲覧。
- ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、239頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
- ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、209頁。ISBN 978-4-331-51370-5。
- ^ a b Kason Gabbard - IMG Academy (英語). 2020年2月4日閲覧。